2017年12月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
フォト
無料ブログはココログ

« 2010年12月 | トップページ | 2011年2月 »

2011年1月に作成された記事

2011年1月30日 (日)

おめでとう、ザック・ジャパン!

あんな大男たちに勝てるわけない、とつぶやいて夫はさっさと寝てしまったが、わたしは出だしの選手たちの動きを見ていて、やってくれそうな予感がしていた。
ザッケローニ監督が就任してから、選手たちの顔つきが変わったように感じていたのだ。

感情を素直にあらわすイタリア人の采配に選手たちは発奮したのではないか。

ほめ言葉のブラーヴォ、(男性単数がブラーヴォ、女性単数がブラーヴァ、男性複数がブラーヴィ、女性複数ブラーヴェ、男女複数ブラーヴィ)、ブラーヴォ、ブラーヴィをきっと沢山叫んだに違いない、そしてフォルツア!(がんばれ)も。
母音の多い、響きのいいこれらの言葉はなぜか胸にしみこむのである。

わたしはせっかちなので、延々つづく追っかけっこみたいなサッカーというゲームが苦手で、知識もないが、結果がなかなか出ないからこそ、ゴールを決めた時の喜びも大きいのだろう。
応援するほうも忍耐力と耐久力がきたえられる、よいスポーツなのかも知れない。

暗い話題が多いこのごろ、ひさしぶりに心が晴れ晴れとする快挙であった。

2011年1月28日 (金)

外出の日

築地『茶の実倶楽部』で開かれている刺し子展に出かけた。
目黒で指導をしていただいている吉浦和子先生のもうひとつのクラス、「ブルーアンドホワイトの仲間たち」、の作品展である。
初心者の多い目黒クラスと違い、目を見張るような大作やデザイン性あふれるユニークな作品にみとれ、これからも刺し子を続けたいと励まされたひとときだった。
吉浦先生の一面に刺し子をほどこした着物、生徒さんたちのバッグやヴェストなど。
019


020


021


築地の共栄会ビルで、夫の好物ベッタラ漬け、ワケあり輸入食品など売っている店でココナッツのウエハースなどを買い、入院生活の長い義姉を見舞う。
余命の宣告を受けているのに、おだやかな顔つき、苦痛もないそうで、ほっとする。
ウエハースを気に入ってくれて、5つも食べてくれたのがうれしかった。
おかゆがあまり好きでないので、添えて食べる何かがほしい、でんぶや海苔の佃煮ならいいというのを聞き、看護師が足のマッサージをしているあいだに、近くの佃煮店へ買いに行く。

起き上がるときと、立ち上がるときに助けがいるけれど、排泄に行くこともできる。
わたしが彼女だったら、こんなに冷静で慎重で、平静を保っていられるだろうか。

遺言みたいなもの、と言って、書きまとめた『こしかたの記』は私家版ではあるが、一気に読むひとが多く、わたしの若い友人のあいだでも読みまわされている。

2011年1月27日 (木)

こんな日もある

こうなればいいのになあ、と願っても思い通りになることは少ないのを、十分知りつくしている人生である。
きのうはそれが叶っためずらしい日であった。

十歳若いブリッジパートナーのAさんと五反田のクラブで一時間まえに待ち合わせ、持ち込みのランチを食べながら、おしゃべり。
Aさんとは本友達でもある。
佐野洋子さんの本を貸したことで、彼女がすっかりフアンとなり、新聞や雑誌の記事の持ち寄り、情報交換もするようになった。
小川洋子さんの本と出会ったのも彼女のおかげだ。
きのうも「読み出したらやめられません、読み終わるのが惜しいくらいです」というロザムンド・ピルチャーの分厚い一冊を貸してくれた。
楽しい会話のあと、近頃、あまりゲームに出ていないから、失敗しても許してね、と気負いなく臨んだのが良かったのかもしれない。
二十数ペアが参加した午後のチャリティ・ゲーム、なんと一位になれたのだ。

帰宅してパソコンを開いたら、ココログからメールが来ていた。
ブログのファンです、というコメントをもらう。
見知らぬ読者が楽しんで読んでくれているということはありがたく、励みになり、こころが弾む。

