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2012年1月に作成された記事

2012年1月31日 (火)

2012年アムステルダム、ミラノの旅

011


アムステルダムまで

成田でのKLMの対応は親切。重いスーツケースを自分で持ち上げずに済む。
エコノミーコンフォートはおよそ五十席分が別セクション。エコノミーの座席四っつ分が三つになる広さで、奥行きも十分あるので、靴のひもをかがんで結べるくらい。しかも私の隣は空席だったので座席二つ分の個室があたえられたようなゆったり気分、到着までのおよそ十時間はあまり苦痛を感じなかった。食事はベジタリアンにしてみたのだが、野菜のいっぱい入ったトマト味のパスタもおいしく、サラダもポテト入りだったり、チーズと豆腐がまざったような工夫があったり、意外な満足感。
イヤホンは耳に当てる開放型のせいか、映画のせりふが聞きとりにくく、今回はあまり映画を見ないでもっぱらクラシック音楽を聴いて過ごした。
着いてから問題発生。腕時計の電池が切れてしまったのに気づき、バゲージクレイムに行くまえに時計店で替えてもらう。およそ二十分ロスしたため、わたしのフライトのコーナーがわからず、表示も消えてしまっており、探すのに数分かかり、やっとたどりつくと、私のスーツケース一つだけが、遅いじゃない、というようにくたびれた姿で、回転ベルトをまわっていた。
さあ、このあとは二度乗車経験ある、シャトルバス、往復チケット買って、バス停で待てば簡単と思い込んでいたのだが、なんと似たようなシャトルがいっぱい並んでいて、どれがそうだかわからない。おまけに二つのスーツケースを積んだカートが重いのである。ハンドルを押し下げて動かすのは日本と同じなのだが、なぜだか、こちらの人の力持ち向きにできているのか、押し下げるのが難儀。それでなくても両腕が痛いのに、どうしよう!!
だれに訊いてもわからず、とうとう一般バスの運転手の人に声をふりしぼって訊いたら、幸い女性運転手さんで、わざわざ、降りてきて、ほら、あの青いバスよ、と教えてくれた。三年まえとバス停の位置も変わっていたのである。
ま、いいか、こういう小さな不運が大きな不運を防いでいてくれているのだ。

2012年1月17日 (火)

そして…

こんなこともあろうかと、早めに買い物のほとんどを済ませておいてよかった。
夫が、絶対行かせてやるから、ともかく三日、なにもしないで寝てろ、と言ってくれたが、なにもせずにというわけにもいかず、それでもパソコンはいじらず、あり合わせのもの食べて、ともかく薬だけはきちんと飲み、一度に七錠ものむほどの量だったが、胃薬と合わせてのんでいたら、鼻水、くしゃみ、発熱から、咳に移行、そのあたりが一番つらかったけれど、出発まであと、二日でこれなら行けそうという状態まで回復。
そして前日三十時間まえ、KLMのインターネットチェックインを早朝六時に、ついでにアップグレードし、エコノミー・コンフォートにする。
去年BAの同種の席、エコノミー・プレミアムにして、あの震災後の飛行変更五時間オーバーにもそれほど苦もなく耐えられた。
KLMのこの席も13250円オーバーだが、よさそう。しかもアムスで二泊。着いた日から翌日夜までゆっくりできる。
そしてそのまた翌日はゆうゆう昼過ぎにミラノへ。およそ二時間で到着、それに郊外の安全で小規模のリナーテ空港。ホテルまでの距離も十五分ほど。
こういう旅程をとれたのも、一人旅十六回だからこそ、と、やれやれである。

そういうわけで無事出発できそうです。
A.Junkoさま、Seikoさま、Kikukoさま、Tamakoさま、Harukoさま、お気遣いのお言葉ありがとうございました。
いつもアクセスしてくださる皆様、感謝しております。
このブログ、月末まで休ませていただきます。

2012年1月14日 (土)

まさかの出来事

その日の朝、夫はいらいらしていた。マージャンの約束があるのに寝坊をしたのだ。朝風呂に入ろうとしたら、わたしがシャワーを使っていたのが、また間が悪かった。
出かけるとき、玄関まで見送って、こういうときこそ、転ばないように、せかせか歩いたりしないでねと言って送り出し、一息ついたら、おーい、という声がしたのだ。
えっつ? どうして呼んでるのかしら、ドアを開けて仰天した。
四段ほどある浅い階段のアプローチの下に、仰向けになって倒れている!!
彼は近頃、座りこむとひとりで起き上がるのがむずかしいのだが、カエルが仰向けになって起き上がれないでいるみたいに、もがけども、どうにもならないのだった。
ともかく頭をささえ、つかまりどころを探し、やっと起き上がらせながら、思った。これは大変なことになったかも知れない…
それなのに、立ち上がると、すぐ、すたすた歩き出してしまったのだ。
わたしは薄着で飛び出したので、ともかくコートを着てこようと家に戻り、あとを追いかけてみたが、もう姿がなかった。
携帯も通じず、不安でならない。マージャンクラブの名も知らない。夫のデスクまわりを探しまくってマージャン仲間の同級生の電話をつきとめた。

