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2011年3月に作成された記事

2011年3月17日 (木)

いつもアクセスしてくださる皆様、ありがとうございます。

三月末まで、このブログ、休ませていただきます。

2011年3月16日 (水)

続続 日常が日常でなく

朝九時に一番近くのコンビニへ牛乳と玉子を買いに行ったが、牛乳しかなかった。
納豆もない。
人々はようやく非常のときに何が必要かを悟ったということか。
003

きらびやかなデパ地下はいまどうなっているのだろう。
あそこに行くといつも居心地の悪さを感じていたのを思い出す。
デパ地下はわたしの場所ではなかった。
昼のトーク番組で、売り切れになっている品目をすべて調べたら、十分にある、増産の予定もある、決してパニックになって買いあさらないように、としっかりとした根拠を示して教えてくれた。
お笑いやグルメトークなどでなく、本来テレビ番組とはこういう路線であるべきだ。

刺し子の第二作品、裁縫道具入れができあがった。
裏つきで、カバーつきのバッグになっていて、ミシンかけが、からくり手順のようにむずかしかったが、仕上がってみると、何度も眺めてみたくなるほどいとしいのである。
もともと布地の再利用から始まったこの縫い仕事、いまの時期にぴったりの、質実、質素さ、これを習いはじめて本当によかったと思う。
004

2011年3月15日 (火)

続 日常が日常でなく

自宅マンションの表のドアは二枚ともオートドア。
計画停電になると、閉まって開かなくなってしまう。
我が家は一階なので、管理会社から協力してほしいと依頼があった。
すなわち、裏庭からゴミ集積所のドアを開けて、裏口から入れるようして、あとの四世帯の人がうちの内部を通ってマンションの中に入れるようにして欲しいというのである。
停電でこういう非常事態が起きるとは想像もしていなかった。
オートドアの少ないヨーロッパの暮し方のほうが賢いのではないか、と思えてくる。
なんでも電化、電化、より便利なものへの競争を駆り立ててきたのが何のためだったのだろう。

ケイタイにしたってそうだ。
あの小さな機種であまりにも何でもできすぎる。
メールにしても、日本のように絵文字までついているのは海外にはない。
メッセージ程度の短いやりとりのためのものなのである。
こんなに便利にしておいて、いざ、肝心なときにはまったく役に立たない。

日本がここまで走り続け、築いたものをすべて見直すときが来たということであろうか。

2011年3月13日 (日)

日常が日常でなく

巨大な新聞の見出しがずしんと胸にひびく。
きれかけている薬をととのえに、以前のホームドクターのところに出かけた。
街は一見、なにごともなかったように平常に戻っている。
駅中のベーカリーでおや、と思った。昼前なのにショーケースのパンがほとんど売り切れているのだ。
大きいスーパーではみんなが普通の買い物をしていて、わたしも必要なものだけ買って帰った。
海外から続々見舞いのメールが届いている。
とりわけイタリア人からのものが多い。
一度しか会っていない人からのものまである。
HOW ARE YOU????? 心配してくれている気持が即、伝わってくる。
フィレンツェの女性実業家、二月に日本を訪れている。<イタリアのテレビで刻々映像が届いている、まるでこの世の終わりのようだ、でも日本人は賢く、しっかりしていて、冷静に困難とたちむかうだろう、イタリアだったら、こうはいかない、建物すべて崩壊、人心もパニックで収拾がつかなくなるにきまっている、Thanks to God, you are a Great nation and Great people、>とあった。

2011年3月11日 (金)

