吉田秀和さんの『音楽紀行』
図書館にリクエストしてあった中公文庫のその本はページがセピア色に変色していて、「本に掛けてあるカバー絶対に外さないでください」と印刷したビニールカバーがかかっている。
1953年から約一年間、アメリカとヨーロッパ諸都市をまわられて経験された、音楽と旅体験の実録は、生のお声が聞こえてくるように思われるほど、臨場感に満ちており、記憶しておきたいページに貼った付箋が二十枚を越した。
何より知りたかったのは四十代の吉田さんがイタリアをどうとらえられたかである。
驚きと畏敬の体験、時間を絶した価値というものを信じさせずにはおかない、ミケランジェロのフレスコ画に世の終わりを導く力が示唆されている…などの記述。《古典的》という概念の中には「雄大」「雄渾」「豪気」「充溢」と言うような何ものかがなければならない、ローマの古典にはそれがみなぎっている、そしてこの概念につながっているのは正しくミラノのスカラ座のオペラだというお言葉。
吉田さんはスカラ座の立見席で『ドン・カルロ』を観劇された。エリザベスを演じたのはマリア・メネギーニ・カラスであった。
あらためて感動したのは大勢の音楽批評家に会われていることである。羽仁五郎、説子夫妻のお嬢さんに迎えられてウイーン入りをされ、そこでラズモフスキーという批評家を訪ねるくだりはとりわけ面白い。ベートーベンが曲を献呈したあの、貴族の末裔のラズモフスキーである。自宅の描写、夫人との会話、読み物としても絶妙の興味が湧く。
大岡昇平氏とベルリンで観劇された『ドン・ジョヴァンニ』への賞賛。大岡さんの「スペインのごろつき貴族とそのやくざ下男」の定義、納得である。
転換期にあったクラシック音楽の生き証人であられた吉田さんの本をもっと読まねばと思い、ほかの読み物への興味はうすれて、同時に借りた堀江敏幸さんの小説は四、五ページで挫折してしまった。
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