それはないでしょう
人から贈り物をされたり、親切にされたりしたら、できるだけその喜びをあらわし、感謝することを教わって育った。
ほかの人たちの反応に物足りない思いをすることが多い。
期待どおりの反応をしてくれるやさしい友人が二人いたが、二人とも早世してしまった。
近頃、日常生活で出会うちょっとした親切にも感謝をあらわす人が少なくなったような気がする。
たとえば駅のエレベーターで、先に乗った人が<開く>ボタンを押してくれているとき、会釈したり、ありがとうと言ったりすることを見かけることもあまりない。
先日夫と外出したとき駅のエレベーターに私が先に乗って、<開く>ボタンを押していたら、年配の女性の乗った車椅子を押しながら老紳士が入ってきた。
そのひとは何の反応も示さず、奥に入ったので、わたしが一番先に降りることになった。
今度は夫がボタンを押していたらしい。
出てきた夫が憤然としている。
どうしたの、と聞いたら、手を伸ばしてボタンを押し続けている夫の腕を、その紳士が振り払ったのだそうだ。
ギスギスした世の中になったよな、夫はつぶやいた。
人にやさしくされることは嬉しいことのはずなのに、日本ではその他人に優しくする“タイミング”を考えないといけないので難しいです。欧米では、そんな優しさが当たり前に行われていますよね。考えるものではなく、自然と現れるものだと思います。
こちらでは、例えば若者はすぐにお年寄りに席を譲りますし、私も私よりだいぶ年上の男性から女性だからという理由で席を譲られたことがあります。自分が席を譲るときも、相手は笑顔でありがとうと言ってくれますし、大丈夫だからと言われるときもたいていはにこやかにありがとうと言ってくれる人が多いです。
人の優しさに素直に感謝すれば、自分はもちろん相手も気持ちが良く、お互いが優しくなれるのに、何が違ってきているのでしょうか。こちらではイライラさせられることも多いですが(笑)、人の優しさを感じることも少なくありません。
投稿: Rie | 2011年1月28日 (金) 02時42分
RIEさん
コメントありがとうございます。
なにしろ東京の人口1300万ですからね、ローマのおよそ三倍以上、ギスギス度もハンパじゃないです。生活のリズムの速さ、とりわけ老人にはそれがつらくなるときが多いです。
投稿: cannella | 2011年1月28日 (金) 07時32分