まもなく誕生日がくるが、早めのプレゼントをもらったと思って、もしも家人が忘れていてもカリカリするのはよそう。

2011年1月26日 (水)

冬山の癒し

この宿には周辺の散歩道の手書き地図が用意してあったので、わたしは「たち湯」体験のあと、そのうちの一枚を手に歩きに出かけた。
小高い山の中途、眺望がよいところまでと決めて、ゆっくり足をふみしめながら歩く。
舗装されていない道、上っていくのはわたし一人、この経験はアッシジのエレーモ・デレ・カルチェリに行ったときに似ている。
自分ひとりであることに集中しながら、足を運ぶ。
すがすがしい気持だ。
枯れススキの群生、淡いベージュの色が美しい。そしてみずみずしいシダの緑、急に視界が開けて、村落が見下ろせるところに来た。
深呼吸をする。

「ほとんどの男性は、結婚してもその生活の30パーセントほどが「夫」というものになる、が、女性のほとんどは80パーセントが主婦というエンドレスの賄い婦に変身する」と書いたのは高峰秀子さんである。
大女優だった彼女も食べることを大事にする晩年で、主婦のエンドレスさを痛感されたのだと思う。
ひとは年取れば取るほど、食べることを繰り返す生活をおざなりにはできなくなってくることを知る。
けれどもそのシンドさとも向き会わねばならない。

今はなんとかこなせるが、これからどうなるのだろう、深呼吸にはため息も混じっていた。

2011年1月25日 (火)

アクアセラピー

二日目にこの宿の看板リラクゼーション,水深1.2メートルの温泉風呂での『ワッツ』を体験した。

施術をするのは宿の主人、両腕にかかえられるようにして体を前後左右、回転も交えての30分間の浮遊。
母親の胎内にいるかのよう、という形容ほどには浸りきれない。
水が耳に入るのが気になる。沈黙の中で目覚めている意識が消えないままだ。

わたしは定期的に泳いでいるので、人間が水に浮かぶときが一番リラックスできるということを実感として熟知している。

温泉というプラス要素で一層効果があることを期待した割合には直後の満足感が十分ではなかった。

だが、日常に戻った今、背中によどんでいる疲れは、消えてはいないが、確かに薄まっている。

効果が大きいひとと、それほどでないひとと差があるのかも知れない。

2011年1月24日 (月)

温泉で

修善寺からバスで20分、船原温泉停留所まえの『船原館』は民芸調の家具が似合う、落ち着いたたたずまい。
部屋は二間続きで、天城の山が見える窓ぎわにこたつがある。
まずは温泉に浸かり体をあたためてから執筆にかかった。
構想は練ってあったので、どんどん筆が進む。
パソコンから離れたからだろう。
執筆とはキイを叩くことではなく、本来手に筆記用具を持って書くことだと実感する。

これは同人誌の原稿、お金や名誉に関係ない。だから、気楽に筆が走るのだと思う。
心療内科医、海原純子さんのエッセイ『心のサプリ』に<じぶんが本当にやりたくて、年をとってもなお自分を少しずつ成長させ、磨きあげるものがある。そして、お金のためだけでなくやっていることがある。これが心の幸せのバロメーター…>という言葉を大切にしている。
今回のタイトル、まさしく今の心のサプリを分析するテーマで『ブログ・シンドローム』

この宿は炭焼き小屋を保持しているので、ロビーにも炭が赤々と燃えている大火鉢があり、焼き物の調理も炭を使う。
あじの干物や鮎が炭火であぶるとこれほどおいしくなるとは、昔の調理へのノスタルジアもこもったため息が出た。

泊り客は全部で十数人、この旅館独特のリラクゼーション、水中指圧『ワッツ』関係者の団体客が二組で、連れなしはわたしひとり、でも従業員は地元出身らしい中年のひとが多く、すみずみまで心の行き届いたもてなしをしてもらえた。

料理はマクロビオティックではないが、野菜中心、高齢者には料理の皿数を少なくしてくれるという配慮もある。

ロビーのテーブルには<どうぞお持ちください>というメモが添えたみかんの山があった。

2011年1月23日 (日)

温泉へ

月末締め切りの長編エッセイを書かねばならない。
それと体力回復の総仕上げのためにも、と温泉行きを決めた。
ただし胃腸のためにご馳走攻めを避ける。
草津のマクロビオティック料理、リラクゼーションプログラム付きの温泉ホテルの予約をとったのだが、積雪76センチ、なおも降り続いていることがわかり、急遽キャンセル。

