佐野洋子さんありがとう
覚悟していたとはいえ、訃報はずじんと胸にこたえた。
佐野さんとは同い年である。
『100万回生きたネコ』はわたしと娘と孫たちの愛読書であった。幼い孫たち二人に読みきかせながら、ラストちかくでいつも感動で胸がふるえ、涙で声をつまらせていた。無駄な言葉が一切ない、語りがいいし、あの力強いオスネコの表情、やさしくて可憐なシロネコの姿、脳裏にきざみこまれている。
久しぶりに『神も仏もありませぬ』を開いた。北軽井沢での日々の生活の中に、佐野さんの声が聞こえてくる。
<いつ死ぬかわからぬが、今は生きているー生きるって何だ。そうだ、明日アライさんちに行って、でっかい蕗の根を分けてもらいに行くことだ。それで来年でっかい蕗が芽を出すか出さないか心配することだ。そして、ちょっとでかい蕗のトウが出てきたらよろこぶことだ。いつ死んでもいい。でも今日でなくてもいいと思って生きるのかなあ。>
愛猫のフネがガンに冒され、転移が始まっていた。一番高いかんづめを買ってきて、手から食べさせる。二口ほど食べたフネは部屋の隅に行ってじっと静かにしている。
<畜生とはなんと偉いものだろうー静かな諦念がその目にあったー私は毎日フネを見て、見るたびに、人間がガンになる動転ぶりと比べたー私はこの小さな畜生に劣るー私はフネのように死にたいと思った。人間は月まで出かけることができても、フネの様には死ねない。月まで出かけるから、フネの様には死ねない。フネはフツーに死んだ>
わたしは読みながら、訃報を耳にしてから、初めて泣いた。
<私がいなくても、世界は何も困らず、ノアの洪水になったら、神様が高いところから、「『絵本作家』はいらなーい。海に落としなさーい」という>
そんなことはありません。アライさんもアケミさんもマコトさんもソウタくんもみんながあなたを愛し、あなたのために泣いたことでしょう。
佐野洋子さん、あなたが大好きでした。あなたに生きていてほしかった、生きるということがどういうことか、あなたはしっかりと教えてくださった。
ありがとう、佐野洋子さん。
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