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2011年8月に作成された記事

2011年8月29日 (月)

ある記憶

一軒の家の前を通りかかった。元整形外科医院だったところだ。
ガラス張りのベランダにはガラクタが積みあがっているのが外から見え、人家のようには見えなくなってしまっている。
娘が中二のころ、学校の身体検査で脊椎側湾症の疑いがあると診断されたとき、義母が通っていたので、行ったのがその医院だった。
院長は娘の上半身を裸にして、あちこち調べたあと、コルセットはめないと、からだがひん曲がってくるぞ、と言った。
娘はなにかを耐えているような無表情な顔で押し黙っていた。
よろいのようなコルセットを渡され、それをつけて寝るように、という指示だったが、わたしは傷つきやすい思春期の女の子に対して、あまりにも無神経なその医者の言葉をすぐには信じられなくて、医師の言う通りにすればいいという義母に反論して口論になった。
パソコンのない時代だったから、側湾症の専門医について、図書館かどこかで調べたのだったと思う。
数日して娘の学校に近い横浜の港湾病院とうところにつれていき、スポーツ医学の名医という医師に診てもらった。
たしかに側湾症状はあるが、曲がりが20度以下なので、コルセットをするほどではない、様子をみようという診断だった。

子どもを育てていて、なにかの不運が起きたときでも逃げずに向き合えば、解決されることもあるという体験のひとつであった。

娘は結婚して三年後、夫と死に別れて、二人の子どもを育ててきたが、大病もせず、音楽教師と英語教師をしながら、45歳になった。
F女学院の音楽教室に20年以上勤続したので、ご褒美が出て、学校が全費用をまかなうという10日間の短期留学で、いまウイーンに滞在中。
あのときの娘と同じ年の孫娘はブタの生姜焼きなどを料理して兄である孫息子の夕食をつくったりしている。

2011年8月27日 (土)

面会の日に

義姉がいよいよN病院のホスピスに移ったのいうのを聞いて、パスタを持っていくのはきょうだと決めた。
レースのランチョンマットに伊万里の皿、冷たいパスタを入れるガラス鉢、少量のワインをソーダでうすめてみようとワイングラスも用意し、ナスとモッツレッラのオーブン焼きも二切れほど、すべてバスケットに納めて、夫の車で出かけた。
ホスピスにはバルコニーや中庭なども設置されており、リビングダイニングのような場所にはピアノもあって、ソファーに色とりどりのキルトもかかっている。
これはやはり無機質な病院とはまったく違うと、ほっとした。
病室には先客がいた。
正面の窓のそばにソファー、テーブルなどは備わっており、広いのだが、客人とわたしたちが、そこに座ると寝ている病人の顔がまったく見えなくなる。
また一段と衰弱したように見える義姉に、水分補給をしようとしたのだが、ベッドの起こし方が初めてのところなのでよくわからない。ナースステーションに訊きにいくと、数人の看護師がいるのだが、みなすごく忙しそうで、笑顔もなくボランティアのひといませんか?などと言われてしまう。
ここだけは普通の病院とあまりかわらないようだ。
パスタは彼女の想像したものと違ったらしく、チンしたほうがいいんじゃない?などと言われてしまう。
あまりおいしそうに食べてはくれなかった。わたしの思い込みの失敗である。
先客というのは義姉の大学時代の親友。
『ヴェニスの商人』で共演した相手。いまや瀕死のポーシャがシャイロックの手を握って、あなたには本当にお世話になったわ、というのを聞いて、胸が迫った。
シャイロックのひとは四十代に骨折しただけという病歴なしの元気な83歳だが、お耳が遠いのである。
コミュニケーションが難しいのに別れがたい二人を残し、わたしたちは先に席を立ったのだった。

2011年8月26日 (金)

草津音楽祭に行く

あの北海道旅行のメンバーで草津音楽祭、リスト生誕200年記念のプログラムを聴きに出かけた。
事前調査、おこたりないT子さんから、列車の切符争奪戦が始まっていると聞いて、まさか、と思ったのだが、それは事実で、手配したときは最後の一枚。
だが、みんながみんなこの音楽祭におしかけるわけではないらしく、会場は九分の入り。
本邦初演のヴァイオリンとピアノのデュオソナタ、ヴァイオリニストがいささか高齢、達者で生きのいいイタリアの若手ピアニストと今ひとつ息が合わない。これが、シャハムやラクリンだったら、と顔見合わせて嘆息できることで、溜飲が下がった。

