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2011年10月に作成された記事

2011年10月30日 (日)

『東京オアシス』

贅を競う銀座には珍しいこじんまりとした映画館、レストランビルの中、開場を待つひとのために入り口に椅子も用意されている。有楽町駅の中央口を出たすぐ、イトシアビル四階、映写室は二箇所で、時間を区切って四本の映画が上映されているヒューマントラストシネマ銀座。
そこで『東京オアシス』を観た。
出演者の顔ぶれを見ただけで癒し系の映画だと期待。小林聡美、もたいまさこ『かもめ食堂』の感激がよみがえりそう、原田知世、市川実日子など日ごろ好感を持っている二人までも共演、しかもタイトルに<オアシス>とうたっているのだもの、と。
ところが冗長な作品だった。
あまり売れていない女優が偶然の機会に挫折しかかっている人々と出会って短い会話をする。高速から眺める東京の夜景、昼間の公園、ケヤキの大木のある横丁、小さい映画館、動物園などが延々とまるでドキュメンタリーのように映し出される。
こういうところが東京のオアシスだよ、こういう会話で癒されるんだよ、と言いたいのか、としらけてしまいそう、間があきすぎるのだ。
小林聡美という女優さんは大好きなのだが、ちょっと精彩を欠いていた。役柄がまさにそういう境遇だとしても、三谷幸喜監督との離婚が尾をひいているのかな、などと連想させてしまう、そんな隙間を観客に与えるようであってはならない、女優が女優だと思わせないほどの演技でドラマの中に入り込ませてくれるのが映画の喜びなのではないのか。
これは脚本が甘い、手抜きだ、淡々とした描写が過剰、冗長なのに、何を伝えたいのか舌っ足らずじゃないの。そして、えっつ?もう終わりなの、と声を出したいほど、あっけないエピローグ。

さて、せめて買い物でも期待にこたえるものを、と交通会館で北海道の物産店に入り、トラピストのクッキーと松前漬けを買う。
双方とも満足この上ない味であった。

2011年10月28日 (金)

アルマーニ風に

ジョルジオ・アルマーニが『服を着るとは生きること』と題して朝日新聞に寄せた記事を、イタリア語の授業で翻訳する機会があった。
<ファッションで大切なのは、人形のように自分を閉じこめないですむ服を選ぶこと。個性があって、快適さや機能性を重視して組み合わせを様々に変えてみることが欠かせない>という言葉が心に残った。

いまの時期、日中陽が照ってくると長袖でも暑いように感じるので、未だウールを着る気にならない。
さて、何を着て出かけようかと、クローゼットをのぞいたら、グレンチェックの一重のジャケットの上に黒の襟付きヴェストをひっかけてあるのが、妙にフィットしてしゃれて見えたので、初めての組み合わせだったが、試して見ることにした。
インナーはブルー、アクセサリーはフィレンツェのアンジェラ・カプーティ、ブルーローズのブローチ。
外に出てみると、厚さといい、着心地といい、まことに陽気にぴったり。

黒のヴェストは近頃着ることがなくて廃棄しようかと思っていたのだが、こういう風に役立ったりすると、着るものの断捨離がむずかしい。

十一月も寒さはまだまだの様子、麻や綿のブラウスはしまうとしても、この分だと、インナー類は夏用、春用とも、年間通じて着られそうだという気がしてきた。

2011年10月27日 (木)

片づけ仕事

置き忘れたり、失くしたりが多くなると、いっそバッグはいつも同じものを、とも思うのだが、まだ着るものに合わせてバッグを持つおしゃれをあきらめたくたくない。

神戸出身の同い年のおしゃれ上手な友人がいたが、六十代に入ってから、黒ばかり着るようになって、バッグもいつも同じプラダの黒、おしゃべりしながら、ウインドウショッピングする楽しみも少なくなったと思っていたら、急逝してしまった。
彼女の高齢ならではのおしゃれが見たかったのにと残念である。

