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2010年11月に作成された記事

2010年11月30日 (火)

子孫ってどんな?

久しぶりに書店に入った。

佐野洋子さんの息子さんはどんな挿絵を描いているのだろう。

作者は背表紙に出ているが挿絵画家の名まで書いてある本は少ない。店員に調べてもらってようやく一冊見つけた。

『けんけんけんのケン』

男の子が犬をお兄さんと思って暮らす話。
いい絵だ。ラインがはっきりしていて、犬とじゃれあう姿が可愛く、生き生きとしている。しかも男の子の顔がいい。

これは売れっ子になるだろう、この人の絵をまた見たいという気持にさせる技がある。

佐野さんは『役にたたない日々』の中で、息子さんのことを<子孫>と書いている。
モモちゃんという感情の激しい友人が来たときのエピソードだ。
<「お邪魔してます」モモちゃんは正しい挨拶を四十位年下の男にする。「あ、こんにちは」子孫はモゾモゾ云う。モゾモゾでも言うのはこのごろである。ちょっと前までは「ウッ」と云うだけだった…>
そのあといろいろ会話する場面があって、佐野さんが感想を言う。
<「あんたえらいね。あんな右翼バアさんと話出来て」と云うと「俺は人を見て、話をあわせられるの。あんた
は、根生やして動かないから、自己中心的なの」とからんできた>

佐野さんはシングルマザーでこの息子さんを育てた。正直に感情がほとばしる母親との生活は息子さんにとっては試練だっただろう。
でも彼女の愛情も藝術も一番深く理解していたのも彼だったのではないか。
それを彼の描くものに感じた。

2010年11月28日 (日)

続忘れられぬ風景

ヴィテルボから車で30分、ボーマルツォ(Bomarzo)という怪獣庭園がある。

16世紀の貴族オーシーノ公が奥方を驚かせようと造ったバロック庭園。

夏はピクニックでにぎわうと言われるだけあって、自然豊かな広々とした敷地、

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ギリシャ神話に登場する怪物たち、神々など、あっと驚く彫像がいっぱい、それにピサの斜塔のような傾いた建物などもある。

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2010年11月27日 (土)

忘れられぬ風景

なくしたCDは出てこなかった。

イタリア語の授業で話したら先生が言った。イタリア人が大勢いたんじゃない?

11月の末、この時期に見た知られざるイタリアの名跡を思い出す。

チヴィタ・デイ・ヴァーニョレッジオ。

ヴィテルボのスザンヌのところにホームステイして車で連れていってもらった。

今なお風化が進んでいる死にゆく町とも言われるところ。

天空にそびえているあいだにぜひ見たかった。

幸いにも抜けるような青空の日で、車の通れない300メートルの道を歩くのも苦にならなかった。

いまも数世帯が暮らしているという場所。ネコもいたしバールもあった。

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2010年11月25日 (木)

感動余話

ジョヴァンニ・アレヴィ、休憩なしの弾きまくりおよそ80分、プラスアンコール3曲。

始まるまえにすでにCD一枚を買い求めてはいたが、またオケ付きのを買いたす。

サインをもらおうかな、どうしようと列を見ると、すでに数十人が並んでいる。それも若い女性ばかり。

日本をテーマにした素晴らしい曲をありがとう、耳の中でまだあなたの音が鳴っていると、イタリア語で言いたかった。

でも風邪が治りきっていないのだ。調子にのってここで無理をしてはいけない、と自分に言い聞かせ、二階のトイレに行ってから、表で待っていたタクシーに乗る。

トッパンホールは駅までかなりの距離がある。しかも地下鉄の乗り継ぎが、階段が多く、難儀なのだ。春日に出て三田線一本で帰ろうと思った。

タクシーを降り、地下鉄の入り口を捜そうとしたとき気づいた。

CDの袋がない。斜めがけのバッグのほかに小ぶりの手提げを提げていてそこに入れたつもりだったのに。トイレに置いてきたか、または、タクシーの中だ。

どうしよう!

