2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
フォト
無料ブログはココログ

« 2011年6月 | トップページ | 2011年8月 »

2011年7月に作成された記事

2011年7月29日 (金)

ファビオ・ルイジを知る

しばらく海外演奏家のコンサートに出かけないでいたら、T子さんたちの会話についていけないほどの知識の差が生じていた。
PMF,パシフィック・ミュージック・フェスティヴァルがバーンスタインによって創設されたことは知っていたが、質、規模共にこれほど発展していようとは知らなかった。
ましてや今回の藝術監督、イタリア人のマエストロ、ファビオ・ルイジの名も知らずにいたので、先入観や予備知識もないまま、いきなり音楽を耳に入れる体験をした。
ガラス張りのキタラホール、右に大ホール、左に小ホール、アリーナ型の大ホールはすこぶるつきの音響、その前から六番目のど真ん中の席でブラームス交響楽二番を聴くことができた。
指揮者はどちらかというと学者のような風貌のメガネをかけた細身で華奢なひと。
白く長い指の左手が情感をたたえて振られる。
<音楽を手のひらにのせて運ぶようだ>と喩えられたカルロス・クライバーのことを思い出した。
ルイジ氏の振りかたはクライバーより抑制がきいているが、右手よりはずっと饒舌で見ていて飽きない。
それよりも驚いたのはフォルテッシモ、全身を激しくしならせて、あらわす指揮ぶりである。
最終楽章の徐々にクレッシェンドしながら、クライマックスのフォルテッシオに導く高まりをあらわすしなりの激しさとそれに呼応する音との究極の一致は、聴衆の深い感動を即製する、これぞ音楽の喜びと感ぜずにはいられなかった。

震災の影響で、当然応募すべき優秀な団員の欠如で、今回の演奏の質を懸念する声も聞かれたが、射るような眼差しで指揮者を見つめる団員たちを見つめながら、若さ、素直さゆえにつくりだすことのできる清廉な音を感じ取れたと思った。

2011年7月27日 (水)

札幌へ

引越しの準備に追われていた五月末、今夏の酷暑を逃れて、PMF音楽祭の開催地である、札幌に出かけないかというT子さんのお誘いにわたしは即、のっかった。
すでに同行を決めていたYさんご夫妻、わたしたち四人は数年まえ、ノルウエーのピアニスト、アンスネスが芸術監督を勤めるリソールの室内音楽祭への旅を決行した同じメンバーである。
クラシック音楽をこよなく愛する同年代の四人、久しぶりの再会であっても楽しい話題が次から次へと繰り広げられるのはすでに経験ずみ。
幸い、音楽祭のハイライト、ファビオ・ルイジ指揮のブラームスのチケットも手に入り、PMFの会場、中島公園内のキタラホールへ徒歩五分の距離のパークホテル、四泊、あいだに定山渓の温泉一泊を含む五泊の旅プランが完成した。

そして7月22日、羽田から一時間半で着く札幌、大きいスーツケースはすでに宅急便でホテルに着いている。

リソールのときは、大のスーツケースを抱えながらの緊張の旅で、オスロから4時間ものバスにゆられて、開催地である、海辺の保養地にたどりついたのだった。

新千歳空港からJRで札幌へ。
駅も街も東京よりずっと人が少ないので、空気が清浄、ゆったりした気分になる。
緑の濃淡も深く鮮やかで、公園内にはブルーのアジサイがたわわに咲いているのが目にとびこんでくる。

パークホテルのビュッフェ朝食も豊富なメニューで美味、七十代とは思えぬ食欲、満杯の皿をかかえながら、苦笑をかわした。
T子さんも、Yさんご夫妻も賢く、美しく、健やかにお年を重ねている。
いつも音楽に癒されているからかも、と思った。

2011年7月21日 (木)

