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2012年3月に作成された記事

2012年3月28日 (水)

サクラ咲く

十日以上も孫息子の声が聞けなかったので、業を煮やして、ママにメールした。あんなに応援したのに、それはないんじゃないという気分(雨マーク)
きのうバスに乗っているとき、ケイタイが鳴り、ばぁば、ごめんね、という電話があったが、きょうはまた、ママから、わたし仕事なんで、ごはん食べさせてやってくれる?という依頼に、いそいそ仕度をする。お赤飯の用意、あと、カレの好きな大根と豚肉とお揚げの酒たっぷり煮、カボチャの煮物、いいお刺身がほしいな、そうだ、二子に行こう、ついでにれいこさんが教えてくれた早咲きのサクラを見よう。
というわけで、多摩堤通りを走るバスに乗り、帰りにわざわざ途中下車して撮ったのがこの写真。四本ぐらい見事な咲きっぷりであった。003_2

玉堤小学校のバス停にはゆったりしたベンチがあったので、バスを待つあいだもお花見気分。あたりを見回していたら、思い出した。
代々木で戦災にあって、家が焼けてから、引っ越したのが、尾山台、疎開していた家族が帰ってくるまで、という約束で住んだ一軒家、そこから通った尾山台小学校、二年ぐらいいただろうか。
一番の思い出はお弁当を持って、多摩川のこのあたりに来る事だった。傾斜のゆるい土手に並んでお弁当を食べるのが何より楽しかった。おかずは凝ったものでなく、ノリ弁だったり、おかかと玉子だったりしたけど、おいしくて、おいしくて。
<焼け出された方>という呼び名で扱われたわたしたち。親切にはされたけど、なんとなく、ここが我が家という気分ではなかった。
次に引っ越した、三軒茶屋の奥、太子堂に借りた家でようやく居が定まったのである。

2012年3月24日 (土)

花と暮す

家というものは一年住んでみないと、どのように住みこなせるかがわからない。庭も然りである。
夏から秋にかけてあれだけ朝顔を咲かせた場所が冬のあいだ、全く陽の当たらぬわびしい空間となって、早めに植えたビオラも蕾が開かぬまま、三月になってしまい、地球がまわり、太陽の位置が変わることを忘れていて、日陰専門の草花を植えようかと思うほど、落ち込んでいたのだが、ここにきて、沈丁花も開きはじめ、モッコウバラも芽吹き著しく、ウッドデッキいっぱいに陽が射すようになった。
そこで、木製のプランターを買い、大好きなワスレナグサとアリッサムの寄せ植えをする。アリッサムはちょっと根つきが悪く、しおれかけていたのだが、それを見落とさず、根をひらくようにして養分たっぷりの水を与えたら、すぐ反応して元気になってくれたのがうれしかった。017

そういえば、五月にトリノのB&Bに滞在したとき、小さなテラスがついているのが気に入って、中庭を見下ろしながら、そこでお茶を飲んだ。テラスの大きめの植木鉢に見慣れぬ花が植わっていたのだが、陽射しがきついせいかすっかりしおれてしまっている。
かわいそうに、もう間に合わないかも、とは思ったが、たっぷり水をやってみた。しばらくそれを忘れていて、ふと見ると、何とピンピンに元気になっていて、紫色の素晴らしく美しい花を咲かせているのだ。わたしは本当にびっくりした。イタリアの草花はこんなにも反応が著しい。ここにずっと滞在してこの草花の水やりをいつもしていたい、とまで思ったほどであった。
物言わぬ自然からなにか言い知れぬ力をもらうとはこういうときなのである。

2012年3月21日 (水)

『週間ブックレビュー』終了

21年まえこの番組が始まったとき、わたしはまだ小説の翻訳の仕事をしていたので、売れる小説の傾向や、出版事情などの手っ取り早い知識を得るため、この番組は欠かさず見ていた。
そして仕事を辞めたあとは自分では見つけられなかったような面白い一冊と出会えたり、作者の思いがけない一面を知るインタビューが楽しかったりして、お気に入り番組となった。

長寿番組だからこそ、看板の役を果たし、大事にされるのかと思っていたら、近頃のNHKでは進化を遂げるIT製品に目がいきっぱなしの、非情な幹部の意向が強いのか、この番組は冷遇される一方で、なんと早朝6時30分放送となり、予約するのも忘れがちという不便さを強いられることになった。
そしてこの終了宣告である。ネットでは継続を願う声が集まって嘆願書をつくるまでになったらしいが、なぜやめるのか、そのあと書籍を扱う新番組ができるのか、明らかにされていないところがまた腹立たしい。