自室の入り口に二畳ほどの納戸がついている。その場所の整理がいまのわたしの課題。
短い秋の過ごしやすい日を逃さないように、腕の痛みが和らいでいるうちに、と一大決心して、バッグの整理をする。
部屋にすべてのバッグを広げ、色別に並べなおし、<こんまり>さんの忠告どおり、二つぐらいずつ、入れ子にして、縦に収納、捨てるべきものも判別がたやすくなり、棚にはスペースも空いた。
次は和服の更なる処分、そして衣服類の整理と難題は続いているが、抜群に使い勝手がよくなったバッグ群の収納を見ると、まだやれるぞ、と勇気がわいてくるのである。

2011年10月25日 (火)

フレンチナッツ

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きものリメイクの展示即売会で、昨年景品にもらったエコバッグ、うすい白線とトンボの柄が浮き出ているのに、刺し子をしてみたくなった。
トンボの目玉はフレンチナッツ。
四十年前、盛んに刺繍していたころは得意だった刺し方、形よいナッツにするにはちょっとしたコツがあるのだが、それが思い出せない。ネットで検索し、何度か試みてようやく指が思うように動いてくれた。

身近に使っているものが手仕事で変容するさまがうれしい。そしてまだそれができる自分の手にも感謝と喜びを感じる。

2011年10月22日 (土)

ある日の外出

シカゴ駐在時代の友人の一周忌、横浜中華街での偲ぶ会に夫と出かける。
久しぶりの外出、夫の足取りが弱々しくなっている。
「せかせか歩かないでくれよ」こちらも転ばないように足を踏みしめスピードはゆるめているつもりなのだけど、やはり歩みには六歳の年の差が出るのか。
「きれいね、この花」通りすがり、ピンクの花の群生を指さしたが、「興味ないね、きれいだと感動する気持が欠落しちゃったんだ」こちらに言われぬ先に自ら弁明。
妖怪人間化なのか。
南北線の急行、日吉行きに乗り、多摩川駅は通過だった東横線の特急に武蔵小杉で追いつき、とりあえず空いていた優先席ひとつに夫を座らせる。菊名で、席があき、隣にすわる。

駅出口からの地図がちょっとわかりにくかったが、夫は迷わず会場までの道を探し当てた。老いても方向感覚だけはまだ大丈夫そう。
アメリカであちこち車で出かけたときも、初めて訪れる街のダウンタウンに迷うことのなかったひとだから。

思ったより大勢の元働きバチの男性群出席。主催者の夫人とはおよそ三十年ぶりの再会。ご主人が闘病中に入信されたので、牧師さんの祈りで始まる。
久しぶりの本格中華料理はおいしかった。前菜の薄切りの牛肉と野菜の和え物を夫にとりわけたら、唐辛子が入ったものだったので、ひどく咳き込む。
外食を楽しむにも、限界が生じてきているな、と思う。

会食中、二度ぐらい夫が喫煙のため席をはずす。隣の牧師夫人にヘビースモーカーですね、と言われてしまう。

元企業戦士たちのスピーチはどれもありきたり、最後の夫人のスピーチが一番心に残った。
「闘病7年の夫でしたが、最後に一時帰宅したとき、わたしと結婚してよい人生だったと言ってくれました。皆様もまだ間に合う内にお連れ合いにその言葉をおっしゃれますように…」


2011年10月19日 (水)

朝顔の木

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十月も半ば過ぎなのに、朝顔が盛りである。しかも朝だけではなく一日中開花しているヘブンリーブルー。

自室のまえに張り出しているウッドデッキと隣家との間のフェンスの隙間、わずか三十センチほどの左右に二つの鉢を置いたのだった。
置いた、というのは狭くて穴が掘れなかったこと、腕が痛くて無理ができなかったためだ。わずか145円の小さな鉢だったのに、苗は鉢の底穴から根をのばして根付き、すさまじく好調に成長してくれた。

どういうわけか右半分が先に開花、左は目下葉の緑で覆われてはいるが小さな蕾が一杯ついているので、この調子だと十一月まで楽しめそう。

朝ガラス戸を開けると大輪のブルーが目にとびこんできて気分もヘブンリー。
土の恵み、日あたりの恵み、ご先祖様が二度の引越しよくやったね、とねぎらってくださっているように思える。

