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2012年2月に作成された記事

2012年2月29日 (水)

レシピ紹介

ライスサラダ

今から四十年まえ、アメリカ、イリノイ州エヴァンストンに四年生活したとき、すでに二年まえに赴任されていた奥さまから、洋風すしのレシピとしてご紹介していただいたのを、自分流に変えたものです。
すし酢ではなく、フレンチドレッシング状のものを混ぜるので洋風になり、外国人も好みます。マスタードの黄色がごはんと合って、ほんのり黄色のごはんになり、なんだか春らしくも感じられます。

暖かいごはん     5カップ(二合ぐらいでしょうか)
ドレッシング(合わせ酢のようなもの)
  酢      大さじ2
  油      大さじ2
  マスタード  小さじ1
  塩、コショー

以上をごはんにかけ、さっくりと混ぜ、すし飯同様、うちわであおいで冷まします。
中に入れる具はお好みで。
ハム、ソーセージ、サラミ、プロシュートなどのうち一種類、または二種類、などいずれも線切り、
野菜はアサツキ(三本)みじん、レタス(3枚)(サラダ菜でもいいでしょう)線切り、も加え、
あとで玉子の薄焼き線切りを散らす。(ミラノではこれを省略しました。時間がなかったので)

料理の日

きのうはゆっくり休養したあと、みやげの品の最終調達、荷作りも大方終えているので、きょうはランチの料理担当と、夜八時半からの最終ブリッジゲームと忙しい日程だが、なんとかこなせそう。
朝十時、いささか風邪やつれのEが車で迎えにきてくれて、大型スーパーで買い出し。
家庭では昼食と夕食の食事担当をしている彼、どこに何があるか、値段のこと、品質のことなど、実にくわしい。売り場の店員とも仲良し。
メニューはもうできている。本当はトリノでもカステリ・ロマーニでもフィレンツェでも大好評だった、ドライカレーにしたかったのだが、Eの家族は関心を示さず、ひたすら、寿司と天ぷら所望なので、握りずし、天ぷら、味噌汁、ほうれん草のゴマ和え、ディジョンマスタード入りドレッシングで和えるライスサラダの献立。E夫妻、お嬢ちゃん、L君、わたしの五人分、こんなに沢山、一人で、しかも初めてのキッチンで出来るだろうか。不安がなくもなかったが、ごはんさえうまく炊ければ、なんとかなる、五十年主婦やってきたのだ、と自分を励ます。
鮮魚売り場、ベテランらしい女性が首をかしげて言った。寿しで一番安全なのはサルモーネ(サーモン)じゃない?たしかに、マグロもあるのだが、赤黒くて、生はちょっと、という感じ。
そこで生サーモンの大きな切り身、エビ二十五個、ズッキーニ、ナス、ほうれん草、チャイブ(日本の根つき細ネギみたいなもの)レタス、デザートにフレッシュのブルーベリーとラズベリー、などを買っても20ユーロちょっと。ほんと、安い。
さて、Eのアパートのキッチン、必要なものをすべて出してもらって、ご飯炊きから。米はピエモンテ産の最高級品、深くて重いシチュー鍋で炊く。初めチョロチョロ中パッパ…久しぶりのガス火炊きだったが、何とかうまく炊けた。もう大丈夫。寿しを握り始めてすぐ。助っ人現る。Eのお嬢ちゃん、残り10数個と、それになんとエビの皮むき全てを手伝ってくれた。包丁はあのセラミックナイフを使う。軽やか、切れ味するどく、使いながら驚嘆する。よし、帰国したら、わたしも買おう。
味噌汁の出汁はドライマッシュルームの戻し汁で。味噌はお嬢ちゃんのボーイフレンドのプレゼントの赤味噌を使った。
およそ一時間ちょっとで全て仕上がったのが右の写真。067


盛り付けは正午に仕事から帰宅したEの奥さんがふさわしい器を探して手早くしてくれる、さすが、お見事。
味噌汁をスープみたいに全部初めに飲んでしまいそうになったので、日本の食べ方を説明する。ブォーノの大合唱で、あとは声もなく平らげてくれて、とりわけ初めて食べたと口々に言いながら、ライスサラダを絶賛。

夜八時半からのブリッジトーナメント、夜のゲームに慣れないわたしは失敗が多かったが、Eのプレイがすばらしく、テーブルに出ているカードを全て獲得するグランドスラムも成功して、私たちペアはふたたび一位。

ホテルに戻り、残りの衣類を詰め終わり、疲れたせいかすぐ眠りにつく。夜中トイレに目覚めたとき、部屋の乾燥著しく、早く家のベッドで寝たいと思った。いくらイタリア好きでもいまの自分には10日の旅が限度かな、と思う。そして帰る家があることを今更ながら感謝したのだった。(2012年アムステルダム、ミラノの旅 了)

2012年2月27日 (月)

