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2012年6月に作成された記事

2012年6月29日 (金)

吉田秀和さんの『音楽紀行』

図書館にリクエストしてあった中公文庫のその本はページがセピア色に変色していて、「本に掛けてあるカバー絶対に外さないでください」と印刷したビニールカバーがかかっている。

1953年から約一年間、アメリカとヨーロッパ諸都市をまわられて経験された、音楽と旅体験の実録は、生のお声が聞こえてくるように思われるほど、臨場感に満ちており、記憶しておきたいページに貼った付箋が二十枚を越した。

何より知りたかったのは四十代の吉田さんがイタリアをどうとらえられたかである。
驚きと畏敬の体験、時間を絶した価値というものを信じさせずにはおかない、ミケランジェロのフレスコ画に世の終わりを導く力が示唆されている…などの記述。《古典的》という概念の中には「雄大」「雄渾」「豪気」「充溢」と言うような何ものかがなければならない、ローマの古典にはそれがみなぎっている、そしてこの概念につながっているのは正しくミラノのスカラ座のオペラだというお言葉。
吉田さんはスカラ座の立見席で『ドン・カルロ』を観劇された。エリザベスを演じたのはマリア・メネギーニ・カラスであった。

あらためて感動したのは大勢の音楽批評家に会われていることである。羽仁五郎、説子夫妻のお嬢さんに迎えられてウイーン入りをされ、そこでラズモフスキーという批評家を訪ねるくだりはとりわけ面白い。ベートーベンが曲を献呈したあの、貴族の末裔のラズモフスキーである。自宅の描写、夫人との会話、読み物としても絶妙の興味が湧く。

大岡昇平氏とベルリンで観劇された『ドン・ジョヴァンニ』への賞賛。大岡さんの「スペインのごろつき貴族とそのやくざ下男」の定義、納得である。

転換期にあったクラシック音楽の生き証人であられた吉田さんの本をもっと読まねばと思い、ほかの読み物への興味はうすれて、同時に借りた堀江敏幸さんの小説は四、五ページで挫折してしまった。


2012年6月25日 (月)

夏のおしゃれに

004


身につけると思い出す。これらを買った日のことを。

右二つはどちらかというとよそいき用。
上はヴィテルボの旧市街、独創的な作品を作っている職人さんのところで即断購入。日本人が買ったということで大層喜んでくれた。
下はボローニャ、中心街の貴金属j店、水瓶座のペンダントヘッド、純銀製のいかにもイタリアらしいデザイン、これも即断即決。

左二つはカジュアル。
上はオルヴィエート、急な夕立、雨やどりに入った店。この街独特の雑貨を売っている店。なんでもオルヴィエートだけでとれる石でつくったもの。
下はリグーリア州、キアヴァリの雑貨店、大好きな太陽と月のデザイン、ギザギザの縁の黒蝶貝、まさしくイタリアンリヴィエラの海を思い出させてくれる。
二つともT シャツや、シャツブラウスの襟もとを引き立ててくれる、すぐれもの。

2012年6月21日 (木)

江口玲ピアノリサイタル

チケットがもう完売と言われたときの失望は大きく、もう少し前に手配すべきだったという悔いと共に、なにがなんでも行きたいという気持がつのり、万が一キャンセルが出たら、ぜひ知らせてほしいとケイタイの番号を伝えたのだった。
大嵐の予報に気が変わったひとがあらわれたのか、前日、ケイタイが鳴って、超人気、江口玲ピアノリサイタルのチケット、正にまぎわにゲット。
彼の人気は不動のものだが、もう一つの呼び物が、今回のピアノ、ホロヴィッツが気に入って弾いていたという、100年まえのスタンウエイの名器CD75。
なるほど、塗装も薄く仕上がっていて、木の地肌がすけて見える。

プログラムはオール、リスト。第一曲の『アルカデルトのアヴェ・マリア』ですでにその音色に、ぞくっとした。とりわけ高音の硬質なひびきは耳ざわりよく、リスト特有の低音の奔放な和音の攻めに対応して、その美しさが際立つ。
弾き手が音を作っているというよりは、ピアノの方にそれを上回る主張があるかのよう。すごい! 鳴りすすむにしたがって音色はつややかさを増す。
ピアノにも名器があるのだと、あらためて実感。
超絶技巧の数曲を難なく弾きこなし、巡礼の年、第二年イタリア全曲が終了すると、思わずブラヴォーと叫んでいたが、聴衆全員が同じ思いだったらしく、うお~っつという歓声が呼応した。

後半の『リゴレット・パラフレーズ』は期待通りだったが、ホロヴィッツ編のハンガリアン狂詩曲がちょっと不満。ホロヴィッツがいじりすぎていて、超絶技巧がうるさい感じ、原曲のままのほうがずっとよかった。

