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2011年9月に作成された記事

2011年9月30日 (金)

すぐれもの出番

近くの安売り青果店でオレンジがなんと、一個19円、迷わず数個買い求めた。
まずは生ジュースに絞って飲んでみたが、やはり値段は値段、甘みがイマイチ。
そうだ、久しぶりにオレンジケーキを焼こう。
一挙に涼しくなってホットコーヒーが恋しい。お供に手作りケーキ。焼こうという意欲があるというのは、それができるほど、腕の痛みがとれたということ。

そこで活躍するのが写真のピーラー、すなわち果実の皮けずり器002_2


フィレンツェの迷路のような歴史地区で見つけた雑貨屋、これはなにに使うもの?と習いおぼえたイタリア語が通じたときの喜び、すぐに買い求めた。
先端がツメの鋭い指先のようになっていて、きれいに皮がけずれる。細い糸のような香りたかいレモンやオレンジの皮をたっぷり、混ぜ入れ、クッキーやケーキを焼く。
使うたびにフィレンツェを思い出す。
果汁絞りもボローニャで購入の金属の容器。プラスティックのほうにしようかと迷っていたら、オジサンが言った。こちらをすすめるよ、これを使うとき、いつもこっちにしてよかった、って、ボローニャのこの店を思い出すにきまってるから、そこまで言いきれる商品への誇り、そうなのだ、使うたびにオジサンの顔まで浮かんでくる。
いとしい道具たち。

バターの代わりにマーガリンを使い、グラニュー糖をまぜ、玉子二個を割り入れ、粉にベーキングソーダと塩少々、そして、オレンジ皮とジュース加え、コンベックのお菓子のスイッチでおよそ二十五分、オレンジの香り高いケーキ完成。

中世脂肪値、高いけど、わたしはこれがやめられない。

2011年9月27日 (火)

世襲に好奇心

朝六時ごろ目ざめ、まずはベッドで新聞を読む。
一面で目を奪われたのはダ・ヴィンチの未公開の美しい作品『ほつれ髪の女』。
展覧会は来年三月、ぜひ見たい。

それと気になったのが、市川猿之助襲名の記事。
亀次郎はその実績、器からもこの名跡を継ぐのは当然だと納得したが、長男ではあるが、俳優の香川照之がなんと市川中車を、その息子が団子を同時襲名するという記述に驚く。
市川中車なんてなつかしい名前。実家のそばに住んでいた、地味だが、風格のある役者さん。家も品のある純日本家屋だった。この名跡、空いてたのだろうか?
映画やテレビで演技がうまいという定評があるにしても、歌舞伎はとりわけ、小さいときからの修行が大事、それを積み上げての襲名ならともかく、芸能界からいきなり横すべりなんて、どういうことなのだろう。なにか事情がありそう。

歌舞伎にくわしい友にTEL。
あのね、藤間紫が仲をとりもったのよ、あの人が亡くなったとき父子で告別式に並んでたもの。離婚したっていっても、やっぱり年取ると、孫が可愛いんじゃない、きっと。

午後の記者会見はちょっと異常な雰囲気、女形もできる亀次郎のととのった小作りな顔に比べて、香川の無骨で大きな顔がやたら目立つ。事情の説明もなんだか俗っぽくて、このひと、きっと歌舞伎がやりたくてたまらなかったのだろう、とは思ったが、いまさら演じきれるのだろうか、と首をひねる。

友に来年六月、襲名披露、いっしょに行ってみないとさそったら、応えは、うん、生きてたらね。                     

2011年9月25日 (日)

オペラ『清教徒』を観る

日本初演のベッリーニの傑作オペラ『清教徒』、フローレス主演で聴けるのは、わたしにとって、最初で最後のチャンスだと、六ヶ月まえにチケットを購入したのだった。
それなのに、フローレスは来なかった。
ほかにも数名の主だった歌手たちのキャンセル。
理由は声帯付近の充血、腎臓結石の痛み、胸部リンパ節の手術、声帯の障害、咽頭炎などもっともらしい理由が並んでいるが、もっとはっきりしたわけを隠しているように思われる。それに追い討ちをかけるようにリチートラの事故死。

今回のボローニャ歌劇場公演は一体どんな仕上がりになることやら、といささか義憤を抑えながら出かけたのだった。

幸い、『清教徒』の最終公演だけは、アントニー・シラグーザが歌ってくれる。だが彼はすでに終えたリサイタルで、高熱をおして出演、体調万全といいがたい、などというニュースが伝わってきていた。
そのあとだけに、きょうは大丈夫だろうか?