スカラ座『ホフマン物語』

スカラ座に行くからといってさほど気取ることはない。ミラノファッションの中で恥ずかしくないように、日本人にしかできないおしゃれをする。古代紫できめた。
着物地のような細かいプリーツのある絹のジャケット、同系色の薄い紫のスカーフを首に巻き、花束の形になったパールのブローチを襟元にとめ、黒のシルクのパンツ。
ななめがけのバッグは義母の形見の帯からつくったもの、紫の紐飾りがついたグレイやブルーの銅鏡模様の日本刺繍が施されている。

タクシーで開場二十分まえぐらいに着き、寒空、外で待てないので、トラサルディのバールでコーヒーを。スカラ座は改築のとき観客が屋内で待てるようには設計できなかったのだろうか。日本のホールの親切な設計プランをなつかしく思う。
席は平土間、前から十番目の左より、先回は二階のパルコ席だったが、やはり一階は見通しが違う。
プロローグのあの重々しい序曲があっけないくらいに軽やかに始まった。舞台も余計なものはすべて取り去った、モダンなつくり、端から端までバーカウンターが広がっていて、その向こうとこちらでアリアの交歓。
ホフマンの四つの恋物語、わたしの一番好きなアントニアの場面だけが、意表をついた二階建て、下が空のオーケストラボックス、上が月夜の庭園。階下で歌うときは、持参のオペラグラスでのぞいても、歌手の表情が陰になって見にくい。恋路を邪魔する悪魔四役、全てスーツ姿なのが物足りない。パルマで見たとき、白のロングガウンに長い爪の真っ赤な手袋をはめて登場したドクター・ミラクル役の名バリトン、ミケーレ・ペルトゥージを思い出す。
それでもホフマン役のヴァルガスを初め、歌手はいずれも遜色なく好演、端役ながら、アントニアの場面の召使フランツのアリアが表情に富んでいて素晴らしく、ブラボーの声がとんだ。003

休憩は二度、四十分と三十分、一度だけバールでジュースを飲み、スイーツも買いバッグに入れる。
舟歌で有名なヴェネチアの場面は薄地のカーテンに客席の映像を写し、それをゆらゆら動かすというもの、ゴンドラも水辺も出ない、ちょっと不満。スカラ座は『ドン・ジョヴァンニ』のときもこの種の映像を沢山使っていたが、クラシックな舞台をこの手法でモダンに切り替えようとしているのだろうか。
エピローグは公演ごとに演出の解釈が異なるが、今回、ミューズの女神とホフマンが連れ立って立ち去る場面はホフマンの立ち直る姿が良く象徴されていて、納得できた。
すでに発表されている批評によると、モーツアルト的に演出したのが成功していると書かれてあった。ホフマンをモダンに解釈してこのように仕上げたのは、全体として見れば、さすがスカラ座だと思わせるものはあった。
最初のカーテンコールだけ見て、すぐ劇場を出、タクシーに乗って無事ホテルに戻る。

Eからメッセージ、明日のマントヴァ、キャンセル、ちょっとほっとする。延々四時間の観劇のあと、明日はゆっくり休息したい。
最終日はEのアパートで日本料理をつくってほしいとの依頼が付け加えられていた。


2012年2月24日 (金)

散策

『最後の晩餐』を10時半予約で15分観たあと、昼食までゆったり気分で付近を散策。ミラノの守護聖人を祀る最古の聖堂、サンタンブロージョ聖堂にも立ち寄ったが、なんともうら寂しげなところで、それより、なにより、このあたり一帯の広壮な屋敷や、アールヌーボー様式の装飾豊かなアパートに目が釘付けになった。054

Eの奥さんも建築にはことのほか関心があるらしく、歓声をあげ、守衛にことわって、中庭まで入らせてもらったりする。彼女のインテリアのセンスの良さからして、いかにもという感じだった。
そのうちの一軒、ぼくのノンナ(祖母)が住んでた、という控えめなL君の言葉に驚く。カレ、お坊ちゃまだったんだ。056


昼食はリナシェンテで回転寿司でも御馳走しようかと思っていたのだが、二人の好みではないらしく、このあたりにくわしい彼らの選択で、肉料理の店に。
豪華な感じではなく、こじんまりとしたレストランだったが、タリアータという超上等な薄切り牛肉の一皿、ミディアムの焼き加減で盛り付けた肉の上に、わたしはアーティチョーク、彼らはルッコラをのせたもの、思わずうなるくらい美味。あとバルサミコがうっすら効いたフィノッキ混じりのサラダ、いかにもこの店で焼かれたものというフォカッチャ。それを結局、みな御馳走になってしまった。

ホテルに帰りついたのが午後2時少し過ぎ。背中に疲れがよどんで張り付いている。熱いシャワーをゆっくり浴び、誘眠剤四分の一をのみ、携帯の目ざましセットして二時間熟睡。