帰りはほんとの大嵐、でも満足感が上回っていたので、ビショ濡れが苦にならなかった。

2012年6月18日 (月)

イタリア語、授業エピソード

イタリアの小説家、スザンナ・タマーロのベストセラー小説『心のおもむくままに』の中には忘れがたい文章がちりばめられている。
  「愛のいちばんの特質は強さである…しかし強くあるには自分自身を愛さなければならず、自分を愛すには自身をふかいところまで知り、奥底にかくれている受けいれがたいことをふくめて、自分のすべてを知る必要がある」
それをしないで娘を死に追いやり、孫娘をひきとって育てなければならなくなった祖母が、のちに孫娘との別れのあとで、死期を悟り、置き手紙を書く。
「逝ったものが胸にのしかかるのは、いなくなったためというより、おたがいに言わなかったことがあるためなのだ」という思いから。

この小説を愛読し、できればイタリア語で読みたいと思った。
イタリア文化会館の語学コースでこの小説の講読のクラスが開かれると知り、わたしはとびついた。数年まえのことである。
すでにこのコースの常連四人の生徒がいて、わたしともう一人かなり高齢の女性が新入りだった。講師はジェノヴァ出身、高校教師を長くしていたという、三十代のおしゃれな女性。
作者の紹介は丹念にされたが、それからが驚愕の授業だった。猛スピードで音読させるのである。そのあと、質問は? その繰り返し。
タマーロの文章をゆっくり味わい、イタリア語的表現の解釈があり、意見を交換しあう、などと想像していたのとは大違い、しかもタマーロの原文はかなりくせのある文章で難解、すらすらとは到底読めない。
二度目の授業のあと、わたしは講師に直談判した。あまりにも期待したものと違う。ほかで講読の授業を受けたことがあるが、全く違った。これではとてもついていけない、その、ほかでの授業の講師の名まであえて、出して、うったえてみた。
講師はちょっと動揺したようだったが、次の授業のとき、常連の生徒に、こういう意見が出たけど、どう思うか?と尋ねた。彼女たちは、今までどおりでいい、と笑顔で応えた。新入りの高齢の女性だけはわたしの意見に賛成してくれた。
その日の授業は、あっと驚くほどのゆったりとした解説の行き届いた内容で、こういう授業もできるひとだったのだな、と安堵し、これが続くようにと願った。

ところがである。翌週の授業のまえ、わたしは教務主任というイタリア人女性から呼びだされたのだ。
文化会館の講読はあのやり方で当然だ、なぜならlettura(講読)だからだ、あなたの求めるのはletteratura(文芸)だろう、気に入らないなら、今ならほかのクラスに変われるけど、どうする?と詰問口調。
わたしは、でもあれは母国語の高校の授業みたいだ、わたしたちは外国人でしかも大人である。いくらなんでもあんな授業は失礼だ、とまで言ってみたのだが、イタリア語とあって、ぺらぺらとはいかないので、その女性は薄ら笑いを浮かべ、英語にしたら、などと言うのである。
だがあまり思いがけなかったので、わたしはすっかり混乱して英語の頭になれなかった。悔しさと、腹立たしさで、言葉に窮しながら、このときほど、自分の無力を思い知ったことはなかった。

授業モードも前に戻り、コース終了を待ちかねたほどだった。大好きなタマーロも遠くにいってしまった気がした。

ひとつ救いだったのは、新入りのもう一人の高齢女性が「あなた、よく言ってくださった、あんなのは授業じゃない、わたしも言いたかったけど言えなかった」と言葉をかけてくれたことである。

2012年6月15日 (金)

イタリア語、その後

よせばいいのに、またやってしまった。
イタリア語授業に「もの申す」を、である。
去年の九月のブログを開いてみると、高齢者だけの居心地よいクラス、難易度はちょっと低いけれど、教科書中心、文法解読の授業を復習のつもりで続けるという意思を記している。
だが、90分の授業、テキストの問題のみをやり、答え合わせをして、質問があるなら、どうぞ、というだけの授業、およそ、二年、惰性で続いているような、その物足りなさが積もり積もって、爆発しそうになってきた。

英語教師、日本語教師、十年以上を経験している。教授法習得のときには語学教師はどうあるべきか、を叩きこまれた。教科書を教えるのではない、教科書で教えるのだ、すなわち、教科書を道具として語学を教えるということ。
つまり、その日のテーマを明白にしてから、文型練習、主語、目的語、シチュエーションを変えて運用、活用を十分してから、教科書を開かせるということ。