無事着いたと言う知らせがあってから、六時ごろまでゲームをしたらしい。わき腹に痛みがあると知らせがあったので、診療時間が六時半までという整形外科に電話し頼みこみ、受付してもらい、保険証を持って医院の入り口で、タクシーに乗ってくる夫を待った。

数枚のレントゲンは異常を示さなかった。医師が一番心配した尿の出血も見られなかった。推量では肋骨にひびが入っているのではないか、ということだが、現在は大きく息を吸ったり、大声を出したり、くしゃみをしたりすると痛みが走るほかは、歩行などに影響もなく、外出を減らす程度でいられる。

新しい家というのはどんなによく設計されていても一年ぐらい住みこなしてみないと、未然に防ぎようもないすきがある。それを夫が身を犠牲にして教えてくれたようなものだ。

わたしの方は翌日、カトリック教会の葬儀と、夜のイタリア語レッスンに出たあと、鼻水とクシャミの風邪になり、とうとう身体が悲鳴を上げてしまった。
もうどうにでもなれ、と、覚悟がすわった状態で目下ベッドの中である。


2012年1月10日 (火)

身体をいたわる日

日曜に45分マッサージしてもらったのに、もう肩と背筋がパンパン。これをなんとかしておかなければ、最悪肩こりからくる風邪をひくことになる。そこで、椅子によりかかって思いっきり伸びをしたり、仰向けに寝てストレッチしたり、バイブレーターかけたり、中山式のグリグリでツボおさえしたり、ともかく励んで入浴、熱いシャワーを肩と背筋にかけて、早寝をしたら、少しましになっていたので、最後の仕上げに泳ぎにいくことにした。
濃紺の短いダウンジャケットに似合うワインカラーの、シアトルで買ったザックを背負い、同色のマフラーと手袋はめて、まずはセラミックナイフを買いに川崎の東急ハンズへ。
我が家から一番近い東急ハンズ、川崎駅徒歩二分、雑踏も抜けずにすむ。おまけにワンフロアーで見やすい。
あった、あった、黄緑色の京セラ製、ナイフとおろし金のセット、3000円以下で購入。ついでに旅行用品、キッチン用品もまとめて買う。店員もこちらの買いたいもののあり場所を熟知していて、気持がいい。
買いたいものが買えた心地よさで元気が出て、緑が丘のプールへ。祝日だが空いていて、自分の場所を確保して泳げた。うれしいことに恐る恐るやってみたバックが、痛みをほとんど感ぜずにできたのだ。ゆっくり、ゆっくり歩きも入れて三十分。
肩と背筋の凝りは完全に消えていた。
同級生と電話で話す。
五十肩っていう肩から腕にかけての痛みね、あたしもやったよ。六十のとき、医者にも行かず、マッサージもせず、一年かかって直った、と思ったら、左にも来たのよ。ま、そんなもんよ。あたしもうすぐ75だもんね。
そうか、彼女、遅生まれだったんだ。

2012年1月 8日 (日)

しばし目を奪われるとき

イタリア男はまめだなあ、と思う。
ブリッジパートナーの彼は一ヶ月に一度くらい、とても珍しい画像やスライド写真を世界中の彼の友人男女30人以上にメールの添付で送ってくるのである。

これまでもダリの恋愛をテーマにした作品集だったり、鉛筆のミニアチュア彫刻作品だったり、ストリートアーティストの立体画を集めたものだったりしたが、去年の年末には世界の珍しい穴の写真八枚が送られてきた。
地球上の自然がつくりだした巨大な穴、山上、地表上、海上、湖上、氷河上、など、信じられないほどの驚異の映像の最後は、階段教室のようになった議会場の底で審議をしているイタリア議会、底なし暴落のユーロを連想すると、これが一番脅威だと印刷されたイタリア語のユーモアあふれるコメント。

そして明けて新年、こんどはヘリコプターと熱気球から撮影したという、フランスの写真家、Yann Arthus-Bertrandの世界で一番美しい風景35枚。
空からの映像は自然ばかりか人工の美もこよなく神秘性を帯びさせてしまう。あの、わたしの大嫌いなドゴール空港でさえ、曲線美に目を見張らされてしまった。

