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2011年11月に作成された記事

2011年11月28日 (月)

トゲトゲしい身体

三年まえのトリノホームステイのころから始まっていたのだが、靴によっては右足薬指がチクチク痛むのが気になっていた。
今年になってそれがかなり顕著になってきたので、整形外科に出かけた。
レントゲンの結果では骨にトゲが出ているらしいとのこと。
目下、はいても痛くない靴を選び、足の裏に十文字のテーピングをしてしのいでいる。

さかのぼること七年まえ、パルマ、フィレンツェに出かけたときは、かかとにトゲが出ていたのだった。痛みに対応する特殊な型の靴をはいて出かけたのだが、パルマの街をあてどなく歩きすぎて、かかとが痛みだした。
そんなときふと目に入ったのが靴の修繕専門店。
敷き皮が十数種類あり、わたしがたどたどしいイタリア語でho un problema,qui(ここが痛いの)と言ってかかとを持ち上げて指さしたら、主人、大きくうなずきSi, signora、靴のサイズを訊き、かかとの部分だけの敷き皮を何枚も出してくれて、試させてくれ、完璧にやわらかくて、靴の履き心地が一大変化するスグレモノを選ぶことができた。
あの職人ダマシイ、パルマならでは、と感激したものだ。
そしてそのトゲもいつのまにか消えてしまった。

今度の別口のトゲ、一ヶ月検診できょう、再び整形に出かけたら、中敷を注文できるということで、今週寸法をとるという予約をした。保険が利くのだそうだ。
日本の技術もパルマ並みに追いついたのかも知れない。

2011年11月27日 (日)

続 自分白書

上腕の痛みをかかえるようになって一年、ようやくうすらいではきたが、ブログを繰ってみると、ずいぶん努力してきたことがわかる。
横になるときは痛い右腕が下にならないように、もうひとつ別の枕を二つに折って、背をもたせかけるような寝方にしたり、プールでは泳ぐのをよして、水を搔くようにウオーキングを盛んにしたり、パソコンもクリックを右手でやらないで、左手を使うようになった。
今ではなれて、左のほうがやりやすいときもある。左で検索し、右でメモをとったりもする。
夫が常々いうのだが、痛み日々新たなり、で、きのう痛かったところがよくなっても別のところに痛みが出たりする。
苦にしているときりがないから、こういう風に年取ってくるのだと客観的にみることにも慣れてきた。

わたしが何を考え、毎日をおくっているのか、夫にも知ってもらいたいとブログ本を渡してみた。
ちょうど、読むものをきらしたから、読んでみるか、とか言っていたが、しばらくすると私の部屋までやってきて、「いや、面白かったよ。良く続けたね、感心した」と言ってくれた。
およそほめ言葉を口にしない人なのを知っているので、思いがけずブログ本からもらった新鮮な喜びを感謝したのだった。

2011年11月25日 (金)

自分白書

一年間のブログを書籍にしたことの利点が多々ある。
去年のいまごろ、一週間外出がつづいたあと、風邪ぎみになって、マッサージに行ったり、ハリ治療をしてもらったりしていたこと、下痢が続いて病院に行ったこと、が綴られていて、つまりは似たような症状が今年も起きているのを知り、自分の身体のありようがわかってくる。
パソコンでクリックして調べればわかることではあるが、一つのブログは出てきても前後の項目を一度に見ることはできない。書籍のありがたさはそれが容易に見渡せることだ。
電子辞書と辞典を読むことの違いに似ている。
腕の痛みが始まったのも、今ごろだったことがわかった。
そして今、痛みはうすらいで、それが一番顕著にわかるのはプールで泳ぐときである。クロールとバックを交互に、ウオーキングも混ぜながら、三十分を過ごすのが苦痛でなくなった。
これは回復というべきか、身体の収まりと言うべきか、自分のからだはこういうものだという見当がつくようになった。