イタリアという国は好きだが、イタリア語の教師は二十数人出会ったうちで、好ましいひとは少なかった。教授法をしっかりマスターしていないひとのほうが多かったから。
日本に来ているひとも、いわゆる出稼ぎみたいなひともいるのでその傾向が強い。
ともかくよくしゃべる民族だから、生徒にしゃべらせるより、教師がしゃべるほうが多い。それでは語学の授業とは言えない。語彙の少ない生徒にいかにしゃべらせるか、それを創意工夫してくれなくては。

『Espresso 2』というテキストが終わり、いよいよ最上級に近い『Espresso 3』に入るに当たって、クラスメートもこのままではいけないということで合意、教師に復習を依頼した。その際、よせばいいのに、わたしの意思でクラスメートと協議したことに自分の意見も加えて、授業のやり方を再考してほしいと依頼項目を添えた手紙を出したのだ。
 
それがどう受け取られたか、教師の態度がちょっとこわばったものに変わった。
今、わたしは白い目で見られているという気がしている。


2012年6月11日 (月)

ロイヤルビジネス 2

王室の財政改革が可能になったことで、女王さまの表情がかくも晴れやかになったことも驚きではあったが、それより思いもかけないニュースは一連の改革行事の立役者が、なんとチャールズ皇太子であったということだ。
あの水上パレードの発案も皇太子なのである。
そしてご自身のコーンウオール領、五万ヘクタールという広大な放牧地に、次世代のための理想の街づくりを実現された。その名もパウンドバリー。
それだけではない。コッツウオルズ地方の小さい街、ハイグローブの別邸にはご自身が手がけられた庭園があり、ガーデニングの本まで出版。イギリスの原風景を次世代に残す責任があるとおっしゃる。
お見それいたしました、皇太子さま。
ご自身が招いた、いや、ご自身にふりかかった不運の嵐から目をそらさず、しっかり受けとめていらっしゃったのですね。

去年、ロンドンから帰国するとき乗ったタクシーのドライバーはヒースロー空港までの数十分、英国の実情を嘆いてしゃべり続けた。止まらぬ不景気、政府は無能、老人に冷たく、凍るように冷たい冬には暖房費を惜しんで凍死する高齢者が少なくないとか。ロイヤルウエディングなんぞめでたくもない。高額の学費に怒る学生たちはリッツホテルに投石したり、カミラ夫人にレモンをぶつけたりしている。
それももう片方のイギリスの実情、マイク・リー監督の映画にも出てくる。

でも2008年に訪日されたチャールズ皇太子は服装もセンスあふれ、以前より凛々しさが増したように思われた。
レモンをぶつけられても、カミラ夫人は心身症にもならず、内助の功を果たされているのだろう。
昔、昔、王子さまはお姫さまと出会い、その美しさに魅せられ、結婚、めでたし、めでたし。そしてその後、現実には、王子さまの心ははなれ、悲劇が起る。
そして、そして、十五年の月日のあとは、運命から逃げなかったご家族の姿があった。

そういう人生の、なにか普遍の行程を見続けることができた、七十四歳という年齢をとても愛おしく感じるこのごろである。

2012年6月 8日 (金)

ロイヤルビジネス 1.

英国のフィリップ殿下はぼうこう炎でご入院中だとか。
それは、そうだろう。あの水上パレードは絢爛豪華だったが、いかにも寒そうだった。貴婦人方はみなスーツ姿、女王は最後にスカーフを羽織られたにしても、お風邪を召さねばいいが、ヒートテック武装などしておられるのかしら、とあれこれ思い…見ているのが疲れてきて途中で寝てしまった。
それにしても今回の祝賀記念行事で一番驚いたのは、女王がお美しかったこと。これぞ大英帝国の女王陛下。86歳でいらっしゃるのに、凛としていらっしゃる。八十を過ぎると、たいがいの女性は目がしょぼしょぼしてくるものだが、お目目ぱっちり。お孫ちゃまの結婚式のときはお年をとられたなあ、とため息が出たのに、この変わられようは一体どうして???

その謎が、BSプレミアムの『女王様の秘密のおサイフ』という番組を見て解けた。いまや女王は君主経営者、居城四箇所が空いているときに公開することから、不動産活用プロジェクトを着手し、2013年から始まる王室予算カットに備えるべく、財政改革に活路を見出されたのだ。
拝観料、17ポンドおよそ2200円、ちょっとベラボウじゃございませんか、女王さま。
イタリアでもお城の拝観料は10ユーロしないところもあるのに。
もっとも現在、城主がいらっしゃるところということで倍以上の価値になるのかしら?
ともかくそれで一年の収益がたちまち数十億円となり、ウインザー城の火災の修復をまかなえたというからお見事。
女王さまのファッションも一変した。経費削減、若いデザイナーを抜擢、着まわしにも心を配られる。今までのババくさい襟なしではなく、斬新な色使い、襟付きアンサンブル、お帽子もかなり大きく派手やかだが、トータルファッションは際立って美しい。
王冠、宝石、ジュエリーの管理も高額なロンドンをやめて地方の専門店にまかされた。
お城の電気を自ら消して歩かれることもあるとか。
王室PRも大きく改善。王室ホームページも開かれ、女王にメールも出せるとは驚き。

