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2011年1月 5日 (水)

みんな変わる

我が家の菩提寺は鎌倉のS寺であるが、わたしはそこの住職にあまり好感が持てないでいた。

27年まえ義父の一周忌に義母の付き添いでゆかりの人たちと共に墓参りをしたときのことだ。

3月末というのに、鎌倉に着いてすぐ、季節はずれの雪にみまわれ、わたしたちは二組にわかれて、行動することになった。
先に着いたわたしたちは義母を雪の中に立たせないように、寺に頼んで中に入れてもらい、わたしともうひとりの連れだけ玄関で雪やどりをしていた。
そこに住職があらわれて、ここは檀家の人たちだけが出入りするところだから、出て行けというようなことを厳しい顔つきで、激しい調子で言ったのだ。
観光客と間違えたのかもしれない。でも僧侶のくせに本音の感情がほとばしり出たのを見て、いやな気がした。

この人にお経を詠んでほしくない、と本気で思った。
ということは、ここの墓に入りたくないということになる。

最近親しい友人二人が嫁ぎ先の墓に入りたくないと言うのを聞いて驚いている。
長年のブリッジパートナーのMさんはどこから見ても良家の賢夫人だが、彼女だけカトリック信者になって、もう教会の納骨堂に予約してある、死んでからまで、M家に属してたくないわよ、と言う。
数十年のつきあいのTさんもこの一年、ご主人を献身的に介護しているが、ひとりになったら、お墓つきの温泉ホームに入るつもりで、ウエイティング・リストに名前を記入したというのである。

わたしもS寺の墓に入りたくないと感じたころ、散骨がいいかと思ったりもした。だが、佐野洋子さんの本を読んでいたら、散骨というのが大変で、遺灰なんてものじゃなく、大きな塊があるので、それを灰状にするのに、大すり鉢と大すりこぎで五時間も汗だくですったという話があって、話を面白くするために少々オーバーに書いてあるにせよ、すぐに散骨願望は消えさった。

昨年暮れ、S寺に墓参りをし、管理料を払いに行くと、玄関先に住職があらわれたのだ。
めずらしい、いつもなら、大黒さんなのに。
京都で買ったお茶ですと言って管理料につけて差し出したら、満面の笑顔で、京都にいらっしゃったんですか、いつかお話聞かせていただきたい、なんて言うのだ。
その表情が以前の気負った様子とは別人のように柔和そのものに変わっていて、玄関を出てから、夫と思わず顔を見合わせた。
変わったな、和尚。
そうね、やっと悟りを開いたのかも。

わたしが14回もイタリア一人旅を無事にこなしたのも、不景気だったのに、ようやく土地が売れて小さな家を建てる資金ができたのも、毎日仏壇にお線香あげて、ご先祖さまに感謝していたからではないか、とこのごろつくづく思うのである。

だから、あの和尚にお経を詠んでもらってあの世に旅だつのもいいかなという気がしている。

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