ブログを書きたいと思うときは思考のなかにこれを記しておきたいという自分を強く突き動かすようなものが芽生えるときで、その記録を眺めていると、自分の性向もわかってくるのである。

これを記しているのは現在午前五時、四時ごろトイレに起きてから眠れなくなって、『見てわかる、キッチン断捨理』という雑誌を読み、自分のキッチンが気になってうろうろしたあと、パソコンのまえに座ることにしたのだ。

来年生きていられれば、ああ、今年も眠れずにこういうふう、などと思うのであろうか。


2011年11月22日 (火)

歯なしになるまえのはなし

今週いっぱい、食事の際は右側でしか噛めない。
左奥歯が欠けてしまって、仮処置がしてあるからだ。

歯科医に行くまえに、ブリッジのリーグ初試合があった。結果は大敗したのだが、初対面のチームメイトから壮絶な体験を聞いた。
スケートリンクでアイスホッケーの選手に体当たりされ、真っ逆さまにリンクに落ちて、脳挫傷、肋骨骨折十本以上、頚骨損傷の大怪我をし、あの震災の日、訴訟の裁判に勝利したのだが、いまだ脳挫傷があり、仰向けに寝られないので、歯科医にかかれないのだという。

数年ぶりに歯をけずった。高齢者はショックで体調不全になるひともいるらしく、歯科医はかなり気を使って、何度も声をかけてくれた。たしかにガリガリ、キーンは恐怖に近い衝撃を感じる。
あのチームメイトのことを思った。
彼女はよく生還したものだ。ブリッジというゲームは、パートナーとのコミュニケーションで楽しさ半分苦しさ半分ではあるけれども、なにもかも忘れて集中できる稀有な魅力がある。

欠けた歯の残りもひびがいっぱい入っているがとりあえずは三年ぐらいもつ処置をしておくと、いうことだった。この歳でまだ全部自分の歯というのは恵まれてはいるが、歯も老朽化なのである。
二十数年まえ、初めて診察してもらったとき、超ハンサムだった医師も初老のやつれが見える。
元ハンサムドクターに<ありや、ひびだらけだ>なんて言われるのはショックだったが、治療するほうも、されるほうも、老いは容赦なく、おとずれているのである。

2011年11月20日 (日)

ココログ出版体験記

ブログ入力するたび、一冊からでも本にします、というココログ出版の広告をいつも視界に入れていた。
一周年を経て、これからも続けられそうだと確信できたので、一年ごとに本にして遺しておきたいと思うようになった。
自費出版のように人に配るというのではない、自分のための参考書のようなものだから、せいぜい二冊でよいと決め、見積もりをとる。
写真もカラーで入れたので、予測どおり、一冊9879円也。
確認のためのPDFのアドレスが貼ってあったが、これがエラーが出て開けない。校正なしで、電話の交渉がまったくできない不便はあるが、推敲は十分したブログであるし、相手はまがりなりにも出版社なのだから、編集の常識はあるだろう、と期待して、注文。
一ヶ月ほどして送られてきたものはソフトカバーのせいもあるが、ブログをまとめたものです、というだけのシンプルそのままの出来上がり。
ま、いいか、こんなものだ、と思ってパラパラとめくってみて驚いた。
最初の数編のブログ、改行がグチャグチャなのである。

このころはまだ、ワードで書いた文をドラッグエンドドロップしないで、<記事を書く>をクリックして出てくる、本文のところの小さいスペースに書いていたので、推敲はできても改行などに入力ミスがあったのかも知れないが、それにしても、気づいて指摘してくれるぐらいの親切はないのか。
もしこちらのせいだから、知らないというのであれば、校正なし編集の場合、PDF確認が重要なので、くれぐれもチェックすべき、の一文を入れてほしい。

