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2010年12月に作成された記事

2010年12月31日 (金)

京都師走あちこち 4

三日目、帰りの列車は3時まえなので、それまでそれぞれ自由行動をすることにした。
娘は特に目的なくあちこち歩きたいという。わたしは迷わず錦市場に行くことにした。

別れるとき、娘が、いろいろありがとね、と言いながら、新しい手袋をくれた。きのうわたしが片方を落としたともらしたときはめずらしく皮肉めいたことを言わなかったのに。

さあ、これからがわたしだけの時間、烏丸御池から三ブロックくらい四条に向かって歩き、和菓子店を左に曲がると錦市場。

十時ごろのせいかまだそれほど混雑していない。まずはお茶屋で京番茶を買う。
なんだかうきうきしてくる。やはりわたしの人生で一番長くやっていたことは主婦業なのだ。本当によい、おいしい食材の宝庫に来たことを意識しただけで、よぉ~し、いい買い物をするぞ、と胸がはずんでくる。

「錦は高うおすえ」などと京都人は言うが、そうだろうか、それだけの価値があるような気がする。

来年の干支、ウサギを紅白のかまぼこでお雑煮の具にできるほどの大きさに見事にかたどって売っている店。早速1パック買う。
ゆばも煮物用、汁物用、いろいろある。結びにした汁物用を買う。
そして、生麩の店。ピンクの花がたのを買う。こんにゃくも梅の花型、芯は人参、牛蒡など、それもおでん用に買う。八百屋で壬生菜も。
雑貨屋には築地で売っているのよりもっと長くて先が細い、菜ばしがあったので、二膳購入。
中ほどにはブティックもあり、カフェもあった。
ウサギのデザインの美しい絵葉書、二枚組みも何組か購入。

正月用の切花、仏教用と神道用と、そのアレンジが美しい。これは見るだけで買わなかった。
まだまだ、白味噌、奈良漬など買いたいものはあったが、重くなるのでこのぐらいで我慢。

新京極から四条に抜けて、バス停を探し、無事京都駅へ。十二時過ぎの列車にチケットを替えてもらって帰京。

やはりわたしには一人旅が向いている。

2010年12月30日 (木)

京都師走あちこち 3

二日目、一日ゆっくりできるので、大原まで足をのばすことにする。

ブライトン・ホテルにスーツケースを預け、出町柳からバスで一時間。天気は快晴だったが、今の時期、訪れるひともまばら、三千院も寂光院もゆったりと見てまわることができた。

三千院は二十年ぐらいまえに紅葉を見に訪れたことがあったが、そのときは人、人、人で、空を仰いで紅葉を見たという記憶がある。混んでいないとこれほど違うかと思う景色、庭の苔の緑が目にしみる。

寂光院まではおだやかな里山の上り道を二十分、建礼門院も幽玄の美あふれる安住の隠居地を見つけたものだ。
ふもとに手作りの漬物屋があって、竹の皮で包んだ、フキノトウ、柴ば漬など、買い求める。味見するときごはんに載せてくれるので、おいしさが増す。
帰り道足湯カフェがあったので、入りたかったが、娘はストッキングを脱ぐのが面倒だというので、あきらめた。

以前は好みの相違にいちいち反発して言い合いになったけれど、母親のまえで素を出し切ってそれが癒しになるのだろう、と思えるようになった。
娘婿の早世から十四年、ティーンになるまで二児を育て、わたしよりはよっぽど苦労をしているのは確実だからである。

バス停でベニシアさんの家のことを事務所で尋ねている人を見かけた。
彼女の家はまだまだずっと奥なのだそうだ。そういえば大原の田園風景はイギリスの貴族の館がある辺鄙な場所に似通っている。事務所の話では、ベニシアさんの住所は公表されていないそうだ。

四条河原町に戻って、娘がどうしても行きたいという『イノダコーヒー』を探しあてた。
大丸の地下、清水の店とは風情が違うが、ここのフレンチトーストがお目当てである。
厚切りのパンに玉子をつけてじっくり焼き、そこに白砂糖をまぶしただけ、わたしのフレンチトーストの方がずっとおいしいと思ったが、黙っていた。