最後のお気に入りの一冊コーナーの放送で、利重剛さんが、外で落ち込むような経験をしたとき、家に帰って読みたくなる本、と言って紹介した上原隆著の二冊を、いま夢中で読んでいる。
『友がみな我よりえらく見える日は』ボブ・グリーン的なルポから成る生身のエピソードが、会話の多い、短編小説のようにつづられている。まさに事実は小説より奇なりで、情景や人物描写が詳細を極めれば極めるほど、胸に迫ってくる。
<他人はどのようにして自尊心を回復するのだろうか?人が傷つき、自尊心を回復しようともがいているとき、私の心は強く共鳴する>という著者の言葉、<人はみんな自分をはげまして生きている>としめくくる一節に大きくうなずきたくなる。
若者の主人公が多いこの一冊に高齢者のわたしが出会えたのは『週間ブックレビュー』があったからだ。
デジタルの世界に明け暮れ、超多忙な若者たちと、アナログを貫く生活者が多い老人とが接点を持てるのは、両者が等しく関心を持てるような書籍の存在が大きい。それがどういう一冊なのかを知らせてもらえるような番組、それが『週間ブックレビュー』だったのに、ほんと残念、の一言である。

2012年3月18日 (日)

クレナイ族

私たち夫婦の金婚式のことは、去年から息子と娘にインプットしてあったのに、何の音沙汰もなし。
娘は長男の大学受験でキリキリしていたし、息子も中国などの海外出張続きで同じ家に寝起きしていながら、ゆっくり顔を合わすことがない。
何も祝ってクレナイのよ、とブリッジで会った友人たちに言ったら、あなたね、今は祝ってもらうんじゃなくて、こちらから、よくこれまで元気に過ごさせてもらったって、ご馳走するのよ、と言われてしまった。
孫息子はどうやら、大学生になれることになったが、おめでとうと言いたくても、ケイタイは通じない、声も聞かせてクレナイのだ。娘も手続きに忙しいなどと言ったあと連絡がつかない。
クレナイ族状態を嘆きつつ、愚痴をこぼす相手がいるからまだましなのかも知れないが、その相手からも、もうオレたちは必要とされてないんだ、放っとけ、放っとけ、助けがほしければ言ってくるさ、それだけ自立してるってことじゃないか、なんて言われると、私たちが親たちにしてきた時代に比べて、何と寒々しいことかと、心中もやもやとくすぶるのである。

2012年3月14日 (水)

マイク・リーの世界

オリンピック開催を控えて活気づくロンドン探訪のルポで、一泊14万円もする高級ホテルやローストビーフの食事や、贅沢ブランドの紹介などがされていたが、わたしは今、それとは全く対照的な庶民の暮らしを描くマイク・リー監督の名人芸に魅せられている。

予備知識なく、下高井戸シネマで初めて見た最新作『家族の庭』、イギリス映画だから、『ハワーズ・エンド』の現代版みたいなものかな、と想像していたのだが、頭をガーンと打ちのめされた感じだった。地質学者と医学カウンセラーの六十代夫婦の生活は穏やかではあるが、画面はどちらかというと、彼らの古びた家そのままのくすんだ色調。彼らが野菜栽培をしている市民菜園もなんだか暗くてわびしい。独身の訪問者の常連と何気なくかわしている会話が、ある出来事から、本音がむきだしになって緊迫感に満ち満ち、身をのりだし、目が離せなくなる。
人とのかかわりの中で、胸の奥にたまっていたものが吐き出されてしまうのはどういうときなのか、そしてそのあと彼らの関係はどうなるのかが、出演者の迫真の演技と表情のアップと、丁寧な会話のやりとりで明らかになって、それはそのまま、わが身の日常にダブってくる。
いや、スゴイ。カンヌを湧かせ、各国の映画賞候補になるわけだ。これまでの作品をもっと見たいと、TSUTAYAに出かける。

ヴェネチアで金獅子賞を獲得した『ヴェラ・ドレイク』、『家族の庭』の冒頭で、不幸のかたまりのような鬱病の女性患者で出ていたイメルダ・スタウントンが主役、1950年代の家政婦をしながら家庭を支えている主婦、ある秘密をかかえてはいるがいつも周囲を明るくする優しい女性、ありふれた顔立ちなのに、所作、表情、ときにはっとするほど、美しく感じられる。マイク・リーの映画はファミリーと言われている常連の出演者がいて、そのひとたちが役によって別人かと思われるような演技をするのを見る楽しみも見逃せない。