あれやこれやの一日

二日後の北海道旅行をまえに、眼のことをはっきり知っておきたい、そう思って、セカンドオピニオンをもらいにD病院の眼科に行った。
老眼になってから二十年も診てもらっているところだ。ドライアイの薬もここに直行すればよかったのに、病院なのでバスに乗って待ち時間が長いのが引っ越しまえではわずらわしく思って、あの問題の眼科に出かけてしまったのだった。
一年ぶりのI先生はおひげをたくわえて、貫禄が増している。
じっくり検査されながら、これでサンピロなんか使うかなあ、とひとりごと、わたしが秋にレーザー手術をする、と言われたことを告げると、ふうむ、そういう風に持っていくのか、とつぶやき、レーザー手術って、すごく高額なんですよ、と言われた。
そして、ぼくの結論としてはその心配はないと思います、まあ、あの先生は緑内障の権威で大先生ではあるんですけどね、に、黒雲がふきとぶ。
二子に出て、久しぶりにデパートで化粧品購入。
買い物に出るひまもなく、ファンデーションも口紅も容器の隅までこそげとるようにして使いきってしまったので。
帰宅すると、夫がSHARPのデジタルコードレスファクシミリという電話器を買ってきてとりつけているところだった。
一番気になっていた、保留のときのメロデイ音を確かめたら、二十年、聞きあきていた、ビューティフルドリーマー、取り扱い説明書には項目がないというのを、絶対あるはずだ、と言い合いになり、最後は夫が説明書を叩きつけて、エンド。
着信音は鳥の声や、クラシック名曲五種くらいあれこれあるのに、なんで?とSHARPにTEL。
この機種ではこれ一種類となっております、の返事にまだ納得いかず、本社にTEL。
応えは同じ返事の繰り返し。
友人の電話器ではとてもいい音楽が流れたりしているのに、どうしてこれ一曲に決まってしまっているのか、納得いく技術的説明をしてくれないので、イライラがたまったままだ。

2011年7月19日 (火)

なでしこジャパン、おめでとう

スエーデン戦に勝ったとき、もしかしたら、という予感があったが、それが本当になった。
朝六時、テレビをつけると、ハイライトをやっていた。
先取点をとられても、追いつき、それがまた繰り返され、最後はPK戦で勝つなんて、なんという、このがんばり、胸の底から感動があふれ、涙がこぼれた。

ドライアイでも緑内障予備軍でも涙腺は正常に機能したのである。

しかも、あのアメリカに勝ってくれたのがうれしい。
戦争では負けたアメリカに。

七歳で敗戦の焦土に立ち、それから、二十数年後、夫の駐在に伴い、アメリカで生活したとき、こんなに、豊かで大きな国となんで愚かな戦争をしたのだろう、と思った。
そして、日本の文明はどんどん進化し、帰国後十年して再訪したときは、アメリカの文化に追いついたどころか、追い越しそうになっているとさえ思えた。
そして、その十数年後の去年、再び訪れたとき、とりわけ高齢者の生活に問題が山積している、アメリカの病んだ部分がはっきりと見えてきた。

いまの日本はアメリカを越えているという気がしていた矢先である。

大震災という災厄の影響に苛まれながらも忍耐の日を過ごしている日本人にとって、サッカーと言うプレイするほうも観戦するほうも忍耐を強いられるゲームで、その忍耐の勝利をまさしく体現してくれた、なでしこジャパンに惜しみない拍手をおくり、よくやった、と叫ばずにはいられない。

2011年7月16日 (土)

失明不安

ドライアイの薬がきれたのだが、かかりつけの眼科医が転居してしまったのを知り、しかたなく、電柱に広告が出ていた別の眼科医に診てもらったら、思いがけない診断をされた。
「緑内障の兆候があります」眼圧も高め、視神経の陥没が平均より、深いのだという。
「先生、その平均とは高齢者の平均でしょうか?」とすかさず訊いたら、それには応えず、すぐに視野の検査の予約をとること、サンピロという点眼薬を一日一度さすこと、今後薬をのむときは飲み合わせがむずかしいので、緑内障だということを提示することなど、の指示があり、一週間後の予約を一方的にとらされた。
視野の検査は淡い光がわかりにくくて、余分なスイッチが多かったようだが、よく目配りできてがんばったのに、慣れてないから、下手だなどと言うのである。
サンピロをさらにふやされ、一日二度、八月にまた視野の検査をするという。
秋には房水の流れを促進するためにレーザー手術をすすめたい、この先生、なんでも緑内障の権威なのだそうだが、お年が七十代、わたしをすっかり緑内障患者にしたてて、ゴキゲンの様子。
ネガティブなことばかり言う、この医者、いくら名医か知らないが、好感が持てなくなった。
案の定、サンピロは副作用がほとんどない、などと言っていたのに、眼がヒリヒリ、ごろごろ、本を読む気にならず、朝の寝起きが著しいドライアイを感じる。
これは尋常じゃない、こういう症状が出たら、即座に中止して指示をあおげ、と処方箋に書いてあるので、きょう、土曜だったが、医院に電話すると、別の医師でもよければ、お話をうけたまわります、と言われた。
その別の先生、メガネをかけたカーリーヘヤーの若いひとだったが、薬はすぐやめていいです、眼圧、普通ですよ、予防のために処方したんだと思うけど、緑内障ってほどじゃない、院長、おどしが過ぎたんだと思うとまで言ってくれて、目の前が明るくなった。
自分の身体のことは自分が一番よくわかる。
なにかおかしいと感じる直感もこの年だと、鋭くなっている。
ドライアイの薬もヒアレインより、処方箋なしで買える人工涙液のほうが効くのである。
この若い先生のほうに今度から変えてもらえません?と受付で訊いてみたら、予約満杯で、八月の二十日までいっぱい、と言われた。
わたしみたいな例、案外多いんじゃないだろうか。