ブライトン・ホテルのロケーションは便利ではない。烏丸御池にシャトルが来るのでそこまで歩く。
ここは芸能人などが泊る高級ホテルとばかり思っていたが、今回は朝食付き一人11000円、『田舎亭』より安いのである。
部屋は広々、ソファーや食事ができるテーブルもあり、大きなバスタブ付浴室、40インチのテレビ、着心地のよい部屋着、申し分のないサービスである。
但し、和朝食は味噌汁の具があさりだったり、湯豆腐に薬味もなく、あまりおいしくなかった。

2010年12月29日 (水)

京都師走あちこち 2

その日の宿は娘がネットで見つけた、今一番人気の片泊りの宿、『田舎亭』,

高台寺に近い車も入れない路地の奥、私たちの部屋は離れの二階、築後百年以上という階段をみしみし上がりながら、どうかトイレが下じゃありませんように、と祈った。
トイレは共同だが、幸い、二階に二箇所、部屋に近かった。
大島渚監督のお部屋でした、という、それにしてはこじんまりの和室、なんだか床が傾いているみたい、でもレトロ系和風をこよなく愛する娘はいいねえ~と感動しきり。

夕食は祇園まで足をのばした。
石畳の坂道、寒いので、娘の腕にすがったら、腕組みしたいから、悪いけど、こういう態度にも、もう慣れっこである。
人通りは少ない。
値段とメニューと店の外観とを、十件くらい見比べ、カウンターの大きな、フルコース一人四千円代のところに決めたが、これは当たりであった。
ゆばの入ったおひたし、野菜の炊き合わせ、蕪蒸し、いずれもほっぺたが落ちるぐらいおいしい。

こういうの、たべたかったんだ、と、このときはほころぶ顔を見合わせる。
店内のインテリアや生け花も美しく、番茶の入った大ぶりの急須も抜群の趣味、値段が高いほどいい、というばかりではないことがわかって、京都がまた好きになる。

宿に戻ってのお風呂がよかった。下に降りて、下駄をはいて出なければならなかったが、檜の深いお風呂、あ~あ、とため息の出るあったまりよう。
但し、雨戸がないので、エアコンなしでは寒く、つけっぱなしで寝るのが違和感、風邪をひきたくない、という娘の言葉に逆らえないのである。

2010年12月28日 (火)

京都師走あちこち 1

久しぶりの新幹線、富士山がくっきりと姿をあらわしたとき、思わず声を上げ、寝ていた娘をつついたら、せっかくいい気持だったのに、とおこられた。

京都駅でコインロッカーにスーツケースをあずけて、バスで三十三間堂に行く。
1000体の観音像も美しいがその前に立つ30体の尊像に見とれる。
絵葉書を期待したのに、種類が少ない。最近ここをテーマにした素晴らしい個展が評判だった、木版画家木田安彦氏の情報がわかるかと事務所まで行って尋ねたが、なにも得られなかった。

失望が言葉になって出るのを、娘がたしなめる。いやみ言わないでよね、恥ずかしいから。
近くの智積院で長谷川等伯の襖絵を見たあと、庭園もゆっくり散歩。観光客が少なく、ゆったりとすがすがしい気持に満たされる。

ハイアットリージェンシーでお茶を。このホテル、まん前がバス停、ロケーション抜群である。

駅まで思い切って歩いた。
よい天気だったし、二十分ぐらいだったので、店や家など見ながら、ちょうどよい散歩の距離。

さあ、宿に向かおうかと、ロッカーを開けてびっくり、私のスーツケースが消えている。

どうしようっ!!とっさに盗られて困るものは入れてなかったことだけでも幸いか、と思う。

娘が携帯ですぐ係りにTEL.事務所に来るように言われる。
三人の中年男性はみな冷静。書類に記入させられたあと、スーツケースの中に身元を証明するものを入れてませんでしたか?と問われた。
そう、二泊目のブライトンホテルのネット予約のコピーが入れてあったと言うと、盗まれたんじゃありませんよ、と笑顔。

