サクラ咲く
十日以上も孫息子の声が聞けなかったので、業を煮やして、ママにメールした。あんなに応援したのに、それはないんじゃないという気分(雨マーク)
きのうバスに乗っているとき、ケイタイが鳴り、ばぁば、ごめんね、という電話があったが、きょうはまた、ママから、わたし仕事なんで、ごはん食べさせてやってくれる?という依頼に、いそいそ仕度をする。お赤飯の用意、あと、カレの好きな大根と豚肉とお揚げの酒たっぷり煮、カボチャの煮物、いいお刺身がほしいな、そうだ、二子に行こう、ついでにれいこさんが教えてくれた早咲きのサクラを見よう。
というわけで、多摩堤通りを走るバスに乗り、帰りにわざわざ途中下車して撮ったのがこの写真。四本ぐらい見事な咲きっぷりであった。
玉堤小学校のバス停にはゆったりしたベンチがあったので、バスを待つあいだもお花見気分。あたりを見回していたら、思い出した。
代々木で戦災にあって、家が焼けてから、引っ越したのが、尾山台、疎開していた家族が帰ってくるまで、という約束で住んだ一軒家、そこから通った尾山台小学校、二年ぐらいいただろうか。
一番の思い出はお弁当を持って、多摩川のこのあたりに来る事だった。傾斜のゆるい土手に並んでお弁当を食べるのが何より楽しかった。おかずは凝ったものでなく、ノリ弁だったり、おかかと玉子だったりしたけど、おいしくて、おいしくて。
<焼け出された方>という呼び名で扱われたわたしたち。親切にはされたけど、なんとなく、ここが我が家という気分ではなかった。
次に引っ越した、三軒茶屋の奥、太子堂に借りた家でようやく居が定まったのである。
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