チケット込みで予約できた温泉宿は、湯宿『木の葉』、軒の高い飛騨建築、全館畳敷きで整然としたつくりなのに、くつろいだ雰囲気。湯治のコンセプトが生かされている。
部屋着も浴衣ではなく、ブルーグレイのカラーつき作務衣でこれが着心地よく、ファッション感覚も十分で快適。
湯めぐりをするときには常備してある手提げのバスケットにタオル類を入れて、足袋ソックスをはいて行く。部屋に和風金庫があって、そこに貴重品を入れ、カギを持ち、浴場のロッカーには、そのバスケットと脱衣カゴがすっぽり入るので、しまい、施錠し、ゴム輪つき木札のキイを腕にまいて入浴できるという仕掛け。
自分の持ち物を安心して管理できるようにプランがされていることに、満足、感心した。
湯も変化に富み、大小の湯桶の湯、広い眺めのよい露天風呂、一人になれる貸しきり露天風呂など、すべてを堪能。
食事メニューも地の野菜を十分に使い、コンニャクや豆腐、マメ類などもたれに変化をつけた素朴な味のものが多く、ビュッフェスタイルなのがうれしい。
この宿の紹介者、Y夫妻に感謝。

2011年8月25日 (木)

不吉から始まった日

明け方夢を見た。黒い服を着た人たちがわたしのために一室に集まっている。まだ準備ができていないと夫に言うと、もう予約しちゃったからな、などと応えるのである。そのとき窓から髪振り乱した、夜叉のような死神が三日月型のマサカリを持って入ってきた。
ああ~っと声をあげて目覚めた。

その夢がよほど気になっていたのか、十時から二子玉川で約束していたブリッジゲームでエントリーしようとバッグを探ったら、財布を忘れているのに気づいた。二十数年のブリッジ人生で一度もなかったことなのに。
幸いゲームはオーバーオール一位になれたので、エントリーフィーやランチ代をパートナーに出してもらう気後れをへらすことができた。
パスモ、老人パスを使って、電車、バスと乗り継ぎ、整骨院に行く。翌日から草津音楽祭に一泊旅行するので、身体をととのえておかねばならない。先に来ていた夫から千円恵んでもらって、夕食の食材ハムとグリーンアスパラを買いたす。

冷やご飯があまっていたので、カレーピラフを。ご飯をオリーブオイルでいため、カレー粉、ケチャップ少々、塩で味付け、パセリのみじんを加える。トッピングにマッシュルーム、ナス、ハムをいため、最後にトマトスライス少々、塩コショーの味付け。
つけ合わせはアスパラゆで、マヨネーズ、クリーム、マスタード少々あわせてかける。

さて、夕食が早めにできたので、ふと思いついた。このボサボサ髪をなんとかしなければ。
自由が丘『MIENO』で7時にカットの予約。ここはいつもしゃれた山小屋のような雰囲気で癒される。
スタイリストのKIDAさんに夢のことを話したら、悪い夢は人に話すと、不吉なものを払い落とせるというようなことを言ってもらえて、すきっとした。
整骨院と美容院を行き継いで、背中にはりついていたけだるさがようやくとれた感じ。

2011年8月21日 (日)

行くべくして

おいしい洋風外食したい、とモーレツ思った。でも夫は外食ぎらい、とりわけ洋食の好みがうるさい。
夕方はちょうどベイスターズ観る時間だし、あれやこれや気を遣ってまで一緒に行く気はしないのである。
絶対おいしいもの、そうだ、夕方からのイタリア料理のレッスンをとればいい、というわけで、日伊文化交流サロン『アッテイコ』の村上真理さんのレッスンにとびこみ参加。
当日だったのに、快く受け付けてもらえて、初対面の生徒さんたちとも、楽しく交流できた。メニューは<ナスとモッツァレッラのオーブン焼き>、<冷たいトマトのスープとカッペリーニ>、そして<オレンジ風味のニンジンサラダとチキンのグリル>
とりわけ、トマトスープはスペインのガスパチョ風で、トマト、セロリ、パプリカ、トマトジュースをミキサーにかけるだけで、なんともいえぬ風味のソース風スープができ、それにカッペリーニより少し太めのフェディリーニが絶妙の相性。
一見簡単そうだが、手順、手際、見て会得してこその、効果ありのレッスン。
真理先生のセンスの良さにあらためて感動。
白のグラスワイン、エスプレッソのサービスもあって、五時から九時すぎまで楽しい会話いっぱいの満足ディナーであった。