不安は消し飛んだ。
シラグーザは素晴らしかった。歌うはずだったひとの存在を忘れさせるほど、あの「いとしい乙女よ、」の世にも美しいアリアを澄んだ美声で歌いあげた。
フローレスのようにのびやかで響きのある声ではないが、シラグーザの声は清らかで音程が限りなくしっかりしている。だからこそ、アルトゥーロの真摯な性格が伝わってきて、舞台の迫力が増したのである。
申し分のないソプラノ、ランカトーレとイタリア南部出身者同士の息が合ったというべきか、満足このうえない完成度の高い舞台で、場内は割れんばかりの拍手とブラボーの声が鳴りやます、聴衆の興奮も頂点に達していた。

幕間に一枚のCDを購入した。多くのひとは10000円もする、フローレス主演のDVDを買っていたが、わたしが迷わず買ったのは、2000円の『オペラベスト・オブ・ベスト』。
帰宅して早速聴いてみると、これが素晴らしいセレクションだとわかった。ソプラノも現在のスターが勢ぞろいだが、男性陣がことにすごい。
なんとフィッシャー=ディースカウが『プロヴァンスの海と陸』を歌っているのである。そのほかにもフローレスが二曲、ヨナス・カウフマンの三曲も入っている。
テノールの声比べである。
その上、歌詞つきなので、横文字を追いながら、当分は陶酔感を持続できそうである。

2011年9月23日 (金)

記念すべき日

きょう、9月23日で、ブログ開設一周年になる。
日常にひらめく瞬時の想いを記す手段を見つけて、ようやく脳裏にうずまく言葉の奔流に追われることはなくなったのだが、ネットに公開することで生ずる緊張感や慣れぬ入力処理の疲労から解放されるまでには、かなりの時を要した。
少しずつアクセスがふえはじめ、見知らぬ読者からコメントが届くと、それは大きな張り合いとなって、生きていくための励ましにつながっていった。
ありがたいことである。

毎日アクセス解析を確かめる。
現在の総アクセス数はすでに30000を越した。

劇的に増加したのが、一週間まえ。
一日で2000数百ものアクセスの数字に我が目を疑った。
理想の長寿女性、笹本恒子さんのおかげである。
ラジオ深夜便に登場されたのだということが、頂戴したコメントから判明した。
感動した視聴者の方々がネットで情報を探し、わたしの『感動、笹本恒子さん』の記事に行きついたということらしい。

これからも日々の営みのなかで、感じた事を素直に書きとめていきたい。
それが一人の人間の生きていることの証となって、読む人の心にひびくことになるなら、これ以上の満足はないのである。

2011年9月22日 (木)

嵐の日の外出

台風襲来までに帰りつけるかどうかギリギリだな、と思いつつ、それでも外出する。
三十年近く会員になっている国際婦人クラブの会員登録更新の日のランチョン、麻布台までは渋谷からバスで。
新築のアメリカンクラブ、二度目だが好感が持てない。会場は地下二階、窓なしの部屋である。
高輪開東閣の中に立てられた仮施設のほうが緑豊かな庭が見えてはるかに好ましかった。