2012年2月22日 (水)

『最後の晩餐』

今回の旅行のハイライトの日、二つの予定をこなさなくてはならない。午前中、ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』鑑賞、そして夜7時半から、スカラ座。
よりによってスカラ座の日に、と、この日の予約をうらめしく思ったのだが、どうやら、『最後の晩餐』の見学はとてもむずかしいらしい。まず、電話で予約をとり、出かけていき、予約チケットをもらいに行くと日にち時間を指定されてしまうようなのだ。

予約は日本にEといっしょに来た、L君(わたしの息子と同い年)が三人分をとってくれていた。
その朝、Eの奥さんがホテルに迎えにきてくれる。仕立てのいい黒のドルマンスリーブのコートにグレイのウールの大きなショルダーバッグ、同じ色のニットのマフラー、髪の色との調和がすばらしく、すっきりとした見とれるばかりのおしゃれである。行動もすばやく、しかもこちらの動きをしっかり見ていてくれる。頭の回転も早そう、Eの目は高いというか、ともかく似合いの夫婦だ。
つきあってもらって、申し訳ない、と言ったら、修復してからのを見ていないので、楽しみなのよ、と言ってもらえてちょっとほっとする。
トラムと地下鉄を乗りついで、およそ三十分、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の前に来る。北風の吹く寒い日だったので、L君があらわれるまですぐそばのバールでエスプレッソ・カフェを。こんな濃いコーヒーをおいしいと思うほど、飲みなれてきたが、今回胃ががんばってくれているのがありがたい。
L君は縮れ毛で若い時のベートーベンみたいな風貌だが、性格おだやか、イタリア人にしては寡黙だけど、いかにもエンジニア的、しっかりとプランをたて案内してくれる。
この日もまずは教会の内部をゆっくり見てまわる。まだクリスマスのときのイエス生誕の情景を飾ったプレゼピオが残っていた。048


そして目的地である、修道院の食堂へ。修道院の中庭には木蓮らしい樹が植わっていて、ネコヤナギみたいな蕾がぎっしりついている。049


食堂の入り口にはすでに小学校の生徒たちが教師につきそわれて待っていた。
鑑賞時間は25人ずつ15分に限られている、あのローマのシスティーナ礼拝堂のような厳しさ。修復されて色彩が鮮やかになっているのかと思ったが、すでに16世紀に退色が始まっていたと言われる、その当時状のナチュラルな古色に仕上がっていてひとしお印象深かった。
キリストが「汝らのひとり、我を売らん」と言ったときの弟子の動揺をあらわしているというこの作品、弟子たちの表情が素晴らしい。010

一生に一度のこの機会、鑑賞できて幸せだったと心から思った。

2012年2月19日 (日)

月曜日の過ごし方

1月23日は月曜日、多くの商店が朝から、午後にかけて閉めるし、美術館が軒並み休館という、旅行者にとっては厄介な日。
明け方、夫にTELしたら、痛みも軽くなったと、元気そうだったので、まずは安心。
さて、この月曜日、こういう日だからこそ、予感がする、もしかしたらと。
あいかわらず、晴天なので、付近を散歩、予感は当たっていた。
メルカート(青空市場)が出ている!!041

大通りの脇道、四ブロックぐらいの両側にぎっしり、そしてその左右の脇道にも。イタリアに来て一番うれしいのが、このメルカートを散策するときだ。衣類、服飾家庭雑貨、チーズやサラミ、プロシュート、肉類各種、野菜、果物などの生鮮食品、魚屋こそなかったが、リネンや寝具などもあり、唐草模様のベッドカバー15ユーロで購入。四年まえにリグーリアで買ったものをいまだに愛用しているので、今回はもっと柄のよいのが買えて満足。あと、野菜の形のマグネット、日本に持ってかえるサラミ、味見させてもらって二十センチぐらいのもの7ユーロで買う。アロマオイルの屋台も出ていたので、ストレス和らげ、リラックス用を三種、香りをかがせてもらって、3.5ユーロで購入。
野菜、果物はすべて日本の半額から三分の一の値段、新鮮で色美しく、売り手がいなくても自ら呼び込みをかけているような魅力を発散している。
アロマオイルにしても自由が丘では2000円以上もしていた。
生活費が安くすむから若い女性はイタリアに住みたくなるわけである。
ひとまず、ホテルに戻ったら、Eからのメッセージ、あと二日寝れば、マントバに行けそう、明日の『最後の晩餐』行きは妻がつきそう、というもの。マントバはおそらく無理だろう、と思った。それにしても奥さんまでまきこむなんて、申し訳ないと思ってしまう。