2011年7月15日 (金)

痛みと共に

夫の静脈瘤レーザー手術経過は順調だが、ヒリヒリ、ズキズキが多少あるらしく、それを相変わらず冷えピタでおさえている。
入浴できるようになるのは一ヶ月先だそうだ。
痛みを意識して不自然な歩き方をしたせいで、腰もあやしくなってきている。
日常生活には不自由はないが、集中して労働するのは無理、手術前に部屋を片付けてしまったのは、アッパレだったと思う。
わたしの部屋のダンボール箱も残り二個となったが、相変わらず上腕ににぶい痛みがあって、それがひどくて、明けがた目がさめてしまうこともあるので、マッサージの医院を替えてみることにした。
夫が十数年まえから絶大な信頼をおいている整骨院の先生に予約がとれたのだ。
腕をいろいろな角度にあげて、痛さを比べ、腕の支え方で痛みが調節できることを、明確に実感させてもらってから、水泳は背泳をしばらく控えたほうがいいこと、痛いほうの腕を下にして寝ないほうがいいこと、重いものは右手で持たないようにすること、痛みのある部分のマッサージは控えたほうがいいことなど、これまで疑問に思っていたことに納得のいく説明がされて、安堵した。


2011年7月12日 (火)

ありがとね

NHKの『クローズアップ現代』で「みんなの歌特集」をやっていて、知った。
なんと『コンピューターおばあちゃん』という歌があるではないか。
動画ではひっつめ頭の着物を着た明治生まれのおばあちゃんがコンピューターを駆使している姿が誇張して描かれているのだが、実際の歌詞では、このおばあちゃん、コンピューターみたいに物知りだということらしいのである。
わたしは違うぞ、ほんとにコンピューターやってるんだ、と力んでみたが、ちょっとあわてる事態が起きた。
更新、更新とクリックしていたら、いつのまにかインターネット・エクスプローラーの画面がまったく違ったものになってしまったのである。
大事な<お気に入り>も<ココログ>の表示もなくなっている。
あちこち探し、「お気に入りが消えた」という項目でネットからヘルプも求めたが、ダメ。どうやっていいかわからない。
そうだ、こういうときこそ、『まかせて315』だ。
そのために毎月¥315ずつ払っているのだ。
電話したら、めずらしくすぐ応答があったが、目下混みあっている、口頭で三十分以内なら¥1890だが、一分でも過ぎると、また¥1890かかる、画面を開いての解決だと、六時ごろまで電話を待たねばならない、という。
なんなのだ、これは。いつでもすぐあなたの疑問を即解決します、というのと違うではないか。腹立つ!!

そこでやはり我が助っ人、孫息子にTEL。
「どうしたの、ばぁば。そう、わかった、あと一時間ぐらいで行くよ」と頼もしい返事。
暑いなかやってきてくれて、チョコバーのアイスクリームほおばり、麦茶をゴクゴク飲んでから、あっという間、といっても十分ぐらいで、解決してくれ、おまけにインターネットの画面の整理もしてくれて、超すっきり、となった。
「ばぁば、これで1890円とはブッタクリだよ」と言ったが、わたしは¥2000を差し出す。

実際のコンピューターおばあちゃんはパニックに弱い。
助っ人に大学に合格するより、こういうことを即座にしてくれるほうが、世の中では大事だと言いたかったが、ママに叱られそうなのでやめた。

2011年7月10日 (日)

おざなりにできぬこと

主婦歴五十年になるというのに、献立に迷うことがある。
それというのも夫と食べたいものの好みが異なることが多いからだ。
それにこの暑さ。
腕の痛みがあるので、何をするのもイヤ。
だからと言って、外食する気にもなれない。
出かけるのも面倒なのである。
少しでも痛みをやわらげようと、整骨院に電気をかけにいく。
夫はレトルトのカレーでいいよ、と言って、トニックウオーターを売っているジャスコへ車でひとり向かった。
わたしはコンビニのおにぎりにする。
昆布と、焼き鮭、1,2,3の順に破いていく、あのおにぎり、結構気に入っている。

夫が交差点で車をとめていたとき、うつむいてトボトボ歩いてくる老婆がいると思ったら、わたしだったと言った。

その日はほんと体調最低で、炎天下に洗濯を大量に干したので、もしかすると熱中症ぎみだったのかも、とも思う。

レトルトカレーにサラダを手作りのサービス。
おにぎりにはもやしとお揚げの和え物とインスタントのわかめスープにオクラを切って散らしたら、結構おいしくて箸がすすんだ。