メニューもポークの照り焼き風味、つけ合わせのライスとコーンとポテトが混じったようなお焼き風味が妙な味、本格的な洋食を期待してくるのに、肩すかしである。

わたしの世代の出席者は数人、あら、しばらく、なんていうあいさつばかりだが、みんなすごく老けた感じ。おそらくわたしのこともそう思われているのだろう。

ゲストスピーカーはアイヌ民族の紹介者。ハーバード出のアメリカ人青年、民族衣装姿のアイヌの老若女性二人を紹介。通訳しながらのスピーチだが、流暢な日本語、もしかしたら、日本駐在経験の帰国子女かも、と思った。
大学卒業後北海道旅行をしたとき、白老でアイヌの民族衣装をまとって記念撮影をした写真が残っているが、彼らの歴史について、あまりにも無知であったのを恥ずかしく思った。先住民族として認められたのが、なんと2008年、差別に苦しんだ過去をまざまざと知らされた。
最後にアイヌ語を唱和、歌も習って出席者、全員たち上がり、輪をつくって歌いながら振りのた易い踊りに興じた。
みんなが認識を新たにできたよいプログラムだったと思う。

外はすでに吹き降り、それでもバス停までなんとか歩けた。渋谷で夫に電話、最寄駅まで車を出してもらって、どうやら帰りつく。
妙な昼食だったので、おなかも異変を起こし、トイレに直行。

2011年9月20日 (火)

自前敬老

腕の痛みはずいぶん薄らいできたが、背中に移動したように、張り感がひどい。整骨院は休みだし、これはもう、泳ぎに行くしかないと思った。
幸い緑が丘のプールが終日一般開放なので、出かけた。おっかなびっくり、クロールをやってみたら、よし、痛みはあっても25メートル、十分泳げる。背泳はなお痛みが少ないのがわかって、歩くのと泳ぐのを繰り返しながら、30分。細胞がぱっと開いた感じ。
敬老の日だけど、息子からも娘からも招待などないので、なにかつくらなければならない。
ふと、シューマイが食べたいと思った。
H子のレシピ。二年まえに亡くなった彼女への思いがあふれてくる。料理上手なひとだったが、シューマイにはずいぶん凝っていろいろ試したと言い、タマネギのみじんを入れるのが一番おいしいというこのレシピを教えてくれた。
レシピファイルから取り出すと、それは十五年まえ、国際婦人クラブのクッキンググループのときに渡されたものなので、もう茶色に変色し、四隅がすりきれていた。きれいな手書きの英語の文字が並んでいる。
豚挽き肉、タマネギみじん、酒、砂糖と塩少々、黒コショーを入れ具をつくり、包むのは夫にしてもらう。かなり不ぞろいな出来だったが、上に冷凍のグリンピースをのせて一応それらしくなったのを蒸しあげる。
つけ合わせはシシトウを甘辛いためと、ハスをごま油でいためて豆板醤を少々加え、醤油いり甘酢につけたもの、サツマイモの煮もの、なぜか汁ものはほしくない、番茶の冷えたのですます。
敬老の日にはいつもお義母さまにご馳走つくったのにね、などと夫に話したりしたが、あんまり子どもたちに期待しすぎるなよ、と言われてしまう。

きょうはそんな日だと思っていたら、9時ごろベルが鳴って、娘と孫娘がオーストリア土産のコーヒーやチョコレート、わたしが一番ほしかったクローゼットに入れるハンガーサシェを届けてくれたので、笑顔でしめくくれた一日となった。

2011年9月18日 (日)

『ゴーストライター』

ロマン・ボランスキーのこの映画をぜひとも見たいと思っていた。ところが残暑のきつさに外出をしぶっているうちに、都内の上映は終了。ああ、どうしよう!
でも、近場にあったのだ。みなとみらいの手前、新高島の109CINEMAS。
朝一番、9:55上映をめざす。4番出口、目の前、雑踏を歩かなくてすむのがいい。
午後から同人誌の会合があるので、ランチも済ますつもりで、ホットドッグとコーラをトレイにのせて、着席。客席は五分の入り。両側が空いているのでゆったり鑑賞できた。

