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2010年11月 5日 (金)

バリオーニを聴く

イタリア文化会館アニェッリホールは通路までもアルミの椅子が列をなし、超満員の盛況であった。

なんでもイタリアの一番人気のシンガーソングライターという大変なひとが日本で開くただ一回のコンサートだとか、チケットはすぐ完売、そんなことを知らなかったわたしは、買えるチャンスがあったのに逃してしまったことを悔やんでいたら、メールで、追加チケット販売の知らせがきて、夢かと、とびついて購入したのだった。

チラシの写真はちょっと渋い二枚目だが、実物はハリソン・フォードとロッサノ・ブラッツイを合わせたような甘いマスク、すらりとした長身、声はハスキーがかったバリトンで、少々違和感があったが、これがすごい声量。

ピアノとギターを交互に弾き歌いし、しかもトークもとぎれず続き、休憩なしの二時間。

聴衆は熱狂的なファンが多く、手拍子をとったり、声をかけたり、一緒に声を合わせてうたったり、もうホール一体が酔いしれて熱気があふれかえっていた。

だが二十数曲聴きながら感じたのは、ほとんど全てがバラード調、出だしがゆるやか、やがてクライマックス、しばらく沈んで、最後は歌い上げ、声量出し切りに声を張り上げるという、モノパターン。

このバリオーニ節にぞっこんという向きにはたまらないのだろうけれど、今度も同じ調子の曲かとわかると、冷めて、思い出だしてしまうのだ。若いときに夢中になったシャンソンの数々を。

モンタンのひまわり、グラン・ブルバール、枯葉、ベコーのメケメケ、風船売り、遥かなる国から来た男、はずむようなリズムあり、詠唱あり、エレジーあり、変化に富んだメロディー、歌いながら、演じるような表現。

語りは余り無かったけれど、あのころ彼らの001

曲目そのものが豊かな語りであったのだ。

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