あきらめようかとは思ったが、まだ9時まえだったので、もう一度タクシーでホールに戻った。

トイレにも遺失物係のところにもない。

先ほどのタクシーと同種の車が待っていたので、乗った時間を告げて、問い合わせてもらった。明日の朝にならなければわからない、と言う。連絡先を書いて渡し、帰路につく。

こういうバカをする年齢なのだ。

心ここにあらずほどに感動していたということでもある。

帰宅して夫に話し、娘に電話したら、同じことを言われた。

その程度で済んでよかったじゃない。

ジョヴァンニ・アレヴィ ピアノソロ コンサート

001 実物は想像とちょっと違って、体格はいいのに少し猫背で、日本語で始まった挨拶もはにかみながらの笑顔、きっとやさしい人なんだな、と思った。

だがピアノからはじけ出る音はすごい。

この天才の頭の中には美しい音の組み合わせ、和音、フレーズの全てが詰まっていて、テーマにぴったりのこれ以上ない効果的なメロディを即座にかたちづくるのだろう。

中でも各種の列車が整然とスピード感を保ちながら行き交う風景が目に浮かぶような<東京駅>という曲、事故で片手を失った友に捧げるという、右手だけで演奏された曲、そして<バッハの夢>という変幻自在なバッハのヴァリエー^ションに胸をゆさぶられた。

プログラムの解説者が、ジョヴァンニがパルマの公園の野外コンサートの舞台で音ならしをしていたら、公園で遊んでいた子供たちがいつのまにか踊りだし、頭上にとびかっていた小鳥たちが輪になってさえずりだしたというエピソードを語っていたが、その情景がたやすく目に浮かんだ。

パルマのその公園のベンチでパニーニをほおばったことがある。二月の戸外なのに、そうしたかったのだ。

イタリアはそういう奇跡のような光景が生まれるところである。

2010年11月24日 (水)

聴く効果

鼻の奥がむずむずしてくしゃみと鼻水が出続ける。身体もだるい。

幸いこの三日間は予定なし。寝床にもぐっていることにする。

こういうときこそ、音楽を聴こう。

選んだCDはバレンボイム演奏のメンデルスゾーン、無言歌、親しみやすくて、耳にやさしいメロデイがバレンボイムならではの表現力で深い感動を呼び起こす。

そしてアンスネス演奏のシューマンのソナタ、もの憂い出だしからやがて華麗な和音がずしんと胸に響く。

最後にジョヴァンニ・アレヴィ。

そう、トリノ滞在のときにテレビで見たのだ。インタビューされていた、この哲学者にして作曲者、演奏者の若者、ピアノを弾きだしたとたん、耳が吸い寄せられた。これはすごい、これこそ聴きたかった曲、クラシックにポップスやコンテンポラリーを取り入れた曲想。

聴き疲れしない名曲でたっぷり癒され、元気が出てくる。

起き上がって新聞を読みはじめたら、ええっつ、ジョヴァンニ・アレヴィ、日本に来ているではないか。

明日しかないチャンス、どうしても行きたい。

電話かけまくってチケットゲット。

2010年11月22日 (月)

気が張りすぎて

先週は毎日外出した。

半ばから喉があやしくなった。

六十代のときは一発で効いた薬をのんだが、ダメ。のどヌールスプレイなるものを噴射しつつ、しのぐ。

金曜はもっともハードな日。告別式のあと、まもなく建築にかかる、終の住み家のキッチン、水まわり器具選びに新宿のショールームで二時間を費やす。

つきそってくれた係りの女性もマスクをしていた。風邪ですか?の問いに、喉だけなんです、としゃがれ声の返事。でもとても優秀でてきぱきと案内してくれる。

若いんだ。わたしはこうはいかない。

帰宅して4時、7時からバスで10分ほどのホールに孫娘をつれていかなければならない。中学のオーケストラ部でトロンボーンを吹いている彼女のためにチケットを購入した金管楽器だけの<シエナブラス>というコンサート。

この状態ではレストランでゆっくり食事は無理かも、と思い、彼女の好きな<すいとん>を用意。とりあえずの、腹ごしらえには夫が得意のサンドイッチをつくってくれる。

コンサートはトークをする人がリーダー格のトロンボーン奏者だったので、孫娘は大満足していた。

喉の痛みはとれたので、週末もイタリア語レッスンと、ブリッジのトーナメント。

72歳、やりすぎの一週間、ついに鼻水がぼたぼた落ちる状態となってドクターのところへ。

2010年11月19日 (金)