翌日、急な下血で緊急入院したと知らせがあったので、義姉を見舞いに行く。また一回り小さくなったような姿に衝撃。でも痛みはまったくないと言う言葉に少し救われる。
皮膚の白さが増したみたいで、きれいな素顔。
会話は可能だが、言葉が出てこない、と言って、目をつむって考える様子に、せっかちのわたしはつい助け船を出そうとしてしまう。
あなたの夢ばかり見てたわ、思いがけない言葉。
最後の晩餐にあなたのパスタが食べたいの。
今の彼女の状態では、スパゲッティは無理そう。
そうだ、こういうときこそ、きのうの、あのガスパチョ風フェディリーニなら、ぴったりかも知れない。
ナースステーションで差し入れが可能であることを確かめて、近日中に再訪することにした。

2011年8月20日 (土)

一日の終わりに

ありがたい<おしめり>だった。大地が潤っている。
正に神様のお水、この驟雨を<おしめり>という言葉で言い表すことができる、日本語がうれしい。
新しい家に植わったばかりのミモザと、葉先が茶色くなって怪しくなりかけていた、二本のハナミズキが心なしか元気になったような気がする。
三十坪ぎりぎりに建てられた家には庭はないのだけれど、その木々の根元や、わたしの自室の前に張り出したウッドデッキと隣家との境の柵の際には、雑草が生えてくる。
以前の広い庭の雑草とりは大仕事だったが、身体は自由に動かせたけれど、この柵の際にかがみこんで抜かねばならない、草抜きは難儀である。
狭い家は家事仕事が楽になったようでいて、こういうことに不自由も生じてくる。

自室のダンボール箱がようやく消えた。残っていた箱の中身はすべて書籍であったが、大型の書棚を購入したので、収まったのである。
四十年まえのアメリカ生活で、年とって時間がたっぷりできたときに読む楽しみのためにと買ったヴィクトリア・ホルトのゴシックロマン数冊が古びた姿で並んでいるが、読み出したらやめられないあの面白さはもう遠いものとなってしまった。
ペーパーバックの細かい字は眼が疲れるし、ハードカバーは重たいのである。

2011年8月18日 (木)

アッパッパー

改装中だった自由が丘東急スーパーが新装開店したとき、ベーカリーの有名店が二店も入り、イタリアの食品専門の『イータリー』まで出店したのを知り、大喜びしたものだった。
さらに二階には輸入食品専門の店や、東急ハンズまである。靴屋や、手芸品の店もあり、へえ~と驚くばかり。スーパーも高齢者の顧客を考慮に入れたメニューがぎっしり、ミニおにぎりなんかもある。
そのことを、ねえ、ねえ、知ってます?と言って緑が丘や大岡山の高齢者の主婦たちに話したら、彼女たちはあまりうれしそうな顔をせず、あの雑貨を売ってた二階がなくなって不便、とりわけ普段着は全部あそこで間に合わせていたのに、と言うひとが多くて、意外に思ったのだった。

さて、この酷暑の夏、アッパッパーがほしくて、自由が丘中を歩いたのだが、一番安くて3000ナンボもするのである。
引っ越してから雪が谷でようやく1000円台のを見つけて買った。
今は腕が痛いのでかぶりの衣類がつらい。前開きのアッパッパーがもう一枚ぐらいほしいと思っていたら、きのう雪が谷の東急スーパーの二階で黒白のバティック柄の正にこれ、というのを見つけ、1050円で買った。
ここの二階は依然として本来の雑貨専門の様相、探していた麦茶のピッチャーもぴったりのがあったし、ともかく日常必要な家事用品がよく整理されて並んでいる。
主婦が、本当に便利だと思うのはこういうところがあること、目新しい有名店の美食などはどうでもいいのだ、あの高齢主婦たちの賢明さを今ごろになって実感したのであった。

2011年8月15日 (月)