わたしが間違えて左側のカギをかけてしまった、つまり左隣の空らのロッカーにコインを入れカギをかけてしまったのだ。

娘が言う、そそっかしいんだから、カギは右側に決まってるでしょうが。

ロッカーのところまでカギを持ってついてきてくれた人は言った。よくあるんです、どうしてくれるんだ、って頭に湯気たてて怒鳴り込んでくる人もいますよ。だから一日に何度も空いているロッカーを確かめにみまわりに行くんです。
頭が下がった。さすが!!観光都市の代表京都ですね。

その係りの方、有村さん、ほんとにありがとうございました。

あとで娘が言った。それでよくイタリアの一人旅なんかできたね。

2010年12月26日 (日)

忙中歳末

年賀状をまだ出していない。

『筆王』の操作は年一回なので、メカに弱いわたしはまた混乱。
写真は入れ替えたものの、年号が入らなくて困っていたら、、昨日孫息子が入れてくれて葉書印刷もすぐできるようにセットしてくれた。

すかさずバイト代を払う。

ところが印刷のカートリッジ切れでカラーが出ない。

きょうから娘と京都へ二泊、年賀状の元日到着は無理かも知れない。

2010年12月25日 (土)

クリスマス・バースデイ

世の中はイブを祝う人が多いが、我が家はクリスマス当日が重要なのである。

かつては義父のバースデイであり、ホームパーティを欠かさずしていた。
亡くなったあと、くしくも同じ日に孫娘が誕生、西洋のおまつりだからと、そっぽを向くわけには行かなくなった。

義母は65のときに、これからはあなたにお願いするわね、と二階に上がってしまったが、わたしは息子が002_2


独身、娘は仕事で忙しく、お願いするひとがいないので、がんばらざるを得ない。

ローストチキンの丸焼きをするつもりだったが、予約するのを忘れていたら、一羽を買いそびれてしまい、やむなく腿焼きにする。
あとミートローフ、ブルスケッダ、コーンスープ、サラダ、など、作りなれているものばかりだったので、二時間たらずで完成。娘も早めにやってきて手伝ってくれた。

冬休みになるとティーンの二人がだらしない生活で、注意するとふくれるし、やになっちゃう、と言っていたが、今宵は皆でおいしい、おいしいと言いながら食べているうちに、和気藹々となり、笑い声の絶えぬ食卓となった。

孫たちも17歳と15歳、こんなにゆったりと会食できるのも、そろそろ終わりかも知れない、娘と顔を見合わせうなずいたのだった。

2010年12月24日 (金)

クリスマスパーティ

手作りのクリスマス料理を味わいたくて、日伊文化交流サロン『アッテイコ』 http://www.attico.net のクリスマスパーティに出かけた。
一人参加だったが、人見知りまったくなしのバアサン度胸で、参加者最年長もものともせず、若いひとたちと沢山話をする。

料理は講師の村上真理さんが心をこめてつくる、まさにイタリアのマンマの味。

届いたばかりのサラミや生ハム、クリームチーズのブルスケッダ、レンズマメや香味野菜がたっぷり入ったパンチェッタの煮込み、ブロッコリーのサラダ、カブとツナのサラダ、ボロネーズ風パスタ、ホワイトソースで和えのキノコ入りパスタ、ローストポーク、ポテトのクリームソースかけ、ワイン飲み放題、アルコールに弱い人用にはピーチティーもサーブされ、至れりつくせり。

デザートはイタリアからジェラート名人が来ていて、イタリアのクリスマスケーキをあしらったジェラート二種類がスプマンテと共にふるまわれた。

おいしいものを十分食べたという今年のハイライト的満足感。

それにしてもイタリア文化会館で四年まえに習った女性講師と再会したのだが、二児022


のママになっていたのには驚いた。光陰矢のごとし、である。

7時に終わったので、帰りに有楽町の国際フォーラムで開かれているマルシェに立ち寄る。

ライトアップが美しい、別世界の様、但し売ってるものはジャムが2000円だったり、目が点。
一番安い300円のクリスマスクッキー、あさってのホームパーティに使う小さな飾りのクリスマスツリー、カードなどを買った。

今年はほんと、ライトアップが豪華で不況の現実が信じがたい。

2010年12月22日 (水)

美女か魔女か

ソフィア・ローレンが高松宮殿下記念世界文化賞受賞で来日したときの番組を見入っていたら、夫が言った。

だれだ、この魔女みたいな女?