元英国首相の伝記を書いていた人物が不審な死をとげ、伝記完成のためゴーストライターとして採用された男性がたどる不吉にして不運な日々を追う物語。
暗い画面、陰気この上ない、元首相の島の別荘。不気味にして謎だらけの出来事と、一度みたら忘れられないほどのカメラワークのシーンの続出、そしてリフレインの多い、緊張感をただよわせる音楽がまだか、まだか、これからどうなる、と観客の目を釘づけにする。
これって、何かに似ている、そう、ヒッチコックの手法だ!と思ったのはわたしだけではなかった。LAタイムスの評にもその記述があった。
主役のユアン・マクレガーだけでは物足りないが、脇をかためる面々がすごい。元首相にボンド俳優、ビアース・ブロスナン、貫禄、かっこいいのである。
そしてどこかで見たことがある、存在感ずしりの秘書役キム・キャトラル、そう、SEX AND THE CITYのサマンサさん。二人ともまさに新境地を開拓、大成功である。
ああ、そしてラストシーン、何度も出てくる、タイプされた数百枚の原稿、はこのシーンのためのものだったのかと、納得。
目の裏に焼きつく驚愕のエンディング。

四年まえ、トリノの映画博物館で、「ボランスキー特集」をやっていた。吹き抜けの建物のらせん状にのぼる壁ぎわの通路、その壁面一杯にこれまでの彼の傑作の撮影シーンの写真が展示されていた。
『ローズマリーの赤ちゃん』『ドラキュラ』『チャイナタウン』『戦場のピアニスト』その写真がどれほど生き生きと彼の名監督ぶりをつたえているかを胸がふるえるほどに感じながら、全世界がボランスキーを称えているのを知ったのだった。

2011年9月16日 (金)

顔は違うけど

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自室のまえに張り出したウッドデッキと隣家の柵のあいだに50センチぐらいすきまがある。そこにモッコウバラの苗木が植わっているのだが、花の咲くのは来年か再来年。
せめて夏のあいだだけでも朝顔を這わせてみたらどうかと、ヘブンリーブルーの鉢を買ってきた。
腕が痛いので、穴をほって苗を直かに植えられず、仕方なく鉢をおいておくだけにする。
それでも日あたりがいいので、気に入ってくれたのか、朝顔はどんどんのびて、思い通りに柵一面につるをのばしはじめた。ところがほとんど同時期、どういうわけか昼顔が同居し、朝顔を覆うばかりに繁殖。八月一杯はうすいピンクの花が次々咲くのを結構楽しむことができた。
そして九月のある朝、ようやくブルーの花が一つ開く。
ごめんね、悪いけどあなたの番は終わったのよ、などと言いながら、思い切って昼顔をはがし取った。その分量たるやレジ袋一杯で、繁殖力のたくましさをあらためて実感したのであった。

2011年9月13日 (火)

ジム効果

学生時代、体育の授業は大っ嫌いだった。とりわけデンマーク体操系は苦手で、劣等感でコンコチ、生まれつきカラダが硬かったからだ。
体操の花形リーダー格のN子からいつも、体力ないね、カラダ硬いね、と言われていた。その彼女は壮絶なガンで早世。
みなのあこがれだったスタイル抜群、やわらかにしなる体型の美女、S子は、じつは股関節に先天的な欠陥があって、この二十数年、病と戦っている。
ダメな自分をいつも情けなく思っていたわたしはなんとか生きのびてきた。

最近、もっぱらスポーツクラブのジムに通っている。腕の痛みがとれないので、泳ぐのをやめているからだ。
ジムはまさしく体操系のプログラムばかり。
すでにヨーガ、ベイシックエアロビ、ピラティス、骨盤リセット、バランスボールなどを体験した。
初めてのひと、と言われると、大きく手をあげ、腕が痛いこともインプットし、無理な動きはたったひとりだけでも平気で拒否。
参加者の三分の一は高齢者なのも心強い。
気に入ったのは骨盤リセットとバランスボール、円柱のポールとボールを使うことで、からだの硬さがあらわにならないところがいいし、ストレッチが効果的に倍加するので、あとがとてもさわやか。
終わったあとは洗髪もクラブで。
我が家の節電にもなるのである。