バスで終点ドゥオーモまで。帰りもここから乗るので、しっかりと場所を確かめる。
フィレンツェのGにシナモンティーを送るために郵便局を探す。生活費が安いイタリアだが、不便なのは郵便局が近くにないこと。ホテルも葉書、手紙類はフロントに頼めるが、小包はダメ。日本から送ると一ヶ月はかかるので、今回持ってきたのだけれど、ホテル付近に郵便局がなく、結局ドゥオーモのそばが一番わかりやすいと言われてきたのだ。
それがわかりやすくなく、三人ぐらい、ひとに訊いて裏道の路地の奥にようやく見つける。
赤いポストがあるわけではないので、見分けるのが難儀。

さて、昼食はなにかおいしいものを、と月曜でも確実に開いているリナシェンテのレストランでカルボナーラを。隣席にナイキで働いているという日本人の若い女性がいて、久しぶりに思いっきり日本語をしゃべった。

そのあと、まさかと思っていた、パラッツオ・レアーレのセザンヌ展がオープンしていたので、歓声をあげんばかりに入場、これほどのコレクションはほかでは見られないと言っていたきのうのスイス人男性の言葉を思い出していた。045_2

ディスプレーが素晴らしい。第一室の左にアトリエを再現、右に南仏プロヴァンスの映像、そして、ときに年代別、ときにテーマ別のぐるっとひとめぐりが楽な数の作品群。なかでも緑がテーマの1890年から95年までの部屋はため息をつきながら、その深い緑の美しさにからだが吸い込まれるような気がした。音楽の名演奏と同じである。
月曜のせいかたった一人で見ていられる場所もあった。東京では考えられない、ゆとりである。

無事に54番のバスに乗車、バス停を告げると、ドライバーは13個目だよ、と教えてくれた。車内放送もある。ミラノのバスはローマより親切。


2012年2月16日 (木)

着るもの、食べるもの

アムステルダムもミラノも一月は寒いですよぉ~、という情報ばかりで、厳寒を予測しての服装をととのえ出発。といってもスーツケースの容量に限りがあるので、フェイクファーのクマの子みたいなコートと、ダウンのハーフジャケット二枚でやりくり。
あとはヒートテックで身を固める。下着もソックスもジーンズもレッグウオーマーもインナーも。基調は黒。
足が冷えきってつめたくて、という状況には一度もならなかった。但しホテルの室内は暖房が効いているので、スエットのパンツにヒートテックのインナーで寝たら、汗の吸収がわるくて気持が悪かったので、急遽ミラノのスーパーでセールになっていた綿ジャージーのネグリジェを8ユーロで買ったら、これがとても着心地がよかった。
両袖が厚地になっていて、冷えないのである。日本だと突如地震、もありうるのでパンツのほうがいいけれど、海外のホテルはネグリジェの方が楽というのを今回実感する。

持参した食品はインスタントの味噌汁各種。ここ数年の改良、品種のバリエーションはすごい。京風、田舎風、自然食風、朝用、夜用、具も揚げナスまである。味もすこぶるいい。
そしてこの旅行用食品買った店のオバサン、普段もこれ食べてます、家族も好むので、というワカメごはん、ちらし寿司などのお湯入れて十五分というごはんもの、オムスビ、あとJALがつくっているうどん、そばの「ですかい」シリーズなど用意。漬物、紅ショウガなども持っていったら、昼ごちそう食べて夜はあっさりでいいというとき、とてもぴったりだった。
野菜は現地調達、例のフィノッキ、トマト、ルッコラに塩コショーして、レモンちょっと絞り、あの濃厚なオリーブオイルかけると、もう立派なサラダで、わたしはあまり飲めるほうではないけれど、ホテルの冷蔵庫にある、クロディーヌなどと食べると、アペルティーボ気分になって満ち足りたのである。

2012年2月14日 (火)

出会いから

美術館の入り口は真新しい宮殿のように明るく晴れやかな美しさだが、展示室に一歩足を踏み入れると、照明が落としてあり、展示作品にだけ光があたっている。真っ白な石膏版の彫刻作品が多く、絵画は前衛的なものも混じっており、少年少女を含む若い男女がパステルカラーの背景の中で踊り戯れている、壁面を蔽い尽くすような美しい作品など、これまで見たことがないような新時代の作品群に思われた。もっと説明を訊いてから入ればよかったと思ったが後の祭り、最後に行きついたのが中庭を見晴らせるカフェ。空腹だったので昼食になるようなものは、と訊くとトーストサンドイッチがあるというので、それをオーダーして席を探す。
見渡したところ、空いているのは一席だけ、初老の紳士がカタログをめくっている隣りによろしいですか?とイタリア語で尋ね、チェルトという返事を聞いて腰を下ろした。
するとその人は、英語を話すか?と問いかけてきて、こちらの肯定の返事を聞くなり、抑制の効いた情熱的な話し方で、ここがいかに素晴らしい美術館かを語り始めた。なんでも彫刻家のカノーヴァや同じく彫刻家で画家のボッチョーニなど十九世紀の未発表の作品群が実に効果的にディスプレイされているというのである。
そしてなおも、このあとどこに行くつもりか、と訊かれたので、カラヴァッジオでも見ようかと、と言うと、ムゼオ・デル・ノヴェチェントは見たのかと尋ねてから、こちらのまだ、という応えを待ちかねたようにまた、その二十世紀美術館のことを語り始めた。モランディの名が出たので、思わず、ボローニャで二度も見たあのモランディ美術館のことを話しつつ、ミラノにも作品が沢山展示されていることがわかって、胸がはずみ会話がもりあがってきた。
そこにトーストサンドが運ばれてくる。こういう気分のときにかぶりつくのは、と思ったが、大きめのトーストを斜めに二つ切りにしてあったので、片方をよろしければ食べていただけません?とすすめると彼はうれしそうに受け取り、二人でバリバリかじりながら、またフォンタナや、キリコなどの話にまで及んだ。そのディスプレイがいかにすぐれているか、身終わって次の展示の場所に向うと大窓にドゥオーモとパラッツオ・レアーレが映し出されて目をうばわれるという仕掛けになっているという。まるで目に見えるような描写力に感動しながら、このあとすぐ行ってみます、とこちらから席を立つ。別れ際にくれた名刺からスイスでアートの鑑定の仕事をしているひとだということがわかった。005