感動、笹本恒子さん

『徹子の部屋』のゲストに目が釘付けになった。女流報道写真家の草分け、笹本恒子さん、96歳。
ほっそりして、にこやかなお顔はしっかりメイクもほどこし、豊かなおぐし、もしかしたらカツラかなとは思ったが、とてもチャーミング、お育ちがしのばれるお品のよさ。
何より驚いたのは、黒白の幾何学模様の大胆なテュニックが、インドのテーブルクロスから作ったお手製であること。イヤリングもおそろいの白黒模様のロング。
おしゃれも極まれりという感じ。
夕食はいつもごはん、パンなしのワイン170ccとお料理、お手製なのだそうだ。
イタリアのアペルティーボ並みということか。賢いメニューだ。

人間は85を過ぎるとこわれてくる、とある医師が言った言葉を、かなり、真剣に受けとめていたのだけれど、来年はワイナリーめぐりをしながら写真をとりますとおっしゃる、まだまだ前向きな余生に拍手。

笹本さんのお年まであと23年、生きられるかどうかはわからないけど、腕が痛いなどと、くよくよせず、自分をはげましながら、しっかりせねば。
とりあえず、ミシンを開ける勇気を出して、カッティングしてある、絞り染めのテュニックを縫うことにしよう。

2011年8月14日 (日)

イクジイの話

今朝の新聞にイクメンならぬイクジイの記事が出ていた。昨今、じいじが孫の面倒をみる例が多くなったというのだ。
思えば、夫はその先駆者的存在だったと思う。15年まえ、娘婿が急逝したとき、三歳一歳の孫の面倒、というよりは父親がわりの役目を果たすことになった。
娘婿が遺した小さな会社の後始末、税理士と司法書士の仕事をこなしたあと、その後はもっぱら運転手になって、保育園の送り迎え、公園や児童館などに連れて行き、遊び相手にもなった。
ちょうど、実母と義母も介護を必要としていて、わたしたち二人で同時に孫の世話をするのがむずかしい時期でもあった。

孫たちが十歳八歳になったある日、彼らの好んだ駒沢公園の中にある、ブタ公園に出かけたとき、二人が走り回って、危なげなく遊ぶのを見て、楽になったよ、と大きくため息をついたその言葉の奥にどれだけの苦労があったかを感じたのだった。

現在も週に二度、夕食をつくりに娘の家に出かけていく。あいかわらず腰痛があるので、わたしが代わるわよ、と言うと、オレの楽しみを奪うのか、などと言う。
夫はベイスターズの長年にわたるフアンで、いつのまにか娘や孫たちも洗脳してしまった。
わたしは野球に関心がないが、夫が絶好の話相手を得たのを安堵したものだ。

この15日が孫息子の誕生日、17日が夫の誕生日なので、娘が二人を横浜球場の試合に招待する企画をたて、先日出かけていった。
わたしは久しぶりの一人ごはんを楽しんだのだが、テレビをつけてみると、なんとベイスターズが巨人に勝っていて、やれやれと胸をなでおろしたのであった。

2011年8月11日 (木)

続 猛暑時の外出

そして、きょう

上腕の痛みは一向によくならない。定山渓の温泉効果を期待して、一泊のうち四回も浸かったのに、さしたる効き目はなかった。
いつもの整骨院がお盆休みなので、まえに通っていたところに電話し、45分、マッサージを予約。
腕が痛いとスポーツクラブに行く気もせず、よどんでいた疲れがようやくとれた感じ。
少し楽になったところで、D病院に向い、保険証を示して差額を返してもらう。
病院で9000円、薬局で2300円も戻ってきた。保険のありがたさを知る。

ちょうど十二時、暑い盛り、それでも自由が丘まで足をのばす、気力が残っていた。
一ヶ月来なかったら、駅前のドラッグストアが九州豚骨ラーメンの店に替わっていた。
ネギラーメン、おいしそう。
でもきょうは日本そば、『さらしん』で手もみのおろし小エビそばを食べる。この店は少々高いけど、味には必ず満足する。
そこから東急スーパーへ。サンジェルマンで夫の好物、リンゴパイを買うため。うすいパイ生地にリンゴのスライスがのった、デリケートなパイ。ほかのサンジェルマンにはないのだ。
近頃、夫との仲が険悪気味、来年金婚式という夫婦、こんなものなのだろうか。
ともかく修復を心がけたい。
『イータリー』にも立ち寄る。ああ、イタリアのあらゆるおいしいものがここで手に入るなんて。
ジェラートも勢ぞろい、おや、ココナッツがあるではないか。と、小カップ注文。
身体の熱気がすべて消えたところで、駅に向う。
帰宅して汗びっしょりだったが、シャワーをあびて、ベッドにどたん。
まずは無事でした。


