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2011年6月に作成された記事

2011年6月30日 (木)

高齢者の新築

高齢者が家を新築するのは稀有な例らしい。
昨年、いよいよプランニングをするというときになって、書店にでかけたが、リフォームや老人ホームの見つけ方の本は沢山あるのに、新築プランの本は一冊もなかった。
なにか途方もないことを始めるような気がして、心がはずまなくなった。
三十坪ぎりぎりに建てる総二階の家の間取りは工夫のこらしようもなく、それぞれがくつろげる個室に重点をおき、リビングルームはあきらめて、ダイニングキッチンだけにする。
ドアの形、窓の種類、床材、システムキッチン、浴室のあれこれ、あまりにも多くの選択と決断に迷いがつきまとい、ストレス過多になる。
いいものを選びたいが、統一的な構想が必要、センスがよくて、主婦経験の長いひとにアドヴァイザイーになってもらうことにした。
六十を過ぎてインテリアデザイナーになったHさん。
国際婦人クラブで知り合ってから、三十年余の付き合い、現在75歳、ご主人と伯母様の介護をしながらのキャリア。
あなたをますます大変にしちゃうかも、と言ったら、これがいまのわたしの生きがい、この仕事をしているときが一番幸せなの、と応えてくれた。
完成した家の一番の自慢は階段である。
普通二階の階段は13段だが、我が家は17段、段の高さ、<けあげ>を二センチ低くしたため、上り下りが実に楽。
夫が何度もつぶやく、この階段はほんと、よかった、と。
壁紙や建具、照明器具など、かなり彼女にお任せしたのだが、それも正解だった。
まだ十箱ほど残っている引越し荷物、箱の中身はアルバム、情報書類と本、こんどこそ徹底的に断捨離できそう、なにせ入れる場所がない事が明白になったのだから。

2011年6月28日 (火)

引越しレポート 3

日本語では、転居の際の行動すべてをひっくるめて<引越し>という名称があるため、なにか特別の大仕事のように気負ってしまうのだが、英語では動詞のmoveが名詞化してmovingになる、すなわち<移動>の一つに過ぎない。
ちょうど旅行が生活の一時的移動であるのと同じように。
少しでも気分を楽にするためにそう考えることにした。
すべきこと、最重要項目二つは、貴重品の管理、とすぐ使うもののしまい方。
貴重品の管理は、さしあたって、現金と通帳なので、旅行のときのようにキャミソールにつけたポケットの中に入れる。
自室ですぐ使うものは徹底して自分で梱包。
デスクまわりのファイルや小物、パソコンまわりの資料その他は、引越し業者支給のダンボール箱より、ペットボトル半ダース要りの小箱が役に立った。
キッチンは何をどのように一緒に分類するか、エプロン隊のリーダーによく理解してもらったので、今回は紛失物なし。
それにしても隠しておきたかった、日常のだらしのなさが、この大移動ですべてあらわにされる。
これが身体の節々の痛みに伴って、あせりをかきたてるのである。

2011年6月26日 (日)

引越しレポート 2 その時チャイは

引越しの初日は、梱包し終わった荷物を積んだ部屋で最後の夜を過ごし、翌日搬入と同時にマンションを引き払うつもりでいた。
その際チャイは九時から五時まで獣医科医院に預かってもらう約束をしていた。
それなのに、その当日なんと早朝五時過ぎから外に出たいとニャオ、ニャオと騒ぐ。
いつもは一時間ぐらいで戻ってくるので、夫をぎりぎりまで寝かしておきたかったし、最後の散歩だとたかをくくって、出してしまったのだった。
ところが引越し業者が来る時間になっても戻ってこない。
「出すな、とあれほど言っておいたのに」という夫の激怒の言葉にわたしも愚かだったとうなだれるばかり。

結局搬入は夫だけが立ち会うことになり、わたしは空っぽのマンションに残って、チャイの帰りを待った。
ネコめが戻ってきたのは六時間後の昼過ぎ、ともかく戻ってよかった。
今度こそ出したらどうなるかわからないので、どんなに啼いても知らん顔。
コンビニのサンドイッチとカフェラテを食しつつ、急遽買いもとめた文芸春秋一冊を読みながら過ごす。
夫が迎えにきたのが六時過ぎ、チャイはトップとサイドがネットになったトートバッグに入れられ、移動。

それから二日間、二階の夫の部屋で引きこもり状態になった。
そして三日目の昼過ぎ、わたしの部屋まで降りてきて、網戸ごしに以前の庭の空気をかぐような様子。
思い切って外に出してみると、おもむろに家のまわりを一巡し、やがて、隣家のネコ道の残りにひらりと跳びのり、駆け抜けて行った。
夜の八時すぎ、甲高い啼き声で帰宅。もう大丈夫。