温暖な伊豆近辺に絞り、マクロビオティックの温泉宿で検索したら、選択が困るほど候補がでてきたのに驚く。
ビデオつきの案内があって、雰囲気がよくわかり、リラクゼーションプログラム付き、囲炉裏ばたで食事をとる船原温泉に決めてTEL。
女将らしき人が出て、三日まえなのに、二泊の宿泊可能となった。

以前は女性の一人旅おことわりの旅館が多かったのに、世の中変わってきたなあ、という感じ。
そのことを六十代の友人に話したら、わたしも一人で温泉行きたいの、ぜひ情報、お願い、と頼まれてしまった。

ひとりでお気楽をのぞむのは、七十代だけではないらしい。

2011年1月20日 (木)

気分を変えて

七十代のわたしたちが、失いつつあるのは溌剌さではないかと、このごろ思う。
物忘れがひどくなる。
無意識においたモノの場所がわからず、探すのに時間がかかる。
その探し場所も視野がせまくなって、見落としていることが多い。
得意だった料理も、高峰秀子さんが言っているように、そのときの料理人の気分が即、結果となって現れるので、出来、不出来が顕著になって落ち込む、そういうことが気になって歩いていると、下をむいていたり、目がうつろだったり、溌剌とはいかなくなる。
上を向いて目を見開いていると、道路の段差に対応できないようなつまづきも起きかねない。

それでなくても胃腸のヒクヒクがまた完全におさまっていないわたしの落ち込みがちの気分をこの辺で一掃しなければ、と思った。

この半年ほど、頭皮への刺激を怖れてパーマをかけずにいた。
カット名人の手にかかっても、張りを失った頭髪は乱れて、とりわけ前髪がざんばらで始末に負えない。
前髪を持ち上げると、根元真っ白。
比較的しわの少ない顔なのだ。
まだ老婆になるのは早い。

ヘアーマニュキアと、部分パーマをしてもらえるところを探そう。
夕食は煮込むだけでできるポトフに決め、買い物をしたあと、自由が丘じゅうをひとまわりして探した。
この街はとりわけ美容院が多い。
外に値段を出しているところがほとんどである。
従業員が多いところは高くて若者向きだし、少ないところが待ち時間が長く、いつもカットに行くところみたいにヘアーマニュキアが不得意ということもある。
これは、というところはなかなかなくてあきらめかけていたら、緑が丘に入る手前で、カントリーふうのインテリアで観葉植物の目立つ店がどうぞと受けいれてくれた。

三十代の女性スタイリストがポトフの肉を冷蔵庫に保管してくれ、注文どおりの髪形にしてくれ、値段も思っていたより、ずっと安かった。

もっともシャンプーがラヴェンダーの香りで、心地よく、それをほめたら、コンディショナーとのセットを買わされるはめになったのだけれど。

2011年1月18日 (火)

『ソーシャルネットワーク』を観る

火曜日の午後というのに、劇場は八分の入り。

ネット上の社交場、現在一番人気の『フェイスブック』がいかにしてできたか、どんな意義をもたらしているのか、知りたくて、好奇心いっぱいでかけつけた。

わたしの若い友人、とりわけ海外在住の日本人は全てこれに加入している。
日本在住のイタリア人教師の多くも会員である。
外国語を話すなら、入ったほうがいい、と薦められたこともある。

ハーバード大のオタク学生、コンピューターの天才ではあるが、およそモテない男が、女子学生にふられた腹いせに女子大生の名簿をハッキングして容姿で格付けすることから始め、ガールフレンド選びに都合のいいサイトを建ち上げる。
主人公に好感が持てない。
スピード感過剰の会話劇で疲れる。
終わりちかく、会社設立成功に酔った主人公のグループの麻薬と未成年乱交のパーティシーンでは、劇場内がゆれるほどの轟音のミュージック、心臓がドキドキして、危うさを感じた。