続いて30代の人々を描いた『ハッピー・ゴー・ラッキー』、なんでも冗談と笑いで過ごしてしまうようなハイ・テンションの女性の日常なのだが、この女性に自動車運転の個人教習をする男性とのからみのピーク。『ヴェラ・ドレイク』で寡黙な独身男性を演じたエディ・マーサン、ネコが歯をむき出して怒るみたいな表情で本音をぶつける。

マイク・リーは何を語ろうとしているのか。ネットのレビューの中から彼自身が語った言葉を見つけた。
「人生は孤独感と、一人ではないという感覚の複雑にからみあったもの」
なるほど。どの作品の中でちりばめられている、あの「カップ・オブ・ティー」という言葉。主人公たちはうれしいときも悲しいときもティーを飲み、相手にもすすめる。そしてときには「ビスクィッツ」(クッキーでもなく、ビスケットでもない独特のbiscuitがイギリスにはある)を添えて。それがティーバッグのお茶かも知れないのに、なぜかこれらの映画の中では特別な味の飲み物のように感じられてしまうのだ。

2012年3月11日 (日)

奇しくも

東日本大震災が起きた3月11日という日はわたしたち夫婦の結婚記念日でもある。
そして、あれから一年経ったきょうのこの日、3月11日は結婚五十周年すなわち金婚式に当たる。

思い返してみると、二人とも、大病こそしなかったが、乗り越えなければならない、試練を潜り抜けてきた。
結婚七年目にアメリカ駐在が決まり、まだ円が365円というときに、見るのも聞くのも初めてのことばかりというアメリカ生活を四年過ごした。ここで自立の精神を体得し、帰国してから仕事についた。日本語教師十年、小説の翻訳十年。夫も名古屋での単身赴任が二度、週末戻ってきて、またトンボ返りという生活を経験する。
そのころ銀婚式だったはずなのだが、祝いをしたという記憶が欠落している。お互いよほど忙しくしていたのだろう。

娘が自分で探してきたひとと結婚、そして三年後、三歳、一歳の息子と娘を残して、婿が急逝。

実母と義母が介護を要する生活に入る。孫たちが週末を我が家で過ごすという生活がおよそ十年続く。介護食、幼児たち向け、大人用、三種の食事を調理する日々でもあった。

母たちを送り、孫たちの世話もなくなったころ、わたしはイタリアと出会ったのだが、三年まえ、大きな古い家を維持することが経済的にも困難になり、三分の二を売却し、残りの三分の一に、義父や義母が大切にしてきたこの土地の良さを生かせるような家を建てることで、新生活に切り替える決心をする。
七十を過ぎて二度の引越し、義父や義母が遺した大量のモノの処分、この作業が身体の苦痛も含めて一番難儀な、老後の大仕事だった。

きょうのこの日、夫と二人、帝国ホテルで夕食を共にした。シャンパンのグラスを掲げたスナップを、ボーイさんが撮ってくれて、すぐに祝いのカードと共にプレゼントしてくれた。
選んだメニューは、わたしがコンソメスープ、夫はオニオングラタン、二人の好みがめずらしく一致してシーザーサラダとシャリアピンステーキ、コーヒー、プディング。

結婚五十年なんて、どんなにジイサン、バアサンになっているのかと想像していたわりには、わたしたちは元気だと言える。そしてお互い、いたわりながら、できるかぎり長く、日々の暮らしを自立して過ごすことを続けたいと願っているのである。

2012年3月 8日 (木)

春未だ浅く

梅の見ごろをつい見逃してしまう。今年は遅めだから、しっかり見届けようと、近くの西峯町に出かけた。長久保家という大地主さんの庭の白のしだれ梅とそれに続く縁者の家の塀際の紅梅はため息が出るほど、きれいなのだ。惜しむらくはベンチなどもないし、近くにお茶をのむところもないので、立ち止って見るしかないのだけれど。
紅梅はかなり咲いていたが、白梅の方はまだ蕾、お掃除していたオバサンに、今年は後れてません?と訊いたら、大きくうなずいて、そう、これからです、と応えた。
さて、それではミモザはどうだろう? その先をしばらく歩いて曲がったところに見事なミモザが植わっている家がある。
それがうらやましくて、今回新築するとき道路側に植えたのだ。我が家の若いミモザはかなり蕾がついているのに、咲いてはいない。あの家なら満開かも、と期待したのに、やはり蕾ぎっしりのままうす緑にかすんでいた。
 