天に召されて

色とりどりの花に囲まれた遺影はとても72歳には見えなかった。

黒い豊かな髪、高齢のたるみのまったくないくっきりとした瞳。、襟ぐりのあいた華やかな色の夏のブラウスは、初めて知り合ったころの、四十代の彼女が好んでいた趣味のもの、告別式の憂いが消えそうになるほどに惹きつけられた。

天は二ぶつを与えずというが、二ぶつも三ぶつも与えられている、稀なひとだった。

美しく、賢く、いつも冷静で、取り乱したり、うろたえたりしたのを見たことがない。三十年前に国際婦人クラブで知り合ってから、学ぶことの多い交友だった。

彼女の英語は語彙も豊富で、外国人メンバーのまくしたてるような英語に、まったくひるむことのない堂々とした語りで、頼もしかった。英検の一級も、日本語教師検定も難なくパス。余暇でしていた、陶器の絵付けや、水彩画も立派なものだった。そして何よりも忘れがたいのは、家に招かれたときの美味な料理ともてなしである。

この八月に電話で話した時、余命二ヶ月と宣告されたと、淡々と語った。

告別式で焼香が済んだあと、列席した友人たちの話題となったのは、あの遺影が九月に撮られたということだった。

この世との別れが近いことを知りながら、撮った写真。それがこれほどまでに美しいとは、彼女の美学のエピローグと言えよう。

自己実現のまえに、結婚が課題であった、わたしたちの時代の終わりがだんだんと近づいてきている。

2010年11月17日 (水)

ブログ用語に迷う

ローマ在住の若い友人でパソコン名人R子さんさえ、ブログが続かず、三日坊主に終わったと語っていた。

メカに弱いわたしがここまで続けられたのは、毎日いろいろな思いがモクモクと湧き出し、それを生きている証拠として書き残しておきたいという、強い欲求に支えられたからこそだと思う。

そんなの、認められたい症候群さ、とうちのジイサマは言うのだが。

それにしても、日本語の用語はわかりにくい。英語ならsend、イタリア語ならinviaで統一されている、記事を送信するときの用語、ブログサービスによって異なるのである。

投稿、登録、送信、保存など。

送信あるいはずばり、投稿が一番わかりやすいと思うのだが、このココログも保存を採用していて、はじめはピンとこなかった。はたして画面に出ているのだろうか、と不安になって、それこそ、<確認>を何度も。

ココログで使われている確認という用語も他のサービスでは修正、プレビューとなっている。わたしにはプレビューが好ましい。

ココログで投稿記事を確認して、ああ、これがプレビューなんだと納得し、そのまま前画面に戻るをクリックしたら、記事が消えてしまい、あれ~っと叫んでしまったこともある。

とかく日本語のマニュアルはわかりにくい、という原因もそんなところにあるのかも知れない。

英語は類語が少なく、マニュアルに向いている。

編み物などでもそうだ。二段ごと、二段おき、に混乱することがあって、英語のほうがわかりやすいと思った経験がある。

2010年11月15日 (月)

成功メニュー

テレビのドラマはほとんど見ないが、朝の連続テレビ小説はこのところ欠かさず見ている。

倍増している高齢者人口を意識してのことか、前作の『ゲゲゲの女房』のときもそうだったが、今回の『てっぱん』でも高齢者の役どころはすこぶる重要になっている。

主役の<オノミッチャーン>より、祖母である田中荘のおばはんの出番のほうが多いような気さえする。

話のすじより、彼女が毎回つくる料理に目を奪われている。最近のアジの南蛮漬けと、のっぺ、という郷土料理を食べてみたくてたまらなくなった。

魚ぎらいでケンチンなども好まない、ヘンクツな夫は無視して、なにがなんでもつくるぞ、と決意。シングルマザーの娘一家に食べにこない?と声をかける。二つ返事でOKがとれた。

「のっぺ」のレシピはインターネットでゲット。南蛮漬けは経験ありだが、アジより、小魚が食べたかったので、シシャモにする。「のっぺ」にはキノコ類、コンニャク、人参、サトイモ、紅カマボコ、鶏モモ肉、ネギなどを入れるので、出し汁も使うが、じっくり煮るとなんともまろやかな美味となる。

中学生の孫娘はうわ~っつ、おいしそう、と言い、娘はこういうのが食べたかったのよ、と相好をくずす。

夫はイジケムシで味噌汁とメンタイと漬