フィクションが混じっているにしても、ともかく後味の悪い映画だった。

現在日本ではこのソーシャル・ネットワークを利用して就職活動に取り組むひともいるという。

帰宅してパソコンを開き、みんなのレビューを見たら、30通のうち、称賛は三分の一程度、否定的な意見や疑問を呈しているのはわたしだけではなかった。

監督は『セブン』や『パニックルーム』などの問題作を送りだしているデヴィッド・フィンチャーだが、俳優は知らない顔ばかり。

製作総指揮がケヴィン・スペイシーと知って、あ、こんなことしてる、と意外であった。

2011年1月17日 (月)

高峰秀子さんの偉業

去年の大晦日に訃報が伝えられてから、新聞、雑誌に特集記事が載っているが、それはもっぱら大女優だった半生を語るものばかりだ。

彼女の人間としての素晴らしさは引退後に開花したのだと、わたしは思う。
84歳のとき、友人に出した手紙に<老衰でよれよれだけど、台所仕事やってます>とあったそうだ。

12年まえに出版された『にんげんのおへそ』という著書を読むと、その、たぐい稀な生活者としての姿が浮かび上がる。
夫君の松山善三氏はかなりの偏食があったという。漬物も梅干も味噌汁も嫌いで、市販の弁当が食べられない。彼女は朝五時起きして新幹線に乗る夫のために、二段重ねのお弁当をつくる。
最後の仕上げはグリンピースの炊き込みご飯に醤油煮の実山椒をパラリ。その具体的なおかずメニューに、わたしは感動した。
並みの料理人では浮かばないセンスの良さである。

松山氏はまた病気や怪我のオンパレードでその看病もハンパじゃなかった。
そういう場合の食事、雑炊メニューがまた、圧巻。
もずく雑炊、牡蠣雑炊、手順から薬味まで非の打ち所なし。

エッセイの文章がまた素晴らしい。リズム、歯切れのよさ、テーマの展開、そしてオチの見事さ、しかもそのテーマが五十数年間、最高の演技者として極めた道で出会った、極上の人物との交流のこと、そういう境遇でありながら、市井の人々にも優しい、深いまなざしが注がれている。

女優生活では「高峰秀子」というスクリーンの虚像につきあっていただけで…ようやく「自分らしい」ものになったのは二十年まえ…という文を読み、彼女が主演した成瀬巳喜男監督の作品全てを見ているだけに、その気持を理解することができた。

七十代で書かれたエッセイの出だしが<日に日に体力の衰えを感じる>今のわたしを言い表しているような高峰文。当分読書にふける楽しみができた。

『にんげんのおへそ』は、装丁,装画が彼女の崇拝者でもあった安野光雅画伯、ぜいたくな一冊である。

2011年1月15日 (土)

山口晃展

今日の新聞に二枚目俳優、細川俊之さんの写真入り訃報を見つけて、ああ、あのひとはこのひとに似ていたんだ、と思い当たった。

あのひと、とは、<平成の絵師>と称される画家山口晃さんである。
一週間まえ、友人のMさんにさそわれて、銀座三越の企画展を見に行った。
美術のホンモノを見極める目にすぐれているMさんのおかげで、このたぐい稀な天才を知ることができた。

過去と現在と未来が混在する細密画である。
壁一面ぐらいの画面に天井や屋根をとっぱらった大和絵風の、バランスのとれた対照美あふれるテーマがくりひろげられている。
<ウオーリーを探せ>の藝術版みたいだ。
甲冑をまとった騎士が馬にまたがっているがその馬の首から下はロボット、それを支えてバイクの車輪がひとつ、その画面の上部三分の一を家紋の飾りのついた長い槍が一文字に貫いている絵もある。それが不思議と違和感がない。

運のいいことにその日はトークショーがあって、ご本人の講演を聞くことができた。
これだけ体力を必要とする絵を描いている人だから、ゴツイ感じをイメージしていたのだが、登場したひとはどちらかと言えば華奢な、優男で、目じりが下がった顔がだれかに似ている、と思いながら思い出せないでいたのだ。

ご本人は、自分は絵師というよりは<お絵描き少年>だと名乗るだけあって、ホワイトボードに絵を描きながらのトークである。
おずおずと聴衆の反応をうかがいながら、という感じなのに、しっかりと笑いをとる。
あちこち脱線しながらの話はすごく面白かったが、絵の技法のことは結局何を聞いたのか思い出せない。