猛暑時の外出

きのう

よりにもよって一番暑い午後二時過ぎに視野の検査、D病院に行く。
ボタボタたれる汗をぬぐってもらいながらの、片目五分ずつの検査、瞬きしてもいいですよ、と言ってくれるが、そのあいだに光をキャッチしそこなったら、どうなるの、と聞きたくても言いだせないほどの緊迫の五分。
眼圧も視野もまったく正常値で、心配なしとのこと。薬はヒアレインだけでいいと言われたので、目やにが出るのでクラビットも?と訊いてみると、いや、ドライアイの脂だから、これはいいでしょう、三ヶ月に一度くらい検査にいらっしゃい、で終わった。

秋にはレーザー手術をしないと危険みたいな剣幕だったあの老医師の顔を思いだすだけで、胸がフツフツしてくるけど、この際、緑内障がそれほど怖れる眼病ではないという知識を得たことをむしろ、感謝すべきなのかも知れない。
支払のときに保険証が目黒のときのままになっていて、期限が切れているので、自費払いになり、10000円以上も払うことになった。ヒアレインまで2500円も。
夫が手渡してくれた保険証が目黒からのものと気がつかなかったのだ。
土地を売ったので、負担金の割合が上がって二割になったということばかりに目がいっていた。

友人とマージャンの最中の夫に携帯をかける。帰って見てみないとわからないよ、と不機嫌は応え。ジャラジャラ、ガーガー騒音の中。

まかせておくとこのままではまた数日たってしまいそう、と帰りに区役所の出張所までバスで行って、自ら交渉する。
係りのひとがパソコンで調べてくれたが、大田区自体も発送したかどうかが確かではなさそう、で、わたしが年寄りがこの暑い中何度も出かけるの大変なんですよ、とうったえたら、案外あっさり、再発行してくれた

2011年8月 8日 (月)

よくぞ言った

今朝の毎日新聞に出ていた週刊誌の見出しに思わず快哉を叫んだ。
「テレビよさらば、見たい番組が一つもない!」
この週刊誌はどちらかと言うとキワモノ的な記事が多く、わざわざ買おうという気にならないタイプのものだとみなしていたのだが、グワ~ンと胸に一撃である。

我が家のダイニングキッチンにはテレビがない。
一人で食べるときになると、なにか物足りない。
皿を持って、テレビのある自室に持っていきたくなる…それほどにテレビに毒されているのだけれど、そのくせ、スイッチを入れ、チャンネルをまわしても本当に見たいという番組に出会うのは十回に一回もない。

お笑い連中の出ている番組はおかしくともなんともなく、空しいばかりで、唯一腹の底から笑えるのは『笑点』ぐらいである。
もっと純粋な日本の伝統話芸を放送してもらいたいと思うのに、きわめて少なく、面白い漫才だと思って注目していると、そのペアはすぐトーク番組の司会か、出演者になってしまって芸を磨くことをやめてしまう。

お笑い系のトーク番組やコマーシャルばかり見せられていると、年間10パーセントの知性が損失するというせりふがあるアメリカのミステリーを、二十年まえに翻訳したことがあるけれど、現在の損失量はそれどころではないと思う。

2011年8月 6日 (土)