2011年9月11日 (日)

みちのくの味

化粧品を切らしたので、夕方から東急百貨店東横店に出かけた。
きょうはめずらしく夫が夕食を食べない日である。一人ごはんはデパートの食堂で、と思っていたら、なんと、東北応援フェア、宮城、福島物産展、をやっているではないか。
そうだ、ここで何かを食べよう、募金だけでは物足りない、体力のない高齢者はボランティアもできないし、こういう形で応援できるならぜひしたい。
そう思ったのはわたしだけではないらしい。催事場は人であふれていた。
実演つきの牛たん弁当のコーナーは長い列。
わたしは迷わず、寿司の茶店に向う。
値段が七百円ぐらい差があるメニューが三つ、これって、ネタの質なの、数なの?と係りの人に訊いたら、質とばかりは言えない、一番安い上寿司、1600円でも十分おいしいですよ、と言うので、それにした。
マグロ、甘エビ、ホタテ、つぶ貝、サーモンなどなど、東京のものとはどこか違うあたたかみのある握りかたで、ネタもいかにも新鮮でいい色をしている。お米も黄色みを帯びた自然色、なんだかすごく口あたりがいいのである。あやうく喉につまりそうになるほど、夢中で食べた。おいしかった、大満足。
そのあともソーメンを太くしたようなもっちり手延べの温麺、ちゃんと味見させてもらってこれなら、と購入。
ゆずポン酢は気仙沼製、これもカマボコにかけたものを試食、なおかつ、実際の液体をスプーンですすらせてくれて、しっかりユズの香りをかいだので、二ビン購入、津波の写真の大写しが出ていて、涙が出そうになる。
そして、ああ、福島のキューリ、おばさんがすぐさまナイフ出して切って食べさせてくれた。カリカリしてスーパーのものとは全然違う、見た目も香りも味も。七本入り280円を買う。
おいしそうなものはまだまだあって、もっともっと買いたかったけれど、13日までだから、また来るチャンスもあるかも知れないと心を残しながら、帰途についた。

2011年9月 9日 (金)

針目をそろえて

夏休み明けの刺し子のレッスンが明日なので、にわかやっつけ仕事で、やりかけのヴェストの作品を取り出す。
刺し方も忘れてしまって、ともかく、やさしいところからチクチク。
針目をそろえて、しごきを忘れないようにするのが大切。
ひと針、ひと針を大切に、は、なにか一日の歩みに似ている。

歩くときの一歩、一歩、まだ歩けて感謝の気持を持ちながら。
まっすぐ、まっすぐ、といいきかせながら。

七十を過ぎて始めたことで、一番の収穫はこの針仕事。
ともかく出来上がっていくのが楽しい。
こころが安らぐ仕事である。

小一時間ほどして、電話が鳴った。
義姉の訃報であった。

2011年9月 5日 (月)

漂うひと

明け方の四時ごろ、危篤だという電話があって、病院に駆けつけた。
義姉はその後、もち直し、酸素の管をつけたまま、この世とあの世のあいだをさまよい続けている。
あの日のあの食事がやはり最後の晩餐となってしまった。
いまは視線を合わせることも、耳を傾けることも、声を出すこともできない。

義姉の知性をうやまい、少しでも近づこうとし、教えられてきた半世紀である。
夫との縁談が来たとき、本人より同じ英米文学専攻で、すでに二、三の大学講師をしていた姉を、おねえさまと呼べたら、という魅力が大であった。
それが実現して、卒論のテーマを訊いてみたら、イエィツ(アイルランドの詩人)だと言うので、これは、ちょっと、と思った。
直木賞系が芥川賞系と話すようなものである。
その上、わたしの実家は喜びや感謝を率直すぎるほどに表現するのだが、夫の家族はあまり感情を見せない。とりわけ義姉はそれが顕著で、新婚直後、我ながらいい出来だと思った手製の総刺繍のバッグをプレゼントしたとき、あら、どうも、ぐらいの返事だったし、四年のアメリカ生活を終え、『サックス・フィフス・アヴェニュー』で選びに選んだバッグをおみやげにしたときも、同じ返事だった。
その後もこちらの自己満足に終わる経験が多かったが、あなたのおせちが楽しみと言ってもらえて、三年前ぐらいまでは新年の二日に訪問してくれていたこともある。