非常事態

そのときわたしはスーパーにいた。
買い物をすませて出ようとしたとき、外にいた係りのおじさんが言った。
この電線のゆれは尋常じゃない、ほんと、と思ったとたん、道路が波のようにゆれる感じがして、ぐらっと!
どうしようっつ、店内に戻った。
他人だったひとたちが急に友達になる。
どうしたら、いいんでしょう?ここだって、天井落ちてくるかも知れないし、こわ~い。恐怖にゆがんだ顔を見合わす。
本当に経験したことがないほどの、地震であった。
おさまってから、ともかく帰宅することだと、足を速める。
踏み切りにきたら、遮断機が降りたまま、もう十五分以上もそのままなのだという。電車がとまっているのだ。
蒲田に出かけてしまった夫のことを思った
帰れなくなるのではないか。ケイタイで呼び出したが、通じない。
遮断機は上がりそうもないので、もう一つ先の通りはガードだったことを思い出し、回り道を急ぐ。
ウイークデイの繁華街、こんなに人がいたかと思うほど、通りに人があふれていて、みなケイタイを手にしている。
小学校の校庭には生徒が全員列をつくっていて、保護者が迎えに来ていた。
通り過ぎたときまた、ぐら~っと。
震源地ではないにしても、どこかで大惨事が起きているに違いない。
仮住まいがマンションでよかったと思いつつ、中に入る。
仏壇の位牌が倒れていたのと、洋服ダンスのドアが開いていたぐらいだったが、自室では本棚の飾り物が落下していた。
ガスと電気が使えるあいだに、と急いで夕飯の仕度。
テレビでは刻々、惨状を映し出している。
二時間くらいして、表のドアが開き、夫が。
思わず、よかった、無事でと抱きついてしまった。
彼も、やあ、無事だったか!と言いながら、疲れたよ、蒲田から歩いてきたんだ、三時間。
娘のところにも立ち寄って無事を確かめることまでしたのだそうだ。

2011年3月10日 (木)

クリスマスローズ

004


引っ越しという環境の変化に耐えて、クリスマスローズが遅咲きの花を咲かせた。
以前の庭の土をたっぷり入れた鉢に順応してくれたのだ。
次の引っ越しでは、もう庭の部分がなくなって移しかえることもできない。
三分の一の敷地のほとんどを占める小住宅のわずかなバルコニー部分にこの鉢を置くことになる。
サバイバルした植物にもう一度サバイバルして、と励まされるような気がするのである。

2011年3月 9日 (水)

予定をこなす

ミラノ出発までにしなければならないこと、十数項目、毎日片付けてだいぶ残り少なくなってきた。
きょうは青山の旅行代理店に航空券のチケット受け取りと保険加入に出かける。
イタリア一人旅をするようになってから、六年間ずっと利用しているこの店、その間係りのひとが三人変わり、今の四人目のひとは頼むのが二度目なのだが、とても仕事が速く、親切で行き届き、イタリアの情報にもくわしい。
以前の三人もとても優秀だった。
優秀だからこそ、引き抜きや上昇志向で転職するのだろう。
自分でチケットを手配したこともあったが、猶予期間がなく、すぐ、支払わなければならないので、手数料払っても、信頼して熟慮できる、この店に決めている。
去年シアトルに一人旅したときは、もよりのHISにしたのだが、仕事はてきぱきしている女性だったけど、肝心なところが冷ややかという印象だった。

帰り、外貨を買う。
りそな、みずほ、三菱東京UFJの選択。
りそなが一番近かったけど、ATMと同じ場所にあって、無防備なのでやめた。
取引のある、三菱は二階で、外貨売買だけの安心なスペース。
今回はホームステイに現金で支払わなければならないので、金額も大きい。
ショルダーバッグをしっかりかかえ、転ばぬように、歩みも固めて歩く。
おだやかに晴れた日、一駅まえで降りて、安全な遊歩道を歩いて帰宅。
ミラノではこんな大金をかかえて歩くことは考えられない。
毎日自分のすること、出かけるときの持ち物をしっかりノートにつけ、心を引き締めて暮さねばならない。
滞在の場所が信頼できる個人の家であるから、そこでゆったりできるのが救いである。

2011年3月 7日 (月)

