高峰秀子さんの偉業
去年の大晦日に訃報が伝えられてから、新聞、雑誌に特集記事が載っているが、それはもっぱら大女優だった半生を語るものばかりだ。
彼女の人間としての素晴らしさは引退後に開花したのだと、わたしは思う。
84歳のとき、友人に出した手紙に<老衰でよれよれだけど、台所仕事やってます>とあったそうだ。
12年まえに出版された『にんげんのおへそ』という著書を読むと、その、たぐい稀な生活者としての姿が浮かび上がる。
夫君の松山善三氏はかなりの偏食があったという。漬物も梅干も味噌汁も嫌いで、市販の弁当が食べられない。彼女は朝五時起きして新幹線に乗る夫のために、二段重ねのお弁当をつくる。
最後の仕上げはグリンピースの炊き込みご飯に醤油煮の実山椒をパラリ。その具体的なおかずメニューに、わたしは感動した。
並みの料理人では浮かばないセンスの良さである。
松山氏はまた病気や怪我のオンパレードでその看病もハンパじゃなかった。
そういう場合の食事、雑炊メニューがまた、圧巻。
もずく雑炊、牡蠣雑炊、手順から薬味まで非の打ち所なし。
エッセイの文章がまた素晴らしい。リズム、歯切れのよさ、テーマの展開、そしてオチの見事さ、しかもそのテーマが五十数年間、最高の演技者として極めた道で出会った、極上の人物との交流のこと、そういう境遇でありながら、市井の人々にも優しい、深いまなざしが注がれている。
女優生活では「高峰秀子」というスクリーンの虚像につきあっていただけで…ようやく「自分らしい」ものになったのは二十年まえ…という文を読み、彼女が主演した成瀬巳喜男監督の作品全てを見ているだけに、その気持を理解することができた。
七十代で書かれたエッセイの出だしが<日に日に体力の衰えを感じる>今のわたしを言い表しているような高峰文。当分読書にふける楽しみができた。
『にんげんのおへそ』は、装丁,装画が彼女の崇拝者でもあった安野光雅画伯、ぜいたくな一冊である。
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