直木賞系が少しだけ芥川賞系に近づけたときがある。
フィレンツェに行くなら、辻邦生の『春の戴冠』を読むべきだとすすめられ、じっくりと威儀を正して、心躍らせながら、1000パージに近いこの本を読む体験をし、それを検証する旅もして、同人誌にその感想文を書くことができた。

義姉が胃を全摘したのはいまのわたしぐらいの年齢である。それから十余年、四十キロに満たない身体で、少量ずつ、数回にわけてとる食事を続け、そのあいだには長男の早世という悲劇も耐えてきた。

すべての重荷をおろし、いまは、心地よく漂っていられるように、と祈るばかりである。

2011年9月 3日 (土)

食後のはなし

猛暑の夏は家事がほんと、億劫である。とりわけ食器洗いが日に三度ともなると、も~ういやっつ!
それなら作らず、買ったものとか、外食にすればいい、といっても、我が家のように外食嫌いの夫とでは、争いのもとだし、買ったものはおいしくないし、冷蔵庫に残った食材も気になる、と、いうことになると、食器洗いを楽にするのは大いなる解決法、というわけで、新築の際に設置した食洗機の出番となるのである。
節電のときなのに、贅沢、もったいない、使いこなせるだろうか、と初めは半信半疑だったが、すでに使っている、同級生に訊いてみたら、便利だよぉ~。伊万里だろうが、金ぶちだろうが、全部入れて洗ってる、どうせあたしの代で終わりなんだもん…という話で勢いが出た。
プラスティックはダメなので、ガラス器、陶器、金物であるが、これらをゆすいだだけで、入れておき、一日の終わりにまわす。ガラス器がピッカピカになるのがうれしいし、一晩おけば拭く手間もない。
わたしは主婦湿疹がひどく、ゴム手袋をはめたり、はずしたりというのはかなりの手間だったが、それが要らなくなったのはとりわけうれしいのである。


2011年9月 1日 (木)

イタリア語のこと

イタリア語関連、人気ナンバーワンブログAmo l'italiano!を必ず覗くようにしている。目黒区で受講していたイタリア語クラスが二ヶ月休みなので、このイタリア語と日本語で書かれたブログのイタリア語部分を、声を出して読むことが,わたしにとってのネット上のレッスンなのだ。
写真が豊富で、語りもユーモアに満ち、工夫が凝らされていて、クリスマス時には星が、花見どきにはサクラが散ったりもする。
現在仙台に在住のイタリア語学習歴二十数年のこの作者、東京にいたときにはイタリア語学校の事務をしていたことがわかり、好奇心からその学校をつきとめた。
ちょうど開講中の八月だけの夏期講座を受講する事に決め、レベルチェックをしてもらいに出かけたのだが、教師に会って、思わず、あっつ!!
日伊協会で受講したとき、あまりにも生徒まかせの授業だったので、文句をつけたその人。
イタリア人らしく気さくにBenvenutii(久しぶり、ようこそ)なんて言ってもらえ、彼の上級クラスに入る。
生徒は四、五人、彼らの話では、ともかくイタリア語は続けていないと忘れてしまうので、来ている。いつも旬の話題を提供してくれるところがいい、とのこと。
その日のトピックもイタリアのバカンス主流のクルーズ。教師のしゃべりが圧倒的に多いこのクラス、聞きもらすまいとする緊張感は貴重だが、やはり続けるとしたら、同年代のシニアばかりの目黒のクラスだと思った。
教科書中心、文法指導が多く、レベルは少々低いのだが、語学は忘れているのを復習しなおし、後戻りしては前に進むのを繰り返すことが肝心なのを思うと、わたしには居心地のいい場所だからである。

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