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パラッツオ・レアーレの隣り、パラッツオ・デル・アレンガリオの二十世紀美術館、階段ではなく、螺旋にめぐらされた通路をたどるようになっていて、いまさっき耳にした解説、描写そのものの作品と窓の風景があらわれるのに、胸の奥底からjoy of recognitionの喜びがわきあがるのを感じた。
もうマリア像や、フレスコ画は十分、今回一番見たかったのはミラノの近代から現代の作品だったのだが、その希望が思わぬ出会いから叶ったのである。

2012年2月13日 (月)

一人で歩く

朝食後、早々に部屋替えをする。四階二つの部屋、とりわけバスルームの水の出を入念にチェック、蛇口が新式になっているほうを選んだ。ベッドはツイン、少し広め、ゆったり椅子もついていて、なんだか得した気分。引越しが厄介だったが、チップを渡して、クローゼットの衣類をハンガーごと運んでもらった。
電話が鳴り、心配していたことが本当になった。Eが発熱、マントバへのドライブや、ブリッジゲームなど、キャンセルとなる。彼は熱があるのに、わたしが一人歩きで大丈夫かと、心配するので、一人旅は慣れっこなのだから、むしろ、本領を発揮するときよ、こちらのことは忘れて、養生して、と励ます。
ちょっと、ほっとした部分もある。アムスからの連続行事で緊張し、こちらも疲れていたからだ。天候に恵まれ、寒さにふるえるほどではないが、溌剌とした気分になれない。
さあ、それでは一人歩きで出かけるか、だが、よっこらしょ、である。
ドゥオーモまでバス、二停留所まえでデモ行進があるから、と降ろされてしまった。前のひとに続いてぞろぞろ歩く。いつまでたってもドゥオーモが見えないので、向こうから来た人に訊くと、すごい人ごみだから、行かないほうがいい、などと言われてしまう。でも行き先はガレリアの書店である。と思ってみまわすと、いつのまにかガレリアの反対方向の入り口そばまで来ていた。日曜でもここは店が開いている。032

書店で兄のためにマリア・カラスの写真集を買う。もう過去のひとだからか、ようやく二つ目の店で見つけた。書店にいても広場からのデモの喚声が聞こえてくる。
スカラ座側に出て、二日後に来る場所をゆっくり確認、タクシー乗り場もチェック。
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マンゾーニ通りをなおも歩いていくとウインドウ越しに不思議な彫刻が見えた。人の出入りが多い場所なので、いったい何があるのだろうと入ってみると、そこはGallerie d’Italia、一番新しい美術館、しかも入場料が無料、そういえばEがぜひ案内したい、と言っていたところだと思い出した。

2012年2月11日 (土)

暮しているみたいな一日

朝食はアムスのホテルとほぼ同じメニュー、スクランブルドエッグ、ボイルドエッグ、ハム、サラミ各種、薄切りチーズ、シリアル各種、パンはパニーニ風と、めずらしくトースト用の薄切り白パン、トースター付きもあり、それに日本で言うクロアッサン、チョコやクリーム入りのイタリア語で言うとブリオッシュ、とびきりおいしいヨーグルト数種、それにあのレッドオレンジジュース、あとリンゴ、オレンジ、キウイなどのフルーツ、チョコケーキ、パウンドケーキまであって、そしてカプチーノが飲める。これなら七泊、満足のメニューだ。023_2