ソフィア・ローレンよ、ソフィア・ローレン!
二度くらい言わないと伝わらないこのごろである。

ひどくなったな、としかめ顔。

確かに76歳にしては若づくり。赤やブルーのド派手ないでたち、胸の谷間もしっかり見せるファッション、だがそれを売りにできるほどのプロポーションの維持はスゴイ、さすが大女優である。

でも大写しになると、しわからファンデーションの塊がつぶになって落ちそうなほどの厚化粧。
人前に出るのに、相当時間をかけているぞ、という気がした。

倉敷訪問が見モノであった。町は太鼓を打ち鳴らし、はっぴをまとった若い衆が舟くだりをし、市長も美術館館長も旅館の女将も大はしゃぎである。
レセプションでの彼女のスピーチは美しい英語で、目をうるませての感動。

それはそうだろう、倉敷あげてのもてなしである。
ところが、翌日の直島訪問は体調不調のためキャンセル。ピンヒールの靴で歩き回って、あのいでたち、お疲れだったのだ、きっと。

彼女を支えていた、ボローニャの八百屋のおじさんみたいなマネージャーと、孫娘ほどの年齢の美しくて聡明そうな日本女性の通訳の対比がおもしろかった。

それにしても、76まで大女優で表舞台にいるのはさぞ難儀なことだろう。

私的にはジョーン・プロウライトのような自然体のほうが好ましく感じられる。

2010年12月20日 (月)

劇団民藝『十二月』-下宿屋四丁目ハウス

日色ともゑさんの友人という、わたしの古いつきあいの人が手配してくれて千秋楽まえの公演を観ることができた。
三越劇場、アールデコ調の重々しい、おもむきのあるインテリア、こんな素晴らしいシアターがデパートの中にあったなんて。しかも演劇主流の公演をするなんて、知らなかった。

小山祐士の作品ということはわかっていたが、下調べもしないで来たので、出演者の顔ぶれを見てびっくり、奈良岡朋子、樫山文枝、日色ともゑの三大女優の競演なのだ。

昭和初期、大恐慌時代の山の手の家族の物語。貨幣価値、家族のかかわりなど、頭の切り替えがついていかない部分もあったが、ベテラン出演者の演技はさすがであった。

奈良岡さんはもう八十を過ぎているのに、四十代の役になりきっている。
登場したときは掛け声を出したくなるくらいの貫禄、朗々たる発声、せりふがすみからすみまでひびきわたる。
樫山さんも裕福な奥様がよく似合っていたし、日色さんの女中役もしぐさから、せりふまわしから、控えめがそのまま演技力の重みに感じられた。

ただ前から二番目の席だったので、男性群がかなり無理をして若い役をやっているのが、目についてしまう。
かつらが浮き気味、しわが目立つのに、独身のモテモテ役。中年の管理職風のひとがこれから結婚式をひかえている青年の設定だったり。

観劇途中で、後ろから大いびきが聞こえてきて、はらはらした。男性だと思い込んで休憩のときにふりかえってみたら高齢女性。
しかも次の幕のときは別の方角からなにやら寝ぼけ声が聞こえてきてまたどっきり。

演じる方も観るほうも高齢化がひしひしとつたわってくるマチネー。

二時ごろというのは高齢者が一番眠くなる時間帯ではあるのだけれど。

2010年12月19日 (日)

ちょっとしたプレゼント

感謝の気持をものに替えるのはあまり好きではないが、久しぶりに会う人、変わらぬ友情に感謝して、ちょっとしたものをあげたくなる。

近くのオーガニックコットンの店はそんなときにプレゼントが見つかる便利なところだったが、閉店してしまうことを知った。
セールで、三重ガーゼなどの生地を売っていたので、二種類ほど買い求めた。