翌日は明け方四時から午後四時まで外出。
こんなに長いあいだ一体どこにいるのだろう。
ネコの集会所だと言われている樹木の茂った小山がまだ残っている。あそこだ、きっと。
「おい、茶色いの、久しぶりじゃないか」とかなんとか白黒のボスネコに言われてるんじゃなかろうか。

2011年6月25日 (土)

引越しレポート 1

転居後四日目でようやくパソコン開通。
段ボール箱の山を背もたれにしてキイを叩いている。
引越し専門業者の大手、アート引越しセンターに決めたのが三週間前、昨年の失敗に懲りて、夫に任せず、二人で応対し、営業社員を質問ぜめにする。
肝心なことは搬出と、搬入のチームリーダーが同じであること。段取りの説明を前もってしてくれることなどを要求。三日目にエプロン隊という片付け名人の主婦チームが来てくれることを知って、まずは安心していたのだが、一週間まえに迫ったのに、その営業社員と連絡がとれなくなり、会社のほうに電話したら、公休をとっていていない、搬出、搬入のチームリーダーも同じひとでなく、おまけに支払は現金で、二日目の月曜にしてくれ、という返事に唖然。
土、日をはさむし、昨年、現金の入った貴重品箱が紛失した、あの失敗をくりかえしたくないので、転居をすませてから、銀行へ行きたいと伝えてあったのに、通じていなかったのだ。
「お宅に決めたのを後悔している」夫は怒った。
段ボール箱も催促の電話をして届くありさま。
「一体どうなってるの、去年は一週間まえに届いてたわよ」わたしも怒った。
ジイサン、バアサンの剣幕が功を奏したのか、支払は三日目でよいことになり、元ダイヴァーだったという、力持ちでてきぱきと有能な五十代の男性がチームリーダーとなって二日をとりしきり、梱包係も手早い熟練の女性が、最後の日のエプロン隊にも加わるという、ラッキーな作業で終始した。

2011年6月18日 (土)

チャイの行末

003


14年一緒にいる雄ネコのチャイはこの仮住まいのマンションを結構気に入っている。
裏にはに高い木が三本あるからだ。
そこに登ってしばしあたりを睥睨し、やがて塀に跳び移ってネコ道をだとりおよそ一時間の散歩を日に二回。
目ヤニも出ず、毛並みもよく、年のわりにはきれいなネコだが、わたしの方を向いてニャアと啼いたとき、口のあたりが妙なので、チェックしたら、右の下の牙がなくなっていた。やっぱりオジイジャンネコだったんだ。
それにしても、数年まえ、尿路結石になってから、ずっと予防薬入りのカリカリをいやがらずに食べ続けてくれた世話なしネコ、きみはえらいよ。
十三年住んだ場所に戻るのだけれど、大変貌だ。
三軒建ってたところが八軒になってる。
我が家も庭なし。大丈夫かなあ~、と言ったら、オレがいるかぎり、こいつは大丈夫さ、とヒゲママの夫が応えた。
(『イヌ化したネコ』参照)

2011年6月16日 (木)

忙中模索

引越し間際に出かけなければならないことが沢山ある。
転出証明、年金手続き、郵便の転送手続き、運転免許の申請など、など、夫は圧縮ストッキングをはいて、マメにこなしてくれた。
レーザー手術は7月初めに予約してあるが、目下のところ、静脈瘤の痛みはひどくなっていないのが幸いである。
わたしも自室の引き出し七個を空にし、書棚三箇所の整理をして、ちょっとほっとしている。
それなのに、片付いていない本を眺めて出るのはため息である。
捨てられないのだ。
初めてイギリスに行ったとき、興奮して買ったShakespeare Quotationsはほとんどページをめくったことがないのに、捨てられない。
卒論に選んだセオドア・ドライザーの『ジェニー・ゲルハート』も『シスター・キャリー』もとっておきたい。
『ジェーン・エア』もヴァージニア・ウルフの本も捨てる気になれない。
四十年前シカゴで女性解放運動の波にゆられ、すすめられて買ったベティ・フリーダンの本も大事。
そして翻訳の仕事のときに活躍してくれた、固有名詞英語発音辞典や、感情表現辞典などの辞書類も、ああ、何度眺めてもやはり思い切れない。
日本語教師をしていたときに使った、『基礎日本語』1,2も、そう。
もう仕事をすることなど、絶対ないのだが、捨てられない。
今のわたしを築き上げてくれた本たちを見捨てることができない。

2011年6月13日 (月)

ああ、やっぱり

近くの内科に血液検査の結果を聞きに行った。
予感はあったが、コレステロールは300以上に跳ね上がっていた。
修道院の煎じ薬は効かなかったのだ。
幸い善玉コレステロールの値が高いので、助かっているが、このままだと心筋梗塞か脳梗塞予備軍だという。
きょうからまた一日一錠ずつ、錠剤を服用しなければならない。
ミラノの田舎ならともかく、このせわしない東京で必要なのはやはり化学薬品なのだろう。