早速ココログ出版に抗議のメールを送った。
返事は思った通り、PDF確認通りのデザイン、レイアウトを製品化しているだけ、校正工程はないのだという、モンギリ口調の文が並べられている。
憤懣やるかたなく夫に話すと、「ババア取り扱いマニュアル」の一番右にあるやつだな、と
ワケ知り顔。
再び確認用に送られてきたPDFをクリックするも、やはりエラー。
まだあきらめられない。このエラーのことを持ち出して、今回のことは<製作工程に起因する乱丁または落丁などの場合にかぎり商品を交換する>という項目に相当するのではないか、とメール。

二週間ほどして返事がきた。改行が修正されたPDFが添付してあって、わたしの主張が通ったのであった。
夫に報告すると、「うるせえババアに根負けしたんだろう」

<よかったね>ぐらい言ってくれればいいものを。

2011年11月17日 (木)

和服処分

いよいよ着物の最終処分にとりかかった。これで三度目の処分である。
自分が嫁入りのときに持ってきたものは最初の処分でずいぶん減ったが、義母や実母から引き継いだものが二度目の処分でも捨てきれず、まだ残っている。
これまでご供養だと思ってずいぶん活用し、一時期三年ぐらい国際婦人クラブの会合はすべて着物で通したことがあった。
いまはもう着物を着ることはない。
腕の痛みが居すわっている間は帯を結ぶこともできない。
お茶席はひざが痛くなってすわれない。
着物でおしゃれをする時期は終わりを告げたという気がする。
でも帯をヴェストとバッグのおそろいにして、海外で着ると、ミラノファッションに負けないくらいのおしゃれになる。
紬もチュニックにすると上等なよそいきになる。
そういうこともあるので、帯と紬類はまだ捨てられない。

いろいろ選んで十点以上のものを処分することにして、ネットで探した店と、自由が丘の呉服店のちらしで見たところに電話してみた。
「引きとるのは正絹のみです。二十年以上経った物はダメです。十五点以上あればうかがえますが、いま予約いっぱいなので、二ヶ月先になるかも。それでもお急ぎというのであれば着払い宅急便でお送りください」切り口上の応対。
ネットで探した店は「十点以上、あまり古いものはダメ」と言ったけど、「幸い明日ならそちらの方面にうかがう予約がありますから、よろしければ」とちょっぴり親切。
そして、呉服屋の番頭さんによくある風貌のひと、あらわれる。
四十年まえのものも、刺繍や、織りの珍しいものがあるので、こっそり加えておく。
これ、五百円、これ千円、それ以上の金額のものはなく、これは値段なし、が半数以上。
大島紬も千円、占めて4500円也であった。
それでも丁寧に見てもらえて買ってくれたのだ。満足であった。
桐の箪笥の中はすっきりして、何がどこに入っているか明瞭になり、さわやかな気分になれたのである。

2011年11月14日 (月)

住まいの仕上げ

新築なった我が家で一つだけ不満があった。
玄関が通りに面しておらず、建物左に入ったところにあるのだが、その角の部分に電気とガスのメーターが重ねて設置されてしまったのだ。
こんな目立つところではなく、どこかもう少し奥にできなかったものか、文句を言ってみても、気がついたのは設置されてしまってからで、ああ、もっと頻繁に見回りにくるべきだったと、悔やんでも後のまつりだったのである。

こうなったら、ここの部分をなんとか隠せないものか、木を植えるのはどうだろうかと、園芸店に見にきてもらった。けれども五十センチ掘らねばならず、コンクリートの基礎部分にぶつかってしまうので、ダメ。
ハウスサインを設置したら、と輸入の園芸グッズをおいている店なども見てまわったり、ネットで検索もしたが、適当なものがない。

建設当時の現場監督に相談してみるといいアイデアをくれた。
トレリスで囲ってハンギングバスケットの花を吊るしてみては?
きょう大工さんが親子できてくれて、一日作業。四角く囲ってドアが開くようにしてくれ、メーター表示のところが見えるように細工、下部に水がたまらないように穴まで開けてくれて、完成。通りに面したところにも玄関がわにも花が吊るせるようになる。