翌日二子玉川に出かけて、買い物したあと、一階の生花店でパッと華やぐ黄色のミモザを店員たちが切り分けているのを見た。十五センチくらいの枝に分けているので、一本いくら?と訊いたら、なんと800円。
一週間は早く経つけど、今年の春の訪れはとりわけ遅い。
でもミモザはきっと咲く、そう信じて、せかずに待つことにしよう。

2012年3月 5日 (月)

『カーネーション』一新

ヒロイン役の交代は成功したと思った。自分が同年代だからわかるのだが、72歳晩年の糸子の動作、しぐさ、つぶやき、そして姿と手、(手にもっとも年齢があらわれるとわたしは信じている)、すべて文句をつけがたい。残りの四週間、一日、一日がまた楽しみになってきた。

それにしても大勢死なせてしまったものだ。だが、実際あんなものなのかも知れない。わたしの身内も残っているほうが少ないし、大好きだった友人たち、四人がもうあの世のひとである。

『カーネーション』は近来にない傑作だと思う。尾野真千子というひとは確かに天性の演技者ではあるが、最初、子役の顔とあまり違う顔立ちに違和感をおぼえ、しばらくそれが抜けなかった。日が経つにつれ、彼女がこれほど生き生き演じられたのも、脇を固めるひとたちが巧みだったことが大きいと思う。
わたしが個人的に大好きだったのは、髪結いのオバチャン、そして八重子さん、糸子の右腕で、何かと叱咤激励する、あの女性(なんという役名だったかおぼえていないが)そしてこれまで美人女優だった麻生裕未さんの新境地ともいえる、いかにも育ちのよい、優しいお母さん、そして御大家の奥さまを演じた十朱さん、みんな忘れがたい名演技だった。

けれども、それよりも、何よりも、このドラマのすごさは脚本のたぐいまれなる素晴らしさである。テンポがよく、早口の方言にぴったりで、毎回山場が必ずある。
そのことを、このところあちこちの番組でインタビュー盛んな尾野さんの口からは出なかったが、さきごろクランクアップしたときに夏木マリさんが語った。「本当にホン(台本)がよかった…役者にとってそういうホンに巡り合うことが一つの奇跡です」
そう、脚本がよいと、役者も演出も音楽も美術もみんなが張り切って頑張る。毎回、山場が近づくとはずみがつく、あの音楽効果も見逃せない。

脚本家、渡辺あや、という人の名前、しっかり覚えて、今後もこの人のドラマを注目したいと思う。

2012年3月 3日 (土)

海を三度渡った雛人形

アメリカ中西部の町、シカゴ郊外エヴァンストンに暮らすことになったとき、実母が手作りした木目込みの雛人形のセットを引越し荷物の中に入れた。
四十年まえのアメリカはまだ日本文化の知識が薄かったので、自宅のアパートでひな祭りのパーティをして、娘や息子の友人やその母親たちを招待したとき、初めて見る人形たちの優美な華やかさにみなが驚いて、楽しんでくれた。
滞在二年目の三月にはエヴァンストンの婦人クラブに依頼されて、雛人形を運び、飾りつけをし、ひな祭りの由来を説明する役目をした。手作りの品はとても珍重する風習があったので、実母の手作りということが一層関心を高めたのを記憶している。
帰国して、子供たちも中学、高校になるにつれ、お内裏様だけで省略することが多くなり、段飾りをすることがなくなってしまった。

六歳上の従姉妹は五十数年まえ、アメリカ人と結婚し、現在、シアトルに末の娘の家族と共に暮している。娘夫婦が共働きなので、孫娘二人の世話をしていると知らせてきていた。
帰国してからは文通だけで会うことがなくなってしまったのだが、一昨年、思い立ってシアトルを訪ねた。
八十に近い従姉妹にとって、孫の世話は難儀ではないかと、心配していたのだが、小学校の高学年の孫娘たちに慕われている彼女は幸せそうで、車の運転も危なげなくしていたし、パソコンもあやつり、陶芸の趣味を楽しむ日々を知って安心したのだった。

従姉妹に箱の中に眠ったままの雛人形を送ろうと思いついたのは帰国してほどなくのことだった。
三度海を渡った人形たち、その無事な姿を昨年、従姉妹がメールの添付で送ってくれた。雛壇までは輸送できなかったのだけれど、よく工夫して飾りつけたものだと、感心した。20110311_013_2

伯母である母ととりわけ仲のよかった彼女なので、その感動もひとしおだったようである。


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