帰りに花屋に寄り、大きめの鉢を買う。
アロエが生長著しく、植え替えが必要になったから。
オニイチャンが言った。
奥さん、アロエ貴重だよ、今どこ行ってもないもん。どうしてかねえ~。
そういえばオルヴィエートのホームステイ先の女主人はアロエ水を毎日飲んでいた。
これが何よりの健康の元だと言って。
やけどにもよく効く。このあいだ揚げ物の油が飛んで、手のひらの一番やわらかいところを直撃したとき、流水で冷やしてからアロエを裂いて塗ってみたら、すぐに直った。

一年前ここ仮住まいに引っ越してきたとき、草取りをしてくれたおばさんがこのアロエをくれたのだ。すでに大きく育ってはいたが、今は根元から新芽も出る元気さ。
あのおばさんはどうしているだろう。
この住まいともあと一週間でお別れ。

2011年6月11日 (土)

効果的コミュニケーション

携帯メールを便利に使っている。
とりわけブリッジの約束がしやすい。
電話に、ご主人が出て、いまいませんっつ、と不機嫌な声でガチャリ、などという目に遭わずにすむ。

ありがとう、うれしい、ごめんなさい、残念などをあらわす、絵文字もいっぱい登録してある。
上向き、下向きの矢印、失意の驚愕向きにムンクの顔、笑顔、涙ひとしずくの顔、びっくりマーク、OK,や囲みの満の字、各種の花、四葉のクローバ、曇りマークの雲、動く<ありがとう>の字、色ちがいの♪など、を言葉のあとにちりばめると、カラフルになって誠意がこもる。
auには両手を合わせたごめんなさい、があって重宝したのに、docomoにはないのが残念。絵文字はauの方が好みだった。

いまホスピス探しをしている、義姉が携帯メールをしてくれれば、もっとコミュニケーションがとれるのに、と思うことがある。
メールをもらうとそれはうれしいものだし、自分もメール作成をするのは頭の体操にもなると思うのだが。

刺し子のクラスで、娘にメール出してもちっとも返事が来ない、と嘆く声がいくつもあった。
母親なんてうとましいんですよ、とわたしは言った。わたしもそうでしたから。でも今、もっとやさしく応えるべきだったと思いながら、母の作ったものを愛しく思い、捨てることもできないでいます、と言ったら、刺し子の先生が優しい笑顔でうなずいた。

2011年6月 9日 (木)

『エディット・ピアフ~愛の讃歌』

NHKBSプレミアムの番組表にようやく見たい映画を見つけた。
『エディット・ピアフ~愛の讃歌』
青春時代、シャンソンは大好きだったが、彼女の声はちょっと苦手だった。
singというよりはcryのように聞こえたからだ。
当時の女性歌手ではイヴェット・ジローやジャクリーヌ・フランソワの透明な声のほうが好みだった。
ところがどうだろう、この映画が始まるやいなや、わたしは全編を流れる彼女の歌声に魅せられ、美しいとさえ思ったのだ。
壮烈とも言える底辺の暮しで始まる幼少時代。
やがて大道芸人の父親と共に町角に立つ。
銭集めの少女に観客が何かやって見せろ、とはやしたて、やがて歌ったフランス国歌、ラ・マルセイエーズに胸が震え、鳥肌だった。
過去と現在がフラッシュバックのように交錯する画面。
それが不自然でなく臨場感を高め、数奇な運命を納得させる。
幼少時の数年、視力を失っていたこともあった。そのときの花模様の眼帯さえも美しい。
やはりフランス映画だ。
それにしてもマリオン・コティヤールの入魂の演技はあれよ、あれよ、だ。
あれはもう演じているのではない、ピアフになりきっている。
150センチにも満たない小柄な身体からほとばしる、あの叫びのように聞こえた声は人生の叫びだったのだ。
若いときにはその偉大さがわからず、長く生きてからこそ、理解できてくるものもあるのだった。

2011年6月 7日 (火)