不満であった場所が生き返って小住宅の素晴らしいアクセントに変貌した。

ついでにベッド脇に棚をつくってもらったり、コートハンガーをつけてもらったり、まな板を削りなおしてもらったり、ああ、職人さんてスゴイ!
立派な跡継ぎをしたがえた棟梁の腕に感動しっぱなしの一日であった。

2011年11月11日 (金)

花の饗宴

001


左側の朝顔が開花し、自室のガラス戸からの眺めはまさに望みどおりになった。

朝顔の下のベコニアは仮住まいのときに求めた苗が、なんと年越ししたのである。
マンションの一階だったので、小さな中庭にじか植えしたのだが、土がよほど良かったに違いない。

実母はgreen thumb(園芸の才)を持ったひとだった。彼女が挿し木をするとすべて根付き、開花するのだった。

わたしは不精で挿し木などしたこともなかったのだが、今回のこのできごとで、もしかしたら、遺伝子が遅ればせながら働きだしたのかも、と期待したりしている。

2011年11月 9日 (水)

グレン・グールド

渋谷東急本店の前を通り過ぎて百メートルぐらい歩いたところにある、ちょっとレトロな映画館UPLINK、看板も出ていないので、すぐには見つからなかった。
座席がパイプ椅子で、座ると足が床にとどかないくらい高くて、いくぶん不安定、でも場内はウイークデイの昼なのにほぼ、満席。
皆グレン・グールドを見に来ているのだ。
『グレン・グールド:天才ピアニストの愛と孤独』先月に続いて二度目のグールド映画
Y子さんと観る。

先回の『グレン・グールド27歳の記憶』は若い日々を追った短いものだったが、今回の作品は五十年の生涯で出会った人々の証言を多数加えた本格ドキュメンタリー。
音楽家、友人、仕事仲間、恋人たちがそのときどきのエピソードを語り、このエキセントリックな言動の多い、天才ピアニストの人間としての姿をあらわにしていく。女性たちの今の姿はみなオバアサンだ。けれども画面では若き日の美しい彼女たちの姿を即座にふりかえり、歳月がもたらす意味もおしえてくれる。

日本に来たこともないソリスト、CDや映像からだけしか知りえない演奏家を没後三十年になるのに、なぜこれほど人々は慕うのだろうか。
歌いながらバッハを弾くひと。退屈な宗教音楽のイメージのバッハを変貌させる、音符がきらめきながら空間にちりばめられるように。

青柳いづみこ著『グレン・グールド未来のピアニスト』をY子さんから借りて読んでいる最中なので、joy of recognitionがより深まり、苦悩するグールドが理解できた。
<演奏という、その場で消滅する藝術に携わっていたこと>がグールドを、ただ天才でいられなくした、と解釈する青柳さん、どちらが主導権を持つかで話題となったバーンスタインと共演したブラームスの、ピアノ協奏曲第一番、ほかの演奏家と比較するためにギレリスやツィメルマンの演奏時間を調べて、納得させてくれる説得力ある著書の内容に感動した。

まだ生きていられるあいだにできるだけ、精一杯感動していたい!

十二月にはこの青柳いづみこさんの『うたうリスト』コンサートにY子さん夫妻と出かける。

2011年11月 7日 (月)

手紙

Ayaさん
ご丹精のバラ、色とりどり楽しませていただきましたが、もう咲ききったという感じです。そしてあの、いい音色のカウベル、ドアの取っ手にまきつけて、満足しています。
友人の訪問客はあなたが、初めて、辛らつな批評をする方だし、しかも建築設計のご造詣が深いあなたに来ていただくのはちょっと、こわいという感じがしていました。でもダイニングキッチンに入られるなり、いいじゃない!と言ってくださって、居心地よさそうに長時間の会話を楽しむことができ、安心しました。
我が家はソファをおく場所がないので、お客様にくつろいでいただくためには自室に入っていただくしかないのだけれど、満開のヘブンリーブルーに目を細めてくださり、PC用のゆったり椅子に落ち着かれて、またおしゃべり。こういう親しみかたもいいのではないかと少々、自己満足。

