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2011年4月28日 (木)

新潮45 五月号

今回の一冊は読みごたえのある記事ばかりだ。

曽野綾子さんと藤原正彦氏の「日本が生き残る道」と題した対談は期待通りだった。
日本人は身内志向で政治家も学者も自分の部局に有利なことしか考えない傾向がある、それがこの未曾有の天災で眠っていた雄雄しいものが目覚めたのではないか。
二人が共通して憂うのは、日本の教育と家族のありかた、日教組が自分たちを「聖職者」ではなく「労働者」だと主張してから教育崩壊が始まり、GHQが「家族より個人」と吹き込んでから家族制度が崩壊したということ。
とりわけこの対談で共鳴したのは、日本の広報がなっていないという意見。
原子力の専門家が正しい文章を書いたとしてもよい広報にはなるとは限らない。
これまで日本は歴史的にも多くの事件をあいまいにして大損をしてきた。
わが国の立場を世界に英語で発信する国際広報局のようなものを創設すべきという提案である。

養老孟司氏の『日本人は「ご破算と復興」の歴史に学んできた』という記事も共感が持てた。
彼は同い年だからであろうか。男性ではあるが、七十を過ぎたこの年齢で感じることが共通しているのである。
  <この年になってわかるのは、今の自分がこうしてあること自体が何かにたいする答えだということ…生きていれば、さまざまな悪いことが起るが最後的にはプラスになるように考えるしかない…むしろ人生が完成する、より成熟する、より良い答えになる…のだと>

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