警老測定

古いファイルを整理をしていたら、<保存用名文>というのが出てきて、目が吸い寄せられた一文があった。
読売新聞の名コラムニスト村尾清一氏の『心の老化の測定法』
アメリカの精神科医キャバンの精神的な老化を測定するための十五項目を引用している。
① 最近の出来事を忘れる ②早く仕事をしなければならないとき、いらいらする ③きわめて自己中心的になる ④昔のことに饒舌になる ⑤過去を悔やむ ⑥周囲に無頓着になる ⑦邪魔されるのをきらう ⑧新しい学習が困難となる ⑨騒音に過敏 ⑩他人に用心深くなる ⑪社会の変化に懐疑的になる ⑫自分の感じにこだわる ⑬過去の苦労話をする ⑭計画変更が困難になる ⑮つまらぬものを集める
どれもまったくその通りというほど、重症ではないが、その傾向になりつつあるのは確かだ。
いまの自分に当てはまらない項目は⑮ぐらいであろうか。
ゴミ屋敷の老人は⑮の最たるものかも知れない。
 村尾氏は<心の老化には個人差があり、若い人で精神的には老人もいれば、外貌や肉体は老いても精神の若々しい人もいる。人は歳月を重ねただけで老いはしない。理想や生きるハリを失ったとき初めて老いる>と述べている。
 私の<生きるハリ>は好奇心から生まれるのかも知れない。
それをた易く手近に満足させてくれるのが、コンピューターである。

2011年6月 5日 (日)

不安がよぎる

二週間後の引っ越しを前にして、夫もわたしも体調が完璧とは言いがたい。
夫は足に静脈瘤が沢山できていたのをこの十年放ってあったのだが、ついに、その一部分が血栓性静脈炎となって痛みだした。
わたしの上腕の痛みも完治していない。
先日、泳ぎに行ったら、背泳のとき、何度トライしても斜め方向になってしまい、右と左のバランスの悪さが立証された。
それでもクロークよりバックのほうがいくらか楽なのである。
夫は病院に出かけるとき、杖がないかな、と言った。
三本ぐらい実用向きから、おしゃれ用からあったのに、探したのだが、見当たらない。
去年の引越しでずいぶんいろいろなものがなくなってしまった。
当然あるべきものがあるべき場所にないくらい、ストレスを感じる事はない。
持っていく傘といっしょにしておいたのに、あの引越し業者め、とまたもやうらみたくなるのである。
この仮り住まいのマンションには大きめの納戸がある。
そこをこの一年、整理することができなかった。
使わないものを入れたということだけは確かなのだが、それをまた出して、箱や包みをほどき確かめるという作業をする余裕も体力もなかった。
七十を過ぎてからの引越しは命とりなどと言われているのに、それを二度もやるなんて、ああ!!

2011年6月 3日 (金)

『木漏れ日の家で』を観る

『ばぁばは語る』というブログの題名を掲げているからには、必見の映画なのでは、という若い友人Aさんの薦めもあって、最終回の六時半を目指して出かけた。
岩波ホール、場内はほぼ満員。高齢者がほとんど。
両隣も前の列にも六十代とおぼしきカップルの姿が。
だが映画が始まると男性のほうは同様に首うなだれる。
場内には耳障りないびきも響いた。
91歳の老婦人がイヌとともに古い屋敷で孤独の日々をおくるディテールが、老人の所作に合わせたようなスローテンポで、描かれる。
なにか特別の事件が起るわけでもない、ともかく詳細で緻密なカメラワーク。
どちらかというと映画の芥川賞系である。
昼間の疲れがどっと出て、なんどかコクリが出る。
モノクロの画面は美しく、老女の顔の大写しにも見とれた。
何よりイヌの表情が素晴らしい。
イヌとはなんとひたむきな動物であろうか。
自分本位なわたしにはとても対応しかねる。
エサがほしいときだけ、ひたむきな目を向けるネコの方が好きだ。
勝手なところが似通っているから。
確かに、映画祭で賞を総なめした映画だということは認めるが、原題が『死んだほうがまし』というこの映画、重かった。
去年まで五十年住んだ家の三分の二を売却し、残りの三分の一に小さい、庭なしの家を建てて、まもなく引っ越す現実が控えている、身としては、老人が歩けて、身体に痛みがないのなら、スペースが十分にあってブランコがあるような広い庭を持つ暮しは孤独を癒す贅沢なのではないかとさえ思われた。

2011年6月 1日 (水)

これっきりドラマ

NHKドラマ『下流の宴』は期待を裏切られた。
配役のせいだろうか。
黒木瞳中心のドラマになってしまっている。
原作はもっとそれぞれの登場人物にスポットがあてられ、互いの関係やかかわりが明らかにされていくにつれ、人物像が浮かび上がってくる面白さがあったのに、美人女優にスポットが当たりすぎて、展開がスムーズでなくなってしまった。
しかも原作では最後のほうに登場するカリスマ受験指導教師を、幼なじみだったという設定に変えてしまって、初回に登場させたのが不自然である。
キリスト教系の女子大生のはずの長女役も、まるで夜の勤めをしているような雰囲気で老けた感じ。
珠緒役もミスキャスト、勤めも原作と変えているので、その存在感が伝わってこない。
ともかく流れが悪くて、ドラマの面白さにはまれない。
もう見続ける気はなくなってしまった。
これまでNHKのドラマは信頼できる作品が多かったのに、最近のNHKはなんかおかしい。残念である。

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