ツルの勢いあれよ、あれよ、で、傍らのハナミズキの木を蔽いつくしていまや、朝顔の木。
左のほうもプランターを狙い、抱きつかれたアロエは、分厚いノコギリ葉をひと巻きされて、迷惑そうな風情。

2011年10月17日 (月)

こんまり語録

手帳なしの一週間が過ぎた。困る事態は起きていない。予定はすべて、自室のカレンダーに写してあるから、あと二ヶ月半の年内、なんとかなるかもしれない。
いま自室整理の最終段階、なにかよいヒントを、と読み始めた<こんまり本>(近藤麻理恵著・人生がときめく片づけの魔法)の一節が浮かぶ。
「モノがなくてもなんとかなる」と思えるようになる。

だが、最後に使った場所をおぼえているのだ、そこだけはチェックしよう、というわけで、山手線沿線のブリッジクラブに出かけた。
正午まえ、トーナメントの真っ最中、ほぼ満員の室内は顔を紅潮させてゲームに集中しているひとばかり、わたしの入室に気づくひとはなさそう。
遺失物の入ったバスケット二つ、携帯品のほうではなくコンベンションカード入れやメモ帳などがこれ以上ないほどギュウギュウに詰まったほうをチェック。手垢にまみれたうすぎたないものばかり、それにしてもこれほど使いふるされたもの放ってあるということは、パートナーとうまくいかなくて、もう約束の覚書など必要ないということなのか、わたしの手帳がもしここにあるとしたら、ビニールカバーもかかっているので、花模様がピカピカに見えるはず、もうこれ以上さわるのもいや、あきらめて帰ることにした。

帰宅してから、発想をかえて探し始める。思わぬ入れ物に入っているかも、バッグではなく、ジムに持っていくリュックはどうだろう。
さぐってみると、あった、やっぱり!!
ジムに行くときに手帳など普通は携帯しないのに、そのときは手帳の中のメモ書きが必要だったのだ、きっと。
そこで、また<こんまり語録>を思い出す。

バッグは「毎日、空」にする

2011年10月14日 (金)

働く日

今年もまた、奨学金の基金サポート、版画展示即売会で三日間ボランティアの仕事をする。
およそ二百点以上の版画作品をじっくり鑑賞するチャンスでもある。

この国際婦人クラブに四十年在籍したということは四十年間版画を観る目も養われてきたことになる。

木版、リトグラフ、シルクスクリーン、エッチング、コラージュ、さらに複数の手法を組み合わせた新手法も加わり、黒白から極彩色まで実に多彩、今回は手法別、テーマ別の整理も行き届いていて、見比べるのに一段と趣が増す。
全作品が同じ黒縁の額装なので、心ときめく自分好みの作品も選びやすい。色使い、テーマ、抽象、具象にかかわらず、作者の訴えるものが読みとけそうな瞬間をもてるかどうかだ。
画面に配置された空白部分でさえも意味を持つ、無駄な箇所が少しもない丹念な描写にじっと見入る。

被災地に売り上げ全額を寄付するという老大家の小作品に心ひかれ、ひさしぶりに購入したいという切実な欲求がわいた。
かつて馬をテーマにする大型作品が評判だった中山正さん、今回は少女や少年を主人公にした小品三点が必見である。
紫の色彩がにおいたつ、鳥と少年、二羽の小鳥をカゴ越しにじっと見入る少年の横顔が幼い日の孫息子を彷彿とさせて、これだ、と即決した。
(56回CWAJ版画展示即売会10/15(土)11:00am-6:00pm,10/16(日)11:00am-5:00pm 東京アメリカンクラブ、入場無料)

2011年10月13日 (木)

見つからない

今週は毎日外出の予定がある。
きょうなどは二箇所も。午前中刺し子のレッスン、夜、イタリア語のレッスン。
こういうときは転ばないように、失くしものをしないように、と思っていたのに、手帳が見当たらない。
三日まえ、ブリッジクラブで次の約束をしたとき、出したのを覚えているので、そのときまではあったのだ。

