味の正義派
上野で女流の美術展を見たあと、二年ぶりで会った旧友のS子と昼食を食べようということになった。
芸大の前を通りかかったら、ホテルオークラのカフェがあるのだ。
ここなら味に間違いはないわね、ということで、二人して同じオーダー、ハヤシライスを食べた。
すぐに顔を見合わせる。
なに、これっつ、甘すぎるね。
ホテルのだったら、こんなことないわ。ここ出店だからよ、きっと。とS子。
このごろ、いろんなとこでがっかりしてる。
そうそう、鳥ぎんもまずくなった。
資生堂パーラーでね、いつかピラフ頼んだのよ、そしたら、ごはんの塊があるじゃない。
ピラフって、ごはんがパラパラであるべきなのにさ。だから帰るとき、アタシ、言った
のよ、せっかく期待したのに、がっかりしたわ、かたまりがあったわよ、これなら私が
作るほうがおいしい、って。娘が一緒だったんだけどね。すご~く恥ずかしそうな顔し
てた。
そりゃ、お嬢さんの前で言っちゃだめよ。わたしたちだけの話よ。こういうのは。
まだおいしかったときの味おぼえてるからね。
近頃、外食して満足したことがあまりない。
ほんもののマッサージじゃなく、マッサージチェアで間にあわせてるみたいな後味なのだ。
気が入っていないのである。
おいしくなあれ、おいしくなあれ、という気合がなく、惰性でつくってるみたいな。
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コメント
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数年前からうちの両親も同じようなことを言います。
どこへ行っても「もっと前はおいしかったのに・・・」と文句じみたことを
言われると、ちょっとむか~っとします。確かにそうなんでしょうが。
でも、きっと思い出は美しく見えるので、味も美化されているのではとも思うのです。
味が落ちたのは残念なことですが、「昔は良かったのに」と嘆いても仕方がないので、
しぶしぶ受け入れるか、もう二度と行かないしかないでしょうね。
多分後者のほうが多いのでしょうか。
きっといづれ自分もそうなるのだろうな、と思っています。
だからこそ、「ああ、昔と変わらない味!」の喜びはひとしおですよね。
投稿: へこたん | 2011年5月27日 (金) 23時07分
へこたんさん
コメントありがとうございます。老舗の味の存在感が薄れたというのは確かのようなのですが、あまり外食をしないでいて、自分の味に慣れ親しみすぎた、狭量さもあるかも知れず、とも言えます。
投稿: cannella | 2011年5月27日 (金) 23時55分