<平成の絵師>は平成の話師でもあった。

2011年1月13日 (木)

それはないでしょう

人から贈り物をされたり、親切にされたりしたら、できるだけその喜びをあらわし、感謝することを教わって育った。

ほかの人たちの反応に物足りない思いをすることが多い。

期待どおりの反応をしてくれるやさしい友人が二人いたが、二人とも早世してしまった。

近頃、日常生活で出会うちょっとした親切にも感謝をあらわす人が少なくなったような気がする。

たとえば駅のエレベーターで、先に乗った人が<開く>ボタンを押してくれているとき、会釈したり、ありがとうと言ったりすることを見かけることもあまりない。
先日夫と外出したとき駅のエレベーターに私が先に乗って、<開く>ボタンを押していたら、年配の女性の乗った車椅子を押しながら老紳士が入ってきた。
そのひとは何の反応も示さず、奥に入ったので、わたしが一番先に降りることになった。
今度は夫がボタンを押していたらしい。

出てきた夫が憤然としている。

どうしたの、と聞いたら、手を伸ばしてボタンを押し続けている夫の腕を、その紳士が振り払ったのだそうだ。

ギスギスした世の中になったよな、夫はつぶやいた。

2011年1月11日 (火)

胃カメラ検査

朝食をとらずに、10時15分の予約一時間まえに病院に着く。
外科のまえの椅子はすでに空席わずか。
この病院の副医院長の外科担当医師から注意事項が伝えられ、誓約書に署名、そのあと点滴を左腕に。
血圧測定、いつもより少し高め。
二階の胃カメラ検査室の前の椅子で待つ。

十年前もこの椅子に座ったのだった。
この病院はあのときのままだ。
あのときと同じ不安の中にいる。
胃の中の泡を消す薬です、と言われ、まずい乳白色の液体をコップ半分ぐらい飲まされる。
口紅をぬぐい、メガネをとり、左を下に横になってベッドの上に。
10数えるまで口に含んでと言われる麻酔の薬。
そのあと、点滴の管から、さらに眠くなる薬注入。そして大きく開けた口に口輪のようなものをがっちりはめられ、あとは夢の中、十五分で終わった。
目覚めたあともまだ一時間ほど眠気におそわれると言われ、結果を聞くまで椅子の背に体を深くあずけて待つ。

なんと簡単だったことか。

20年まえ初めて胃カメラをのんだときは、気持悪くて苦しいものだった。
麻酔のゼリーを三回も口に含み、目を白黒させながら、最後はゼリーでうがいまでさせられ、とどめにもっとまずいゼリーを綿棒でルゴールを塗るように喉の一番奥まで押し込まれ、息を止めてから吐きだせといわれ、右肩に痛い注射、そして太い黒い管を口の中に、入るときが死ぬ苦しみ、ゲブッツと戻しそうになる、そんな十五分だったのだ。

十年前、二度目の胃カメラの記録がないが、やはりカメラが入るときのことは記憶していたと思う。
だから、今回も不安だったのだ。
それなのに、どうだろう、この意外な楽さは。

結果はポリープもあるし、粘膜が多少腫れてはいるが心配なものではない、ということだった。

明日から、この検査が不安で書けずにいた手紙を数通かたづけることから、たまった仕事処理を始めようと思う。

2011年1月10日 (月)

ああ、バレンボイム

このところNHKのイタリア特集番組が続いている。
予約してあったスカラ座特集プレミアム・シアターをやっと見ることができた。

八時台はチャンバラ好きの夫にテレビを独占されてしまうので、じっと我慢なのである。

スカラ座の舞台裏よりも、シーズン初めにイタリアオペラではなく、ワーグナーの『ワルキューレ』を引っさげて登場したダニエル・バレンボイムに目が吸い寄せられた。
すごい!その指導ぶり、ピアニストと指揮者との両道を極めて頂点にいるひとのカリスマ性が、ドレスリハーサルからもろに伝わってくる。
主役のテノールやバリトンを、いつも出だしが遅れるじゃないか、と叱るときは英語やドイツ語、そしてオーケストラにその音は強すぎる、すすり泣くように、と怒鳴るときはイタリア語、ド迫力なのだ。
指揮者がどれほどの名指揮者なのかは、その練習風景を見ればわかる。
ワンフレーズ、フレーズが指揮者の指摘で完成度を増していくのがはっきりと聴きとれるからだ。