ハンカチもよく失くす。これまで何枚なくしたことだろう。ハンカチを食べる怪物がつきまとっているみたいだ。
失くすのではなく、実は落としているのかもしれない。
高校時代、わたしのことを噂するひとがいて、ああ、ハンカチをいつも手に持っているひとね、と言ったとか。

娘から誕生日や母の日などに、なにか欲しいものある?と訊かれると、ハンカチと応えることにしている。そして大判の高価なハンカチをもらうのだが、最近もらったものも、もう残っているのは一枚だけ。

10日にトーナメントがあったブリッジクラブに電話してみた。手帳をおいてきたみたいなのですけど、と言うと、無愛想な声が返ってきた。
ああ、そういうのは山のように忘れ物があるんでね、自分で探してもらわないと…

2011年10月10日 (月)

身体の声を聴くこと

連休、二日連続のブリッジトーナメント、それほど、疲れを感じず、むしろほどよい興奮に心が高揚した。
カードを切り混ぜたり、傍らの箱からビッドのカードを抜き取ったりする動作に、もう痛みがない。腕が元どおりに治癒したというよりは、別の収まり方で年齢相応の身体になってきたのかもしれない。

パートナーは二歳下、小柄だが、歩行困難もなく、頭も冴えていて、せっかちで不注意なわたしはたしなめられることも多い。
どこも悪いところないの?と訊くと、スポーツクラブに行って身体をととのえているからなんとか大丈夫、と言うので、近頃、ジム系になっているわたしとしては興味が湧いてきて、さらにつっこんで聞きだした。
ともかく、骨盤をしっかりするのが大切みたい、ああ、やっぱりね。
自宅にバランスボールと、ストレッチポールも購入して、鍛錬しているのだそうだ。

先日クラブの<コアリラックス>というプログラムに参加したときのことを思い出した。片隅でプライベートレッスンをとっている人がマッサージまでしてもらっているのを横目で見ていたら、後ろに並んでいたオバサンが言った。
あたしもやってもらったけど、プロの指導なんて、講釈ばかり多くて、さっぱり参考にならない、自分でなにが必要か悟らなきゃだめよ。
ほんとにそうなのだ、バランスボールとストレッチポール、これはもしかしたら今のわたしの必需品かも。

それにしてもバランスボールは昔、四十年前のアメリカで、子どもたちの遊び道具だった。
<ヒピティ・ホップ・ボール>カラフルで丈夫な持ち手がついていて、息子や娘がとりあいでぴょんぴょん跳ねて遊んでいた。
ああ、それが今ではバアサンたちのジム用品になるなんて!

2011年10月 7日 (金)

『カーネーション』って?

NHKの朝の新連続テレビ小説が好調この上ない滑り出しである。

第一回が面白いかどうかで、この先見続けるかどうかを決めてしまうのだが、岸和田のだんじりのすさまじい迫力に完璧目を奪われてしまった。日本の祭りで男たちが一体となって作りだす何とも形容しがたい熱気のオーラ、あれぞ、伝統の美である。

それにしてもミスマッチな感じのタイトル、いったいこの先、どういうつながりが?と思っていたら、三回目に見事に謎が解けた。その導入が自然で好ましいのである。

タイトルのコンピューター・グラフィックデザインも美しい。赤い服の女性がノートやミシンの上を動き回る、古風でそれでいてモダン、朝一番に目に入る映像としては心地よさ満点である。

ヒロインの子役、糸子ちゃんは幼いのに入魂の演技である。男の強さに屈服せざるをえない悔しさを顔一杯にあらわしながら、それでいてナイーブな表情や所作で、あの時代の長女像をしっかりと見せてくれる。
初めて西洋のドレスの美しさに魅せられた場面、おそらくロイヤルドルトンの人形かと思われる陶器像を指でなでまわし、フリルの重なりにときめいていた。そういえばカーネーションという花の花弁の重なりはドレスのフリルを想像させるようでもある。

わたしも少女時代、フリルのロングドレスを紙に描いては、あこがれを発散させていた。
そうしてこしらえた、自作の着せ替え人形が箱に入ったままである。よく何十枚のドレスを描く根気があったものだと、感心しながら、捨てられないでいる。