少々疲れているときを悟ったかのような、ちょうど美しい、珍しいものが見たいというのを察したかのような、間のよいプレゼント。

こういう夫を持って生活している感想はどんなかを、もうすぐミラノで会う、彼の、メグ・ライアン似の夫人に訊くのが楽しみになってきた。

2012年1月 4日 (水)

今の世を憂うとき

ゆうべもテレビで世界最高頭脳決定戦『ブレインWカップ』という番組があってで、東大とハーバードの決戦になり東大が勝った。今日も今日とて『天才の育て方』という番組の大見出し、出版のほうも東大に入る子どもの育て方や頭のいい子に育てるしつけ方などの本が目白押しである。
小さい子どもを持つ母親に、どれほどのプレッシャーを与えていることか。成績が思うようにのびなかったりすると、母親は自分の育て方が悪かったのかなどと自分を責めたりするものだ。
でも73年生きてきて思う、頭のいい子をめざすよりまえに、もっと根本的な大切なことがあるのではないかと。
食べ、排泄し、眠り、子どもは育っていく。それが順調にいくように育てること。世界にたった一人しかいない、自分という人間を好きになるように育てること。
東大に入れなくてもいい。天才でなくてもいい。自分の好きなことを見つけて、それをしているときが楽しいという気分を持てるように育てること。
それは何もこういう風にすべきだというやり方があるわけではない。自分がそういう生き方をしていることを子どもに見せればいいのだ。
わたしがこの歳になって、ときどき身体をつきぬけるような喜びや感動をおぼえるのは、生きていくために大切な何かを共有しているという気分を、国や生まれの差を越えてわかちあえるときだ。美しい自然を見たり、前人の残した偉業に感動したり、日常の小さなことの感じ方に共感を得たりしたとき。

フィレンツェのジョヴァンナの愛猫カリオが死んだ。彼女は家の中が空っぽになったように感じると書いてきた。我が家のチャイも老いが進んでいる、だから、彼女の気持がわかるのである。
わたしがホームステイしたとき、カリオはわたしの部屋にきて、わたしのそばで寝てくれた。そして明け方、始発のフライトで発つとき、ジョヴァンナは寝ていたが、カリオが玄関口まできて見送ってくれた。
そのことを彼女にカリオの写真入りで知らせられることがうれしいのである。お互いが持っている動物への愛情をわかちあっているからである。

2012年1月 2日 (月)

元旦に

喪中で明けた元旦の食卓は起きるのもバラバラ、なので、起きてから雑煮の出汁をとり、小松菜をゆで、ささみの削ぎ切りに片栗粉をまぶして熱湯にくぐらすことをする余裕も十分にあった。紅白ナマスユズ入り、五目きんぴら(椎茸、ゴボウ、レンコン、シラタキ、ニンジン入り)、サーモンマリネ、ゴマメ(オーブンで焼いて醤油、みりん、煮詰めたものからめ赤唐辛子少々と白ゴマふる)、二色玉子、そして自慢の黒豆、を供す。
喪中にしてみて、これだけの料理さえしておけば三が日を楽に過ごせそうだと、あらためて予測でき、これも主婦歴五十年にして悟りを得たということかと思った。
午後になってから、近くの神社へ初詣に行く。羽根つきの音もせず、河原で凧あげしている風景もなく、行き交うひとにも晴れ着姿なく、地味で質素な正月。
神社の行列に驚いた。まわりを一周するぐらいの人出である。
急ぐ身でもないので、後尾につく。
丘の上の神社なので、急な階段が多いせいか高齢者の姿が少ない。苦もなく上れる足をしていることを感謝する。
去年と違ったのは皆が手洗い鉢のところにきちんと並び、清めをしてから参拝している姿だ。昨年の破魔矢を炎の中に投げ、新しいものを買って帰宅。

メールを開けたら、フランチェスカから謹賀新年カードの添付つきメールが来ていた。ところが知人のフランチェスカが三人いるのである。イタリア語教師のあのひとだと見当つけて、喪中であること、引越ししたこと、体調のこと、その後のイタリア語のことなど書く。それが結構苦もなく書けて、やはり継続は力なりかな、と実感。
するとすぐに返事が。それを読んでみると、ローマ在住なのだとわかり、そうなるとどのフランチェスカだかわからなくなって、二年まえまでレッスンメイトだった、若い女性に電話して確かめなければならなくなった。
久しぶりの長電話、イタリア語をめぐる共通の悩み、あれこれ、またぜひ食事をいっしょにという約束もでき、こういう再会を可能にする新年がうれしかった。

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