インタビューでイタリア人リポーターがスカラ座ではこれまでイタリアオペラばかりだったというと、色をなして流暢なイタリア語で言い返す。トスカニーニがワーグナーを上演しているじゃないか、と。

アルゼンチン生まれのユダヤ系、マエストロ。
なんと英語、スペイン語、ヘブライ語、ドイツ語、そしてこのイタリア語など、数ヶ国語を話すという。

以前、やはりNHKの音楽番組で、バレンボイムが若手のピアニストにベートーベンのソナタを指導するところを見た。そのときは英語だったが、格調高い、これ以上ない適確な表現で、解釈の仕方を伝えると、弾き手の演奏が見る見る変わっていくのに感動した。

いまから数十年まえ、バレンボイムが日本に初来日したときのコンサートに行ったことがある。あまりにも空席が多くて、申し訳ないような入りであった。
それがどうだろう、いまやベートーベンソナタ全曲演奏、すしづめの満場総立ちの拍手である。

家でリラックスしたいときは彼のメンデルスゾーンの無言歌のCDを聴く。まさにピアノが歌っている名演奏だ。

スカラ座初日はバレンボイムのイタリア語の挨拶があった。
練習風景のときは紅潮していた顔がすっかり冷静で、おだやかで、端正な顔になり、指揮棒の振りかただけはどきりとするほど激しく、あの、うんざりするほど繰り返しの多いワーグナーをこんなにも美しい曲だったかと思うほどの演奏に仕上げた。

初日の成功は歌手よりもこのオーケストラあってこそだと思う。

2011年1月 8日 (土)

ダイコン異聞

去年の暮れ、娘の亡夫の実家から巨大な大根をもらった。

孫娘がヤッコラサと抱えてきて、ばぁば、これハンパじゃない重さだよ、と言った。
長さおよそ1メートル、直径15センチ。
早速、お揚げと豚肉と一緒に、酒たっぷり煮にしてみた。
こんなうまい大根食べたことない、と味蕾が少々イカレている夫が言った。
これで正月料理は大丈夫、七草までもつかもしれないとうれしくなった。
それなのに元日のおでんのとき、すぽっと切ると真ん中あたりが熟れすぎみたいに変色していたのだ。

マンション住まいで不便なのは寒い場所がないことである。新聞紙にくるんで、表に出しておけばよかった今は後悔している。

そして七草の日、真ん中にスが入って、トンネル開通になってしまった。
その部分を取って、変な形のくし型の大根を煮た。
あと残り、15センチ。まわりはまだ大根おろしぐらいなら大丈夫だろう。
私の好きな食事、煮込みご飯と大根おろしにチリメンジャコをふりかけ、酢醤油をかけて、焼き海苔もんでパラリで食べるときに。

ところが十二指腸潰瘍の食事メモをネットで調べると、なんと300を越す食材のうち、半数が<X>なのだ。
ひじきも梅干も油揚げもチリメンジャコもダメなのである。そして大好きなチョコレートも。なにか口さみしいときにぴったりの、冬季限定のメルティキッスをせっかく買ってきたというのに。

十年まえのときは生もの、刺身や寿司、コーヒーがダメ、くらいを心がけたのだが、あのときはネットを知らなかった。
いまはなんでもわかりすぎることになってしまって、それがまた、ストレスになってしまうのかも。

2011年1月 7日 (金)

七草粥の日まで

去年から持ち越しているみぞおちのあたりのヒクヒクが薬をのみつづけているのにおさまらない。

年越しのあとはいつも体調不全にはなるのだが、こう長引くとやはり不安になる。

十年ほどまえ、義母の介護をしていたときに患った十二指腸潰瘍のときの症状そっくりなので、そのときに効き目があった、ザンタックをのんでいれば大丈夫と思っていたのだが今回はそうはいかないらしい。