私たちの世代はすでに着る物、持ち物すべてそろっているし、食べ物も制限していることもある。

身の回りのちょっとした便利な、使いやすいもの、肌触りのいいハンカチを作ってみては、と思ったのだ。

それというのも、私自身、ハンカチをよく失くすのである。ポケットに入れっぱなしなのかと思って、ジャケット、コートをさぐってみるが、見当たらない。バッグはいつも空にしてしまうので、そこにはない。置き忘れかな、と思って、ブリッジクラブなどの忘れ物の棚をさぐったりするが、ない。
不思議だ。
というわけで、自分がほしいものを作ることにした。

オーガニックコットン生地をはさみで四角く切って、まわりを刺繍糸でちくちく刺し子風に縫う。

湯たんぽ入れたベッドでコタツ風に足をのばし、ちくちく、お気に入りのCDを聴きながらの作業はこの年齢にふさわしく、ゆったりとして楽しい。

2010年12月18日 (土)

刺し子作品

1500円くらいで買ったかすりのバッグに刺し子をほどこした。

一枚の布にするのと違って、縫いにくく、時間もかかったが、結果を見たい一心で専念。
まあまあの出来だと思う。

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マフラーは虫が食って穴があいてたところを、まさに刺し子の本来の目的、つくろったのである。

2010年12月15日 (水)

作家エリザベス・テイラーのこと

映画『クレアモントホテル』の随所に忘れがたいフレーズがあったので、原作者のことがもっと知りたくなった。

なんと、大女優エリザベス・テイラーと同姓同名のひと、二十歳年上だったが、デビューがほぼ同時期であったので、この偶然が災いして、不運な作家生活であったらしい。

実は作家としてのこの名を記憶していた。ケーブルテレビで観た『エンジェル』という映画の原作者でもあったからだ。
こちらのほうは、貧困の生い立ちから一大人気小説家になる女性の波乱万丈の人生の話で、家事をほったらかして見入ったおぼえがある。
作家エリザベス・テイラー、ネットで調べたところでは、近頃、再評価が著しいらしいのだ。
日常生活のこまやかな描写に人生をみすえた言葉がちりばめてあって、地味ではあるが、惹きつけられるという。

死後35年もたって、しかもライフスタイルがこれほど変化した今、光が当たる人もいるのだ。
日本では原作本もなかなか手に入らない。
長編小説十一冊、どれも傑作ぞろいだという。
ロンドンの書店に行きたくてたまらなくなってきた。

2010年12月14日 (火)

『クレアモントホテル』を観る

岩波ホールは上映30分まえ、すでに満席だった。
圧倒的に中年以上の女性客で埋めつくされている。ようやく見つけた空席は前列二番目。チラシを一杯手にしている、見知らぬお隣りさんに「見づらくないでしょうか?」と訊いたみたら、ここの常連だそうで、大丈夫、と言ってもらえた。

ローレンス・オリヴィエの三番目の夫人ジョーン・プロウライト。ヴィヴィアン・リーがニューヨークまでオリヴィエに会いにいったとき、この女性と結婚するといって紹介され、ショックを受けたときの、まさにその相手。
美人ではないが、独特の個性あふれる演技派。
これまでも『ムッソリーニとお茶を』とか『殺したいほどアイラブユー』とかで主役の影をうすくする存在感を見せていて、注目していたのだが、この映画、75歳にして堂々の主役である。

老いをまったく隠そうとしない日常の素の姿が、ディナーのときはドレスアップして、見違えるような気品あふれるレディに変身する。さすがデイムの称号を持つ彼女である。
高齢者の長期滞在ホテルで、このいでたちであらわれた彼女に、杖をついた老婦人が耳打ちする。ここはunderdressedでいいのよ、と。このせりふを言うミセス・アーバスノットはかつてヒッチコックの『フレンジー』で主役をしたひとだ。
あれから、数十年、観客のわたしも年老いたが、画面も女優の老いを容赦なくうつしだす。