PMFファカルティ・リサイタルIII

PMFに合格した若き団員たちをパートごとに指導するのが、ファカルティと呼ばれる、すでに第一線のオーケストラで活躍する演奏家たち。
そのひとたちのファカルティ・リサイタルに、帰京する前夜でかけた。
場所はKitara小ホール、東京の紀尾井ホールくらいの規模、大ホール同様、音響がきわめて美しい。
交響楽団を構成する楽器のうち、ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、オーボエ、トランペットやハープは独奏になじみ深いが、そのほかの楽器を単独で聴く機会はあまりないので、得がたい体験をした。
なかでも興味深かったのがティンパニー。強弱、スピードの変化だけでかもしだす音の妙味、ボストン交響楽団のテンパニー奏者、ティモシー・ジェニスの演奏は四つの小品を巧みに奏でわけて、納得させてくれた。
ピッツバーグ管弦楽団のコントラバス奏者、ジェフリー・ターナーが演奏した、『小さなワルツ』は小澤征爾さんの話によくでてくる指揮者クーセヴイツキーの作曲、どんな前衛的な曲なのかと思ったら、超ロマンティックなメロデイーでこれも忘れがたかった。
音楽とは音を楽しむことが基本となっているのだとつくづく感じながら、学んだ二時間余。
それにしても、コントラバス、トロンボーン、トランペット、オーボエ、ヴァイオリン、五種の楽器に合わせ、ピアソラからモーツアルトまで七曲もの伴奏を一人で弾きこなした、赤堀絵里子さんには敬意と驚嘆でいっぱい。
独奏者を引き立てる役をこの上ないテクニックで奏しながら、あまりにも見事なハーモニーなので、まるでデュオのように聞こえてしまうくらいの力量、その大仕事をこなしたのが日本人女性であることも誇らしかった。

2011年8月 3日 (水)

定山渓温泉

今から五十年まえ、大学卒業時に北海道一周旅行をしたとき、通りかかった定山渓はありふれた温泉街という印象しかなかった。
今回札幌から車で一時間余、着いたあと、宿のSグランドホテルに荷物をあずけ、あたりを散策してみると、眼下に水しぶきをあげている渓谷の流れ、まわりの緑深い山々の眺めはなかなか趣き深く、夏のこの時期には客足も少ないせいもあるが、四人の感想は、なかなかいいじゃない、ゆっくり休めそう、で一致した。
途中、喉をうるおすために立ち寄った、『ふる川』という宿のラウンジはクラシック音楽が流れ、民芸調の山小屋風、徹底した和のインテリア、売店の商品の選択もすぐれ、Tシャツなどのデザインもセンスもよく<あなたのふるさとでありたい>というスローガン、皆で顔を見合わせ、ここにすればよかった、と言いあったが、こういう目で見て初めて納得する好感度というのはネットではわからないものなのだ。

Sグランドホテルも老舗だけあって、浴場もよかったし、ハチミツバイキングという20種のハチミツをクラッカーにのせて試食しながら、各種ドリンクサービスしてくれる工夫なども楽しめた。
部屋のテーブルに調理の代表者の出版した本があり、料理には五味、五法、五色をとりいれなくてはならない。目で味わい、口で楽しむのである、とか書いてあるので、さぞやと夕食に期待したのだった。
ところが白味噌が入っているとかいう、ホワイトソース系の鍋にはカラフルな野菜が一杯入っており、色はきれいなのだが、味がくどく、焼き物は輪切りのタマネギに人参や味付けした切り身の魚がのって、クッキングパーパーでくるんで焼いてあるという風変わりな代物、五味、すなわち、甘、辛、酢、塩、苦などの味のとりあわせの妙がなく、刺身のツマも大根ではなく、なにか海草のようなものだったし、きれいでしょ?とか自慢げに出された、茶碗蒸しにはおよそ不似合いな赤のパプリカのみじんが散らしてあるといった具合、最後に期待した味噌汁にはなんと、とろろ昆布が入っていて双方の味を損なっている、ああ、なんなんだ、これ、五味、五法より、五色のみにこだわった奇をてらった創作料理じゃないの、四人ともうんざりで、きれいに平らげた皿は一つもないありさまとなった。

2011年8月 1日 (月)

夏の花見

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高齢者同年代の外出は食欲や疲れ具合の度合いも同じなのが、ありがたい。
「白い恋人パーク」から、東京の築地のような市場の近くに出て、お寿司を食べたあと、タクシーに乗った。
ドライバーがよく話すひとで、ラベンダーの話が出たとき、いまごろ富良野はきれいだろうと言ったら、札幌にもラベンダー畑が見られる、と言うのである。
ここから、10分ぐらいだというので、連れてってもらうことにした。
ところがその10分が長くて、どんどんメーターが上がる。
大層な値段のタクシー代になったが、着いた先は東海大学の南沢、ラヴェンダーキャンパス、実は日本におけるラベンダー栽培のルーツなのだそうだ。
入場無料、正面脇の広場一面に紫色の畑が広がっていて、黄色い蝶も舞っていた。

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