バスに乗って元の家のそばのホームドクターだった医院に向かった。

去年は大きなことを三つしている。

十年ぶりにアメリカに一人旅して、シアトルに永住している従妹に会いにいったこと。
帰国後二週間で、四十年住んだ家から、仮住まいのこのマンションに引っ越したこと。
義父母の遺した荷物も含め、大量のモノの選択と廃棄、そして新しい住まいに慣れるまでの数ヶ月、下手をすると命とりになりかねない労働がつきまとった。
そして最後の一つは、このブログである。日々頭にうずまく想いを記しておく場所が欲しくて、メカに弱いわたしがおこがましくもブログを建ちあげてしまった。
ブログのデザイン、記事の整理、写真の入れ方、すべてが不慣れで、失敗も多かったし、失敗するとすぐパニックになる傾向があるので、どれほどストレスがかかっていたか知れない。

そう、胃潰瘍も十二指腸潰瘍も最大の原因の一つは精神的ストレスである。

大掃除を省略して越年した自室は、いまモノが山積している。また断捨離が必要だ。

首うなだれて医師のまえに座ったのだが、息子と同年代の彼は明快な対応をしてくれた。
ザンタックはかつて最高の薬であったが、今はもっと強力な新薬が出ていること、ひどい潰瘍の場合、以前は手術だったが、いまは内視鏡で観察しながら簡単に摘出できることなど。

そして、見ているまえで、総合病院の胃カメラ検査を予約してくれた。
ここの医院も長いかかわりである。夫と婚約して遊びにきていたときに気分が悪くなり、往診をしてくださったのが彼のお父様、大先生であった。

今日は七草、元の家のそばにある、手作り豆腐屋自慢のがんもを買ってきてあったので、それと大根と京都錦市場で買った花こんにゃくを煮込んでおかゆと食べる。

今の状況の胃腸には最適のメニューである。

2011年1月 5日 (水)

みんな変わる

我が家の菩提寺は鎌倉のS寺であるが、わたしはそこの住職にあまり好感が持てないでいた。

27年まえ義父の一周忌に義母の付き添いでゆかりの人たちと共に墓参りをしたときのことだ。

3月末というのに、鎌倉に着いてすぐ、季節はずれの雪にみまわれ、わたしたちは二組にわかれて、行動することになった。
先に着いたわたしたちは義母を雪の中に立たせないように、寺に頼んで中に入れてもらい、わたしともうひとりの連れだけ玄関で雪やどりをしていた。
そこに住職があらわれて、ここは檀家の人たちだけが出入りするところだから、出て行けというようなことを厳しい顔つきで、激しい調子で言ったのだ。
観光客と間違えたのかもしれない。でも僧侶のくせに本音の感情がほとばしり出たのを見て、いやな気がした。

この人にお経を詠んでほしくない、と本気で思った。
ということは、ここの墓に入りたくないということになる。

最近親しい友人二人が嫁ぎ先の墓に入りたくないと言うのを聞いて驚いている。
長年のブリッジパートナーのMさんはどこから見ても良家の賢夫人だが、彼女だけカトリック信者になって、もう教会の納骨堂に予約してある、死んでからまで、M家に属してたくないわよ、と言う。
数十年のつきあいのTさんもこの一年、ご主人を献身的に介護しているが、ひとりになったら、お墓つきの温泉ホームに入るつもりで、ウエイティング・リストに名前を記入したというのである。

わたしもS寺の墓に入りたくないと感じたころ、散骨がいいかと思ったりもした。だが、佐野洋子さんの本を読んでいたら、散骨というのが大変で、遺灰なんてものじゃなく、大きな塊があるので、それを灰状にするのに、大すり鉢と大すりこぎで五時間も汗だくですったという話があって、話を面白くするために少々オーバーに書いてあるにせよ、すぐに散骨願望は消えさった。

昨年暮れ、S寺に墓参りをし、管理料を払いに行くと、玄関先に住職があらわれたのだ。
めずらしい、いつもなら、大黒さんなのに。
京都で買ったお茶ですと言って管理料につけて差し出したら、満面の笑顔で、京都にいらっしゃったんですか、いつかお話聞かせていただきたい、なんて言うのだ。
その表情が以前の気負った様子とは別人のように柔和そのものに変わっていて、玄関を出てから、夫と思わず顔を見合わせた。
変わったな、和尚。
そうね、やっと悟りを開いたのかも。