2011年10月 4日 (火)

チケット、ゲット

孫娘は高校のオーケストラ部でトロンボーンを吹いている。
始めてまもない頃は排泄音に似ていたが、だんだんに楽器の音らしくなってきた。
いまどきのティーンにはめずらしくクラシック好きなので、ばぁばとしても張り合いがあり、コンサートによくさそう。
それにしても、ほかに何か好きなことはないの? 趣味とかさ、以前はよく絵が好きで描いてたじゃない? いま楽しいことってなあに?
トロンボーン、トロンボーン。
特別しゃれっ気もなく、いつも、下着を重ね着したみたいな格好をしている。
ま、いいか。健全に育ってるってことだ、と思い、また一緒に行こうとコンサート二つのチケットを予約。
浜離宮朝日ホールも、すみだトリフォニーホールもまだ席は選び放題。
老人なんで、あまり前のほうだと首が痛くなったりして、などと言ってみたら、それでは十番目ぐらいがよろしいのでは?などとアドヴァイスも。

それにつけてもなんという違いか、あの悪夢のようなアルゲリッチの追加公演のチケット、ゲット競争。
電話かけまくったが、あっという間に 予約優先は締め切り。それならと一般発売めざして、ネットから十時直前、あとはクリックだけ、と用意して待機するも、ちょっとの差で入力ミスがあって、およそ10分ぐらいで、もうすべてバツ印。
挫折感大だった。

ところがあの中止のニュース。
勝ち組には悪いけど、安堵のような複雑な心境。
アルゲリッチも70歳、一つの道を極めつくした人でも、年相応の体調と戦っているのだな、と国境を越えての親近感を抱いたりもしたのだった。

2011年10月 2日 (日)

『おひさま』終わる

一日はこのドラマから始まると言っていいほど、毎日欠かさず見ていた。
7時に目覚め、7時半のBS第一回をまず見るのである。
ミラノに旅行をしていたので、初回は見逃してしまったのだが、ネットで検索すると<若尾文子と斎藤由貴の出会いで始まる、あの暑苦しい初回はなしでも良かったのではないか…>などという意見もある。意外であった。
ずっと続けて見る気になったのは安曇野が舞台だと知ってからだ。

かつて、疲れたOLの癒しの場所という『穂高養生園』という場所に出かけていたことがあった。OLではなかったが、翻訳という仕事に疲れていて、清らかな自然と澄んだ空気でいっぱいの安曇野は癒しの場所だったのだ。

このドラマの見せ場は戦前、戦中、戦後の庶民の暮らしにある。教室の場面、食料事情、親子のやりとり、すべて、身をもって経験した私自身、そう、あの通りだったと思えるほど、胸に迫る映像で語られていた。それはまた、大震災の被災の生活に類似していたから、これまでになく、大きな認識感を形作ったと思う。
ヒロインの井上真央さんは表情ゆたかに好演していた。善意や思いやりが顔いっぱいにあふれるので、高齢となった役を演じる若尾さんはちょっとミスキャストではないかと思った。78歳にしては驚くほどの美貌を維持していて、着物姿も美しいのだが、なんとなく冷たい感じがするのである。
最終回に近づくにつれて、ちょっと雑なつくりだな、と思ったりしたが、ネットの感想のなかにも同感のひとを数人見つけた。白紙同盟の三人の笑い声で数分がたつというような場面、出演者の演技に支えられてはいるが、もっといいせりふのやりとりが聞きたかった。
登場人物のそれぞれがドラマの主人公になれそうなほど、多彩なので、半年でまとめるのはさぞむずかしかっただろうと想像する。

それにしても、心に太陽を持て、というツェーザル・フライシュレンの詩は美しい。
山本有三の名訳あってこそ、でもあるが、これを、教室で唱和するような授業を現在も受けられるのなら、いじめも減るのではないか、と思ったりもした。

心に太陽を持て、唇にうたを持て、はせいぜい六十代まで、現在のわたしは心を平穏に保て、がやっとである。

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