Eが迎えにくるまで間があるので、付近を散歩、ドゥオーモまでのバス停の場所を確かめに行く。わかりやすい道歩いて五分、バス停の前がジャスコみたいなスーパーマーケット。一階が生活雑貨、二階が衣類、靴など、食料品は地下、とりわけ生活雑貨は日本への土産にしやすい便利でしかも安価なものいっぱい、こういうものを見ると主婦としての喜びが湧きあがってくる。
右の写真はすべて洗濯ばさみ、デザインが豊富なのに驚く。
食料品売り場で、野菜を少々、イタリアに来たら必ず買うフィノッキ、フェンネルの根っこ、セロリの塊のようなもの、それとトマト、ルッコラ、レモン、そして濃厚でバジルの葉入りのオリーブオイルの小瓶、部屋で食べるサラダ用である。あと、ミルクとペスカテ(モモのお茶)も買った。

Eのアパートまでは徒歩距離、咳はあいかわらずだが、そのわりには元気そう。なんでもミラノ市民の半数が風邪なのだそうだ。家庭で目下料理担当の彼、ズッキーニ、ポルチーニ入りのリゾット、ローストポーク、フィノッキと杏のサラダなど、のメニュー、どれも美味だった。日本に来たときいっしょだった男性の友人、Lも参加。
仕事先から帰宅した、メグ・ライアンをきりっとさせたような美人の奥さん、弁護士になりたてのハンサムな長男、そして今回初対面のお嬢ちゃんが加わる。やはりママ似のチャーミング、可憐なひと、こんな彼女を射止めた果報者の日本人男性とはどんなカレなのか、それにしてもアッパレである。024_3

セラミックのナイフはとても喜ばれたが、刃物のプレゼントのときはこうする風習があるの、と奥さんから1セント貨幣を渡される。会話がはずみ、しばらく休んで、三時から徒歩距離十分ぐらいのところのV夫人のところでブリッジゲーム。昨年と同じメンバー八人。土産に持っていった柿の種にみな歓声。
Eと組んで今回も一位になれた。
帰り、ホテルの居心地を聞かれたので、例のバスルームのトラブルを話すと、Eは憤然として、フロントにかけあってくれ、翌日別の部屋にうつる手はずがととのった。


2012年2月 9日 (木)

ミラノのホテル

ミラノ滞在のホテルを決めるに当たって紆余曲折があった。スカラ座に行くのが目的の旅なのだから、少々無理をしてでもいいホテルに泊まろうと、当初スカラ座に近い四つ星ホテルをすでに予約していたのだ。
ところがEに連絡すると、あんな高い料金のところに七泊とはばかげている。ブリッジトーナメントの会場にも近く、自分のアパートにも近いところのほうが、便利だからと、探しておいてくれたのが、このHOTEL ZEFIRO。
レストランも併設していて、バスタブつきの部屋、一泊75ユーロ。リナーテ空港とドゥーモの中間くらいの距離に位置する中級ホテルである。
五階の部屋はインテリアも結構重厚な感じ、しっかりした金庫もついており、ダブルベッド、アムスの部屋よりは狭かったが、通りをはさんで住宅、アパートなどが立ち並ぶ景色も悪くないし、まあまあかな、と思った。
ところがクローゼットに予備の毛布がない。今の時期、いくら暖房が完備していてもキルトのような上掛け一枚では夜中に冷えてくるかも知れない。フロントのあまり愛想のよくないインドネシア人に電話して持ってきてくれるまで一時間くらいかかった。
レストランが開くのが7時半、それまでスーツケースの中身を出して、明日、Eのアパートで昼食をごちそうになるので、土産の品々などの用意もする。
レストランでは、まずプロシュートとモッツアレラを頼み、アペルティーボ風にちょっと甘みを加えた赤ワインを飲む。分量を加減してね、と頼んだのに、二人分ぐらいあったので、あとはミネストローネスープを頼み、パスタ入りにしてもらって、それでもう満腹。イタリアに来ると必ず食べる、マチェドニア(フルーツカクテル)ある?と訊くと、ない、の応えにがっかり。スープの味も悪くはなかったが、いつもここでというほどではない、と思ってしまった。
バスに浸かって早寝しようと思ったら、問題発生。バスタブの蛇口とシャワー口から同時に湯が出て、しかもバスタブはずいぶん使われていなかったのだ、色つきの水が出た。
またあの、呼びたくないフロント男性に来てもらったが、あやまりもせず、ともかく両方同時に出ても、使えるのだから、このままで、などと言うので、別の部屋を、と言おうと思ったが、中身を出してしまったスーツケースの事を思うと、面倒だし、もう疲れていて、クレームする元気も失せ、言いたい言葉を引っ込めてしまった。
このへんが75ユーロという値段の限界なのだろう。


2012年2月 7日 (火)