着心地優先

着るものにはかなりこだわるほうである。
自分でも<おしゃれ>のほうかな、と思う。
それなのに、ねまきは本当にあわれなものを着ている。
五年ぐらいまえの色あせた綿ジャージの上下だ。
ねまきに関しては着古したもののほうが寝心地がいい。
二十年まえ義父が救急車で運ばれたとき、あまりに色あせた古いパジャマを着ていたので、恥ずかしく思った。
でも今ならわかるのである。そして、あなたもわたしの歳になったらわかります、と言った義母の言葉も。
旅行用の新しいねまきを買いに出かけた。パジャマやネグリジェではない、綿ジャージの上下をである。
まずは無印を見る。室内ウエアにそれらしきものはあるのだが、ボトムもトップも2000円近くして、分厚すぎる。
遊歩道をはさんで斜向かいのユニクロへ。
ルームパンツが790円、試着したらMもフィットだが、洗うと縮むことを予想して、Lを二枚、黒地ドットとグレイ。トップは手持ちのスエットで間に合わせることにする。
ついでに下着も見た。
実は家ではノーブラなのである。ブラジャーをつけるのが近頃、億劫。ブラカップつきというのを試着、上からじゃなく下からはいてください、と言われる。これもMフィットだっがが、Lにする。汗もとる材質、着心地もいい。
冬中、ヒートテックにお世話になった。そして、またこれ、ラベルを見たら、中国製なのだ。
どこをひいきにしているのか、心境複雑。

2011年3月 5日 (土)

旅程の偶然

週一度、徒歩距離で通っているイタリア語の夜のクラスが気に入っている。
生徒は十一名、全員六十歳以上、教師は娘ぐらいの年齢のイタリア人女性だが、イタリア語表現に四苦八苦の人生経験だけは豊かな、扱いにくい生徒たちを、巧みに指導してくれているからだ。
これまで出会ったイタリア語教師はしゃべりすぎる人が多かったが、彼女は生徒にしゃべらそうとする。
文法や表現の要点をのみこませてから、小グループにわけて実践させ、丹念に見回って指導する。
イタリア人の友人とメールで会話が交わせても、文法を忘れがちのわたしには何よりの復習になる。
イタリア語は手ごわい。
動詞だけのぶあつい一冊ができるほど、活用、変化形が複雑な上に、類似形が多いときているので、記憶中枢が衰退の一路の身にとって、このクラスは、実践で再確認させてくれるありがたい場所なのだ。
だから、今回の旅行で三度ぐらい欠席することになるのを残念に思っていたら、先生も同時期に旅行という発表があった。
しかもロンドン、ミラノ、わたしとちょうど逆の旅程だという。
それを告げたら、もしかして早朝の羽田じゃない?と訊かれて、またびっくり。
わたしの出発の翌日、朝六時半のBAなのであった。
羽田は近くていいのだけれど、両替所が開いていないので、ユーロを買いに出かけなければならない。
彼女は上野の近くに住んでいるので、タクシー代が二万円くらいすると言って困っていた。
話の続きは来週のクラスでさらに盛り上がるだろう。

2011年3月 3日 (木)

お節句の日

朝マッサージに行ってハリを八本打ってもらう。
なで肩で、疲れをしょってしまいがちのわたしには週一度これが必要になっている。
ミラノに行ったらどうするか、中山式という肩こりグッズ持参と決めている。
帰り、銀行で外貨が買えるかどうか訊いたら、10ユーロと5ユーロ紙幣ならこのマシンで買えますと言われて驚いた。
いつのまにこんなことになったのか。
一年半イタリアに行かないでいたあいだに、世の中どんどん変わってきている。
自然食品店F&Fに寄ったら、お節句の食品で大にぎわい、お雛ずしがおいしそうだったので、お昼に買ってみた。
むかしのわたしだったら、五目ちらしを手作りして、娘のところに届けるところだが、きのう夕食を作って差し入れしたばかりだから、きょうは休み。
それにしても彼女はお内裏様を飾ることも忘れている。
あれでは孫娘は売れ残りになるかも、などと思いながら、余計なことは言うまいと口をつぐむのである。
プラスチックの器のおすしはとてもおいしかった。
一週間前につくった自分のよりおいしいとさえ思った。

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