そして翌日、久しぶりにBBOというネットのブリッジゲームでベストパートナーの男性とプレイ、めずらしく上位入賞、なんだかウキウキして、椅子の背に仰向いて思いっきりストレッチしたら、それが効いたのか、腕の痛みがやわらいできた。

峠は越えたと思っても、まだまだ試練の夏である。

2011年7月 8日 (金)

峠は越えた

夫の静脈瘤の手術には付き添い無用と言われたので、自宅で待機していたのだが、二時間半後、携帯をならすと、元気な声で応答し、タクシーにも乗らず、上機嫌で帰宅。
痛くもかゆくもない手術でバンソウコウをはがすときだけが唯一痛かったのだそうだ。
点滴と麻酔を担当する看護師さんが常に話しかけるのに、応え、しゃべり続けたらしい。
レーザーのことを、『少年倶楽部』で愛読していた海野十三の殺人光線みたいなものだ、と言ったら、大笑いだったなどという。
こんな楽しい手術の時間は初めてだったって言われたよ、などと自慢している。
自分のことを話すのが大好きなひとなのに、聞き手に不自由している昨今、憂さがはれたひとときでもあったのだろう。
翌日包帯をはがすと、目を覆いたくなるほどの赤紫の傷痕だったが、痛みはなく、足の付け根がつれる程度の症状。
そこに冷えピタを貼りなおして、ストッキングをはかせる。
ともかくインド生まれ、夏にはめっぽう強い夫だが、今回の手術は相当覚悟していたらしいので、この程度で済んでほっとした。
わたしの上腕のにぶい痛みはあいかわらず居座っている。
引っ越して二週間、まだ開いていないダンボール箱の中身の収まり先もほぼ見当がついたので、加齢現象と共存しつつ、なんとか夏をのりきれそうである。

2011年7月 5日 (火)

IKEAに行く

自室の大きめの書棚を廃棄したので、未だ残っている書籍とファイルの納め場所が必要になった。
それとテレビを壁づけにしたので、その真下とベッドすその空間を埋めるチェストのようなものがほしい、と思って、夫とIKEAに繰り出した。
これまで二度出かけたことがあるが、まだ大きい家具を買ったことがない。
効果的なディスプレイに魅せられるのだが、いざ買おうと思うとぴったりの品目がないのだ。
今回も正しくそうで、IKEAの家具も部品もDIYの製品もすべてサイズがIKEA風に決まっており、こちらに合わせようとしても無理なのである。
結局買ったものは300円から700円ぐらいの、レジ袋ホールダーや、マルチユースハンガー、食器洗いブラシ、キッチンクロス、ブックエンド、トイレブラシホールダーといったもの、〆て3000円ほど。
出口にたどりつくまでこういうものを買わされる手口に見事はまってしまう。
二人して満足したのは立ち食いのホットドッグ。
なぜかIKEAのホットドッグはおいしい。
ソーセージ10本とドッグパンも買って帰途につく。
すでに建ててしまった家の内部スペースをうめるための収納家具は、島忠のような日本風のホームセンターで間に合わせるしかないことがよくわかった。
夫は新婚当時、よく日曜大工をして棚などを吊ってくれたが、二日後、静脈瘤のレーザー手術を控えている現在の状況では無理。
七十九歳、この10日間よくがんばってくれたと思う。

2011年7月 2日 (土)

テーブル調達優先

ダイニングキッチンの半分はカウンターつきのシステムキッチンが占めており、右半分に未だテーブルがないので、食事が共にできない。
自分の分をお盆にのせて、それぞれの部屋でテレビ見ながら食す、なんて子どもには禁じていたことを平然としている。
それとダイニングルームの東側の陽射しがきつく、すだれがほしくなった。
似合う、似合わないは問題ではない。緊急事態である。
別々に食事をとるので、話し合いがむずかしい。
テーブルやすだれを買いに出る時間の打ち合わせをしようにも、テレビを観ている夫は耳を貸さないのである。
弱っちいベイスターズが負け始めたので、機嫌すこぶる悪し。
そしてわたしのほうも『おひさま』再放送を見ているとき、ちょうど<和さん>帰還のい~いシーンのとき、おい、行くぞ、なんていうブスイな声。
お互いイライラを抱えたまま、三菱ミニで出発。
期待はしていなかったのだが、島忠ホームセンターで夫が正に望んでいたタイプのテーブルが見つかった。
両側がたためるバタフライテーブル。しかも中に三脚の椅子が入るようになっていて、キャスターもついている。
椅子のデザインと座り心地がいまひとつなので、椅子だけ座り心地抜群のカリモクにする、そこだけは気が合って、ようやく和やかムードとなった。

« 2011年6月 | トップページ | 2011年8月 »