シエクスピアの名句がある。
 今が「最悪の状態」と言えるあいだはまだ最悪ではない。
 楽しんでする苦労は苦痛を癒す。
 世の中に幸も不幸もない。ただ考え方でどうにもなる。
 天は自ら行動しない者に救いの手はさしのべない。

暗黒の時代といわれた90年後半を乗り越えられ、女王陛下、まさしくこの名句の意図するところを立証されましたね。

2012年6月 5日 (火)

なおも読みたい

録画しておいたETV特集『言葉で奏でる音楽・吉田秀和の軌跡』は真夜中の番組にしては惜しいほどすぐれた出来栄えで、吉田さんの人となり、表現力、日々のお暮らしの隅々までを、あますところなく語り、息をつめて見入ってしまった。
カラヤンの演奏を、アウトバーンを疾走する車の中から木立や野草や潅木までも見落とさずに写す、すぐれたカメラの目のようだ、と表現された吉田さん、ああ、正しく言い得て妙なる描写、これはもう、ご著書を読まなければ、と翌日図書館に向った。

大田区内最大の図書館なのに、係りの女性は、吉田秀和さん?と知らない様子。パソコンで検索するも、認識がないとあって、出てくるデータもお粗末。書庫に全集があるはずだと思ったが、押し問答していても仕方がないので、書棚にあったわずか数冊のうち、一番最近の著書、『永遠の故郷・夕映え』(集英社)を借りてきた。

エピソードが豊富、98歳でいらっしゃって、一つの道を極められた吉田さんには、過去のお付き合いの方たちとのかかわりを危惧することなど超越されているのだろう。高名な音楽評論家の再婚相手である外国人の夫人が精神を病んで亡くなるというラストまでを綴った、一話は小説のよう。関連する楽曲や詩や名作小説までもが引用されているので、ずしりと胸を打つ。
形容詞を連ねる抽象論ではなく、楽譜の一節を引用されながら、対話しているようなわかりやすい解説、感情移入が滑らかな語り口が心地よく、CDを聴きながら、読んだらさぞ、読みごたえがあることだろうと思った。

お一人住まいの鎌倉の質素なお宅、そこで亡くなられる最後の日まで書き続けていらっしゃった、中身の濃い、重い人生、現在74歳の若輩としては、果たして八十、九十を無事に越えられるかはわからないが、こういう方の人生こそ、その詳細をもっと知りたい、学びたいと願う。

そのまた翌日三省堂書店で、ご著書を探したら、『オペラ』という本が一冊だけ。わたしの落胆を目にして、店員が言った。
いまにまとめて増刷されて、ずらりと本が並ぶかも知れませんよ。


2012年6月 1日 (金)

どうなっちゃったの、NHK!!

とかく見過ごしているような情報を、いつもタイミングよく教えてくれるAさんからメールがあった。「今日深夜12:00 からEテレで吉田秀和さんをしのんで、が放映されます…」
えっつ!深夜、なんでまた!
本来ならゴールデンタイムの八時か九時に放映すべきなのではないか?
今夜、教育テレビ夜八時の番組は「団塊スタイル 男のファッション講座」である。
NHKの価値判断が昨今、急激に変わってきた。
朝、六時に目覚めて、BSプレミアムをつけたら、世にも妙なる歌声が聞こえてきた。不世出のソプラノ、マリエッラ・デヴィーアのリサイタルであった。
これも以前なら、夜八時か九時の放映が当然の番組である。

高齢者は早起きに決まっている、クラシックなんぞ、朝の六時でいいじゃないか、という判断か?
では深夜の追悼番組はどうなのだ?録画予約でいいだろう、なのか?
バカにしている!!

先日、中学のクラス会があったとき、NHKの番組などを作っていたひとがいた席で、わたしはNHKへの怒りをぶちまけた。全員が大きく、うなずき、声高に意見を述べた。その元NHKの彼女まで「本当にそうです」などと言うのである。

BSプレミアムで、毎日番組表をチェックするが、見たいものは一つか二つ、それに再放送がやたら多い。
ハイヴィジョンのときのほうが格段にすぐれた番組が多かった。
FMラジオでは、フィッシャーディスカウの四時間に及ぶ追悼番組は実に充実していて満足したが、テレビのほうでは追悼番組がこんなに後れてしかも深夜だとは。

こうも番組編成が変わってしまった理由を知りたい。
腹の虫がムズムズしっぱなしである。

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