ミラノ、リナーテ空港着

アムステルダム早朝のシャトルの客はわたし一人、まるでハイヤーのよう、全速力でつっぱしってくれて、15分足らずで到着、飛行も順調、ミラノも晴天、定刻より早く、二時間足らずでリナーテ空港着。あとはタクシーでホテルに行き、ブリッジパートナーのEがホテルに来てくれてスケジュールの打ち合わせをすればよし、というところまできていた。
リナーテはこじんまりした空港、出口もわかりやすい。さて、タクシーはと…ところがそのタクシーがさっぱり来ない。左手のほうに労働者風の人たちが口々に叫びながら、群れをなしていて、タクシーの車は離れたところに並んでいるのに、動かないのである。乗り場を間違えたのかしら、シャトルバスらしい車のそばで立ち話をしている男性たちがいたので、訊いてみて驚いた。シニューラ、きょうはタクシーのショーペロ(スト)だよ!!
ええ~っつ!なにそれ!
わたしねえ、年寄りで腕も足も痛いのよ、こんな荷物で歩けないわ、だれか助けてよ、ここからわたしのホテルまでふつうならいくらなの?と訊いてみると、12ユーロだと言うので、倍払うからさ、ねえ、助けて!泣いちゃうわよ、ほんと。
イタリア語のクラスのときより、ぺらぺらとしゃべれた。
バスの運転手の一人が、タクシーの運転手を呼びとめ、おい、このシニョーラ、助けてやれよ、と声をかけてくれたのだが、オレ仲間を裏切れない、と去ってしまう。
ああ、どうしよう、と肩を落とすわたしにバスの運ちゃんはウインクして言った。泣くな、シニョーラ、オレがなんとかするからさ、このバスに乗って、まかせとけ、さあ。
発車待ちのあいだにEの家にTEL。日本人のカレがいるというあのお嬢ちゃんが出て、電話で初対面の挨拶、パパ、携帯持って出ています。そちらにかけてください、と言われ、ようやくEとつながる。バスから降ろされるところまで来てくれることになった。
バスは10分ほど走り、停留所ではない小さな公園のまえで停まってくれて、荷物を降ろしてくれた。ホテルまで歩いて一分ぐらいだから、と言う運ちゃんに心から感謝を示し、タクシー代に相当する紙幣を渡した。
再びEにTEL。どこにいる?と訊かれて、通りの名がわからない。通りかかった紳士を呼びとめ、すみません、この人にここがどこだか話してください、と頼み、居場所を教えることができた。
一年ぶりの再会。Eはなんか疲れた様子で咳をしている。もしかしてわたしがひいたのと同じ風邪かも? 
予定がかなり変更になりそうな予感におそわれた。

2012年2月 6日 (月)

ロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団

ホール内の座席は、思ったより後ろのほう、でも視界は十分開けている。次々と座を占める観客をじっくりと眺める。オランダはゲイの結婚を正式に認める国として知られているが、確かに妙に仲のよい男性同士の二人連れも多い。
ステージは雛壇のようになっていて、頂上に管楽器が並びその中央が打楽器である。建物の音響が世界一と言われているが、こういう配置も曲の音響効果をよくしているような気がする。その雛壇のステージの両サイドも観客席で、きょうはそこも満席である。
前回の指揮者サー・マルク・エルダーはステージの頂上から軽やかに降りてきたが、今回のクルト・マズアはご老体で、右サイド舞台下からゆっくり姿をあらわした。
待ちに待ったブラームス、大学祝典序曲、地鳴りのようなピアニッシモから徐々にクレッシェンドして大音響の美しいクライマックスへの高鳴りに身体も吸い込まれるような感動。
前回ここでドボルザークを聴き、この次はぜひ、ブラームスを聴きたいという願望が叶ったのを神に感謝。
続くモーツアルトのフルート協奏曲のときはまさに時差の影響で眠気をもよおしたが、終わったとたんブラボーの合唱、満場総立ちで目が覚めた。なにしろ2メートル近い人たちが立つと、大木樹林に隠れた雑草のようにうずもれてしまうのだ。
休憩あと、ベートーベンの『田園』、近づく春の兆しを早くも実感させてくれる心地に浸った。
マズアの指揮は静止しているのではないかと思うほど動きが少ないが、ここぞというときのひとふりはさすが素晴らしい。
終了は十時半過ぎだったが、ホテルが近距離である幸運をあらためて感じる。今夜の衣服を詰め、明日九時チェックアウトの準備をととのえつつ、耳の中にはまだブラームスが鳴っていた。

2012年2月 4日 (土)