大学の英文科でjoy of recognitionという言葉を習った。認識の喜び、ああ、これわかる、知ってるといううれしさである。
彼らの話す、米語ではなく、英語の表現の美しさ、格調高さ、ユーモア、ジョーン・プロウライトのせりふの端々、そしてそれを発する表情に魅せられながら、高齢の女性の魅力は容貌ではなく、内からにじみ出る、教養、人格なのだとつくづく思った。

ラスト近く、若い女性に言う言葉、「日々の一瞬、一瞬を大切にすること、これが人生で学んだ一番大事なこと」というせりふに大きくうなづきたくなった。

場内の笑いやため息などから、共感しているのが、自分だけでないことを
背後に意識する心地よさあふれる名画であった。

2010年12月13日 (月)

永遠のヒロイン、ヴィヴィアン・リー

予約しておいたNHKハイビジョンのドキュメンタリーをようやく見ることができた。

ヴィヴィアン・リーはあこがれの人であった。
こころなしかアンバランスな眉が、ときに気の強さをあらわし、ときに哀愁をおび、ひとたび微笑むと、可憐で華やかで気品があふれる、忘れがたい、思いがけない贈り物をもらったような気分にしてくれる、そんな美貌である。

この人の映画を次々と欠かさず見て、どんな消息も見落とすまいとしていた。

それがどうだろう。このドキュメンタリーは知りたかった全てを語ってくれたのだ。
ヴィヴィアンのひ孫、大学生のソフイーが曾祖母の足跡をたどっていく。
鼻ピアスの、ちょっと勝ち気そうなきれいなお嬢さん、最初の結婚で生まれた一人娘の子孫、おきざりにされたその祖母は登場しないが、リバティ模様のブラウスを華やかに着こなした親戚の初老の婦人が証言する。ヴィヴィアンには母性が欠けていた、と。
オリヴィエと結婚して住んだというノトレー荘は息をのむほど美しい並木道の奥にある、広大な屋敷である。
二人だけの特別の散歩道に、オリヴィエの子息が登場する。自分の母親から父親を奪った女性のことを語るのに、憎しみは感じられない。不倫の犠牲者である実母でさえ、ヴィヴィアンの魅力の虜だったと認めている。

ヴィヴィアンはオリヴィエの子を流産したあと、神経を病み、離婚した。亡くなる七年前に出会った若い俳優、ジャック・メリベールと三度目の結婚、そして田舎に住みたいという希望を実現させ、ティーカレージ荘に住む。
池がそばにある、瀟洒な田園の家。
ジャックと結婚するはずだったのに、ヴィヴィアンに盗られたという女性も登場するが、ヴィヴィアンの魅力をたんたんと語る。

ヴィヴィアンが最後まで、オリヴィエを愛していたことは全員が認めている。それでも三度の結婚で、懸命に愛を全うし、生きてきた、ヴィヴィアンにとってlove was lifeであったと、一番親しい俳優の友人が証言する。

オリヴィエが八十歳のとき、『ローマの愛愁』を観ていて、涙をながしながら、どうしてうまくいかなかったんだろう、と言ったという子息の語るエピソードが胸をうつ。
それぞれの証言者がすべてヴィヴィアンの魅力を認めていて、語りの中から彼女の等身大の実像があふれ出てくる。
二時間という長時間、目を釘付けにしてくれる、近頃稀に見る素晴らしい番組であった。

2010年12月11日 (土)

戸惑いの新システム

仮住まいのマンション生活はおおむね快適なのだが、二つほど気に入らないことがある。

電子オーブンレンジをつけると必ず鳴る電子音、入力、スタート、終了、三回も鳴るのだ。
しかも一、二小節の奇妙な節回しのメロディなので、耳障り、しょっちゅう聴くので、耳にこびりついてしまう。

