自分白書
一年間のブログを書籍にしたことの利点が多々ある。
去年のいまごろ、一週間外出がつづいたあと、風邪ぎみになって、マッサージに行ったり、ハリ治療をしてもらったりしていたこと、下痢が続いて病院に行ったこと、が綴られていて、つまりは似たような症状が今年も起きているのを知り、自分の身体のありようがわかってくる。
パソコンでクリックして調べればわかることではあるが、一つのブログは出てきても前後の項目を一度に見ることはできない。書籍のありがたさはそれが容易に見渡せることだ。
電子辞書と辞典を読むことの違いに似ている。
腕の痛みが始まったのも、今ごろだったことがわかった。
そして今、痛みはうすらいで、それが一番顕著にわかるのはプールで泳ぐときである。クロールとバックを交互に、ウオーキングも混ぜながら、三十分を過ごすのが苦痛でなくなった。
これは回復というべきか、身体の収まりと言うべきか、自分のからだはこういうものだという見当がつくようになった。
ブログを書きたいと思うときは思考のなかにこれを記しておきたいという自分を強く突き動かすようなものが芽生えるときで、その記録を眺めていると、自分の性向もわかってくるのである。
これを記しているのは現在午前五時、四時ごろトイレに起きてから眠れなくなって、『見てわかる、キッチン断捨理』という雑誌を読み、自分のキッチンが気になってうろうろしたあと、パソコンのまえに座ることにしたのだ。
来年生きていられれば、ああ、今年も眠れずにこういうふう、などと思うのであろうか。
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