コンセルトヘボウ

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コンサートは七時半開演なので、コンセルトヘボウのカフェで夕食をとることにして六時すぎに、ホテルを出る。
カフェは同じことを考えているひとですでに満員だった。三年まえに来たときは親切なウエイトレスがメニューのアドヴァイスをしてくれたのだが、見渡したところ学生アルバイトみたいなウエイターばかりで、相談するどころではない。英語のメニューをもらうだけでやっと。
本日のスープはオニオンだというのでそれと、チキンサンドをオーダー。ところが前にすわっている老婦人のところに運ばれてきたスープを見るとかなり大きなカップの濃厚そうな色のスープ、刻んだチーズも別皿でついていて、今朝食べたあの黒いパンが二切れもついているのである。これにチキンサンドはtoo muchだと思い、ウエイターを呼びとめてキャンセル、かわりにフルーツジュースをオーダー。それを聞いていた前の老婦人、白濁した目を向けて二コリとした。
スープは確かに濃厚だったがいい味で満足、だけどやはりもう少しなにか食べたい、野菜かなにか。そこでメニューのクリスピー・ヴェジタブル、ビーツ味のディップつきというのを追加注文。ところがそのクリスピーとは野菜の揚げせんべいのようなものが山もり、あれ~っつ、という顔しているわたしに老婦人はToo much again?とニヤッっと笑った。
これまた小さな不運、大きい不運をくいとめてくれているのだと思うことにする。

2012年2月 3日 (金)

食べて、歩いて

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朝の食べ物は大事である。朝食は別料金、13ユーロだったが、まことにわたしの好みに合っていた。
ヨーロッパに来て、何がおいしいかと言ったら、パンとすこぶるつきクリーミイなヨーグルト。
そのパン、オーガニック材料を使っている、このホテルのパンは甘いものは全くなく、黒、白、ゴマ、ナッツ入り、パニーニ風、どれもでしゃばらない、それでいて、パンとは本来こういうものではないかという味なのである。これに比べると日本のパンはバターや玉子が多すぎるのか、それとも粉の質が違うのか、なにかもちもちしていて、パンであることを主張しすぎているという気がする。
わたしの部屋から見える風景もよかった。小学校の裏側に面しているのだが、大きなガラス窓から、楽しそうな授業の様子が見えるのだ。インテリアもカラフルである。旅をしていて、その国の日常の一こまを宿の窓から見られるというのは、心が安らぐ。

お腹が満足したところで散歩に出た。大通りは自転車専用道路が車道の傍らを占めていて、人の歩道より広いのでついつい、間違えて侵入しそうになる。
レンブラントもゴッホももう見てしまったので、ふと目についたダイヤモンド博物館なるところに入る。王室のある国々の王冠や、装身具が飾られていて、王妃や皇太子妃の写真もあり、雅子妃の笑顔もあった。
興味深かったのは五つの石が並べてあって、どれが本当のダイヤモンドかを当てるウインド。ジルコン、トパーズ、人工石二種、わたしは当てられなかった。あまりにも類似している。視力が弱ったせいなのかも知れないが、所詮ダイヤなんてそんなもんだと思ってしまう。

戻って、熱いシャワーを浴び、誘眠剤を四分の一服用してぐっすり昼寝。
夜のコンサートにそなえて体調をととのえた。

2012年2月 1日 (水)

アムスのホテル

大通りに面した、白い建物、看板も見逃してしまいそうな目立たぬホテル、コンシャスホテル・ミュージアム・スクエア(Conscious Hotel Museum Square)、ここに決めて大正解だった。
オランダ独特の質素、清潔、白とグリーンを基調にしたインテリア、ヘルシー、オーガニック、エコをめざしたシステム、余計なもの一切ないが、必要なものはすべてそろっている客室、大きなバスタブ、ダブルのベッド、金庫つきクローゼット、これで三ツ星、一泊7500円とは信じられない。
しかも、しかも、コンセルトヘボウまで歩いて三、四分の距離、美術館、ブランド通りまですべて徒歩距離である。
着いた日、フロントは感じのよい、青年、てきぱきと応答し、本来はセルフサービスなのだろうに、わたしの年齢を考慮してか、ハウスキーピングの女性に荷物を運ぶように指示してくれ、すぐに帰りのシャトルの予約もすませてくれた。
フロントで売っているスナックも低カロリーとわかる製品、そのひとつ、ドライフルーツ入りのホワイトチョコバーを買ってみたが、おいしかった。
荷物を運んですぐ、ともかくコンセルトヘボウにチケットを受け取りに出かける。アムスの一月は雪降り、道は凍っていてすべらないようにゆっくり歩いたなどと、聞いていたが、その日は日本より暖かく、ホールまでほんと、目と鼻の先の距離、足取りも軽く到着。チケットオフィスの女性も親切手早く、予約封筒十数枚から選んで渡される。
これなら明日も有意義に過ごせそう。
携帯にオランダ時間が出ないので、ドコモ呼び出し、ホテルにかけてもらい、遠隔指導されながら、待ちうけの表示を変えるのに、しばし時間を要す。
浴室にはシャンプー、リンス、ボディソープを一体化した液体ジェルがびんを逆さにした形で備え付けてあるのが、どこをどうしたら、出てくるのかしばしわからず、本体を押せば出るということがわかるまで数分かかる。
事ほど左様にメカがだめ。
そんなんでよくやってるよ、という夫の声が聞こえそう。

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