「ばぁばのうちは団欒の場所がないね」、と孫息子にいみじくも言われてしまったのですが、確かに同居の独身息子とはもうずいぶん長いこと、会話らしい会話をしていません。毎日、ひとりで起きて、週末は一週間分の洗濯もし、家賃も少々いれてくれる、まさに下宿人ですが、ゆうべも珍しく夕食を食べるというので、いろいろ作ったのですが、遅く戻って、キッチンのドアを閉め、ひとりでビールをのみながら食べ、洗い物もすませて上にあがってしまいました。

佐野洋子さんの『死ぬ気まんまん』よく持ってきてくださいましたね。佐野さんという稀有な作家の本をご紹介したのはわたしでしたが、あなたはいつのまにか彼女に関するあらゆる文献を読破し、わたしの知らないことまで知っているひとになってしまいました。
あなたってそういうひと、バラでも朝顔のことでも、趣味で始められたのが専門化したエッチングのことでも、とことん極められようとする努力、達成、わたしには無理。
アバウトな部分で浮いているだけかな、なんてもう達観しています。
いつのまにか伸ばされた染めないままの白髪を束ねられて、長めのクリップでとめたヘアスタイル、ステキでしたよ。
膝が痛いと言ってらっしゃったのに、バスだと四つぐらい停留所があるところを自転車で来られて、そのお元気もうれしかった!
朝起きると、あなたのブログをまずあけるのが習慣になっているわたしです。
大切なお友達、お体お大事になさってください。

2011年11月 5日 (土)

気になる風評

インターネットのブリッジゲームサイト、BBOで知り合ったイタリアの友人男性が三週間以上も姿をあらわさない。情勢最悪のギリシャに行くと言っていたので、気になってメールしてみた。
すぐに返事があって、三週間のギリシャ旅行から戻ったばかり、1000年以上も女人禁制だった修道院を訪ね歩く旅を続けていたという。
<ギリシャも本国イタリアも、予断を許さぬ状況だけれども、東京が大変らしいじゃないか、イタリアの確かな筋の報道では、東京で高度な放射能が22箇所も確認されたそうだね…>
ええっつ、なにそれっつ!
例の世田谷の放射能騒ぎがおおげさに伝えられたのだろう。
彼はお嬢さんが日本人男性と恋愛中なので、その男性が帰国したことで、なおのこと、心配をつのらせている。
風評被害、風評被害とすぐさま書き送ろうとして、はたとこの言葉に困った。
harmful rumor,イタリア語では、rumore esageratoにたどりつくまで、イタリア語で書かれたブログを参考にしたり、辞書をひきなおしたりしているうちに、こちらも検索被害で、肩パンパン。

肩こりからくる、風邪をひきそうな状況で、ブログご無沙汰となりました。

2011年11月 2日 (水)

紅葉見物

009


まるで山が燃えているような、と形容される鳴子峡の紅葉、どうしても見たくなって、T子さんを誘って一泊旅行。
宿は近くの中山平温泉、九組しか客をとらない小さな山の宿。

陸羽東線の車窓からは、まだ染まりきっていない山々が連なっていたが、鳴子から中山平に行くわずか十五分のバスの車窓からは木の間がくれに錦の色がちらほら。紅葉予報どおりの見ごろであった。
着いた日は温泉にゆっくり浸かり、翌日本格的な紅葉めぐり。

暑からず、寒からず、空気澄みわたり、鳴子峡は輝いていた。赤とオレンジと黄色を引き立てる常緑樹の深緑。渓流まで降りていけたが、年齢相応に中ほどで引き返す。
土地のひとに訊くと、今年の色はいまひとつ、だそうだが、紅葉のピーク時をつかむのは、サクラの開花同様、むずかしい。
それにしてはラッキーな一泊旅行となった。

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