わたしが14回もイタリア一人旅を無事にこなしたのも、不景気だったのに、ようやく土地が売れて小さな家を建てる資金ができたのも、毎日仏壇にお線香あげて、ご先祖さまに感謝していたからではないか、とこのごろつくづく思うのである。

だから、あの和尚にお経を詠んでもらってあの世に旅だつのもいいかなという気がしている。

2011年1月 4日 (火)

心地よさの追求

毎日新聞の女性<上司の本音>というエッセイ、「若いころ嬉しかった出張は、今は体にこたえる。ホテルの乾燥した部屋で、お肌カサカサ」の文に大きくうなずいた。

エアコンの暖房は嫌いである。
炬燵や火鉢で育った者にとって、頭寒足熱のほうが心地よいのだ。

髪の毛がとみにうすくなったのも夏冬のエアコンによる乾燥のせいではないかとさえ思う。

それにホテルや旅館はエアコンの利きすぎが多い。
京都のホテルも加湿器はついていたが、寝るときエアコンを止めても、部屋の温度はあまり下がらなかった。

それにつけても思い出すのはアムステルダムのホテルの部屋の心地よさである。

Venere というサイトから宿泊経験者の評価が一番高いところを選んだのだが、当たりであった。
室温は暑からず、寒からず、これ以上ない適温で、しかも電気湯沸しがついていて、手持ちのインスタント日本食を調理するのに、まことに便利、それまで、フィレンツェのホームステイがシャワーだけだったので、深めのバスタブもうれしく、一日に二度も湯船に浸かった。

そしてリフレッシュした体で、あの運河沿いの道を澄み切った冬の冷気を大きく吸いながら、足音もはずませて、レンブラントを見に、美術館に向かった、あのときがなつかしい。

2011年1月 2日 (日)

年賀状は語る

去年、年賀状印刷は孫息子がセットしておいてくれたので、安心していたのだが、いざ連続印刷にしようとしたら、写真用の葉書がくっついてしまって、パニック状態に。

..あわてて、助っ人に夫を頼んだら、プリンターのボタンを何度も押したので、プリンターのジョブがたまってますますおかしなことになり、表面印刷ができなくなってしまった。

そんなわけで宛名を手書きして出したのは30枚ほど。

元日に届いたのもわずかに17枚ぐらい、若い友人からのほうが多い。

同年代の友人はもうや~めた、と言ってたひともいたし、12月は現役主婦には地獄だから、おせおせになって出したひともいるのだろう。

私自身、PCメールや携帯メールに慣れてしまって、葉書や手紙を出すのが、億劫になりつつある。
出し終わったあともだれに書いたか、しっかりメモしておかないと、記憶はすぐに消し飛んでしまう。

夫も去年は百枚も出していたのに、今年はや~めた、になってしまった。

それでも60枚ぐらいは来ていて、これ、ごらんよ、と言ってみせてくれたのが、小生ボケが進みました、という追って書きの、同じ筆跡のもの二枚であった。

2011年1月 1日 (土)

年頭に想う

大晦日に娘が体調不良で倒れてしまったので、分担するからと言っていたおせちづくりは、結局すべてわたしがすることになり、午後じゅうかかってなんとか仕上げる。

ナマス、五目キンピラ、線切りがやたら多いので、右手の人差し指の根元にマメができた。

元日も孫たち二人だけが祝い膳に参加、夜はおでんの仕度と台所仕事が忙しい。
午後わずかなひまを縫って昼寝。

毎日新聞『余禄』にあった永井荷風の言葉「炭もガスも乏しければ湯たんぽを抱き寝床の中に一日をおくりぬ」。

わたしの場合は「暖房は足れども湯たんぽ抱き仮眠を楽しむ」でぐっすり二時間の昼寝。

毎日新聞はきょうからアウンサンスーチーさんの「ビルマからの手紙」を再連載する。

軟禁状態だったときの生活の苦しさが、手にとるようにわかる記録である。

そして第一回最後をしめくくる詩の一節がこころに刻み付けられた。

なんとインドの詩人カーリダーサ『暁への讃歌』の抜粋であった。

昨日はただの夢であり 
明日は予感にすぎない 
今日をしっかりと生きたらば 
昨日という日は理想となり 
明日という日に希望を開く 
だから、今日と精いっぱい向き合おう 

« 2010年12月 | トップページ | 2011年2月 »