チンだけでいいんじゃないの、メロディじゃなくても。

もう一つはお風呂、追いだきができないので、いちいちお湯をためなければならない。
自動にしようとすると、ピーピーと甲高い音が鳴って<浴槽にお湯を入れる準備ができました。お湯の蛇口を開いてください>とキーキー声が叫ぶ。
お湯がたまると、またピーピー、<お湯はりが終わりました…>と叫び声がして、蛇口をしめ、お湯はりスイッチを消さなければならない。

以前の家では追いだきができたし、<お湯はりをします>の声がして、終了すると、『人形の夢と目覚め』のオルゴールが鳴って、<お風呂がわきました>とアナウンスはあったけど、耳ざわりではなかった。

夫は新しい家は絶対に追いだき式がいいと主張。それには賛成なのである。
使用後のお湯をいちいち捨てるのがもったいない気がする、洗濯機がそばにないから再利用もできないし、と言うことを、一戸だてから、マンションに引っ越して同じお風呂のシステムだという友人に話したら、異をとなえられた。

「わたしは気に入ってる、やっと夫が入ったあとのお風呂に入らなくてすむようになったんだもの。毎日バブルバス、楽しんでるわ」

バブルバスねえ~、乾燥がひどくなって、老人性掻痒症がひどくなる気がするんだけど。

2010年12月 8日 (水)

称えられるべきひと

先回下北沢の裏口で待ち合わせたとき、手すりにすがりながら、やっと降り立った彼女を見て、股関節に相当の痛みがあるのを知った。

わたしたちのお気に入りのレストラン『ベファーナ』で彼女は手術を決意したことを語った。人工関節にする手術そのものはそれほど、苦痛ではないけれど、そのあと、一週間仰向けに寝たまま、寝返りも打てず、排泄も食事も人任せになるのがつらい、そしてそのあと、激しい苦痛をともなうリハビリがまっていることを聞き、ため息が出た。

術後の経過もよく、片方の痛みは去ったが、もう片方に負担がかかり、思い切って残る片方の股関節手術も決意したと聞いたときは、果たして再起が可能なのかと、心配でならなかった。

半年後、再会したとき、すたすた歩ける彼女を見て、なんと、すごい、リハビリ中に脱臼して脱落する人も多いのに、彼女は優等生と賛美されるほど、がんばったことを知った。

だが、イタリア、ウイーン、アムステルダムへ13泊、オペラを観る旅を計画中と聞き、いくら一人旅名人の彼女でも、それは無理かも、とまた危ぶんだ。

十年以上イタリア、その他ヨーロッパ諸国へオペラや美術鑑賞の旅を数十回続けている人である。決して豪華な旅ではない。すべてネット手配、バス、列車を乗りついでどこにでも出かけていく。

サイトではその知識、情報を惜しげもなく提供する。わたしもどれだけ学んだかしれない。

オペラや文化遺産の知識にかけては生き字引なのにおごりはなく、しかもイタリアのどのホームは階段がある、荷物を預けられる駅はどこか、などまでおしえてくれる。

そして、きょう、また同じ『ベファーナ』で彼女は、毎日一万歩以上歩いた旅が最高のリハビリになったと語った。

Brava!  Complimenti! etc, etc… きく子さん、イタリア語の褒め言葉すべてを、あなたに。

2010年12月 7日 (火)

患者のこだわり

インフルエンザの予防注射を受けに出かけた。

引っ越してから初めて行く内科の医院。すでに六人待ちである。

受付、看護師、三人が行き届いた応対をしていて、患者が診察室に入るたびに、お待たせしました、という愛想のいい声が聞こえる。
どんな先生なのだろう?

やっと番がきて、ドアを開けると、目のまえの医師は短パンに黄色のTシャツ、パーカーをひっかけた、お相撲さんみたいな人でびっくり。
診察があって、注射、そのあと、きらしている誘眠剤と、胃薬の処方を依頼した。

胃薬といっても、十年まえに十二指腸潰瘍を患ったことがあって、薬で治したのだが、そのあとも、ときどきそれらしきヒクヒク痛みが起こったときにのむくすりである。

薬の名を告げると、先生が言った。それとまったく同じ効用がある別の薬じゃいけませんか?タケプロンっていうんですが?
あ、それものんだことあるんですけど、わたしにはこれが一番あうんです。


フィレンツェのジョヴァンナと話していたとき、彼女が言った。
やっといい胃薬にたどりついたの。

わたしも!二人とも似た状況にあったのだ。なんていう名前の薬?

ザンタック。

同じよ、それ!!

イタリアのザンタックは処方箋なしで買えるので、一度、ファルマチーア(薬局)で買ってみた。
なんときれいな薬!うすいピンクの五角形。

イタリアだなあ~と感動したのである。

2010年12月 5日 (日)

温活効果

「身体を温める活動」を温活というのだそうだ。

つまり全身の血のめぐりをよくして体調を整えるための情報を発信するサイトが出したスローガンということらしい。

今の時期、とりわけ入浴が効果的だと勧めているが、わたしはこのところ、湯たんぽを愛好している。

夫がプラスチック製の湯たんぽを買ってきてくれたのだが、これがすこぶる快適なのである。

お湯を入れるという手間をいとわず、毎日早めに用意して、ふとんの中に入れることにしている。そして早めにベッドインして、あたたまった足下と湯たんぽにさわるときの幸せ!

枕やクッションで背もたれをつくり、読書したり、刺し子の手芸などをする。
つまりは一人こたつみたいなものだが、これを始めてから、寝つきがよくなって、ぐっすり眠れるようになった。

去年までは電気毛布だったのだが、六月に引っ越ししたとき電気毛布のコードが紛失、引っ越し業者をうらんだりしていたけれど、今ではよい転換だったと思う。

2010年12月 3日 (金)

経年劣化

左上腕部の痛みがとれない、背中の奥のにぶい痛みがずっとはりついている、わたしが毎日、うったえる不安に、夫はこの言葉を返してよこす。

きのうの夜は眠りも浅くなって、夜中に起き上がり、パソコンの前の椅子に思いっきり背中をあずけてそっくり返ったら、椅子が横転して、あやうく怪我をするところだった。

血圧も高めで、この不調はなにか深刻なものではないかと、考えだしたら、ますます眠れなくなり、『家庭の医学』のページをめくったが、該当例もなく、佐野さんのことを思った。

ガンが脳へ転移したことが判明したとき、彼女は墓所を用意、寺の檀家になって永代供養を手配、ホスピスも予約、遺影も撮影して、息子さんから「死ぬ気まんまんじゃん」と言われたとネットの記事で知った。

同い年のわたしにも、いつからだに異変が起きても不思議はないが、どういうお気持だったか、今なら察することもたやすいと思われた。

翌日、マッサージを三十分、ハリも打ってもらったら、よどんでいた疲れがようやく消えた。
そうなると、この際、ドックを予約しようという気はまた失せてしまう。

まだもう少し生きていられるのかも知れない。

一日、一日を感謝と共に過ごさなければ。

2010年12月 2日 (木)

続 子孫ってどんな?

広瀬弦、佐野洋子さんのご子孫をネット上でもう少し追っかけする。

産経児童出版文化賞を受賞した作品があった。これはすごい、ぜひ知りたいと、再びクリック。

十年まえに出版された『空へつづく神話』

Amazonで調べたら、中古の、非常に状態がいい本が290円だったので、早速取り寄せた。といっても送料が本代と同じくらいかかったけれど。

これは絵本ではなくて、小学校高学年対象の立派なハードカバー。
箕面市に住む少女が土地の伝説に登場する守り神と出会って冒険をくりひろげる物語。

日本の伝説というと、とかく和風一色になりかねないのに、広瀬氏の絵は繊細なペン画でモダンでエレガントな美しさである。

書き手の文章もこなれた日本語でストーリーも上質ではあるけれど、受賞にこの挿絵が十分に貢献しているのは明らかだ。

佐野さんのエッセイに登場する息子さんはいつもニヒルで遊び人ぽく感じるのだが、どうして、どうして、このひとは大変なアーティストである。

彼の描く少女に佐野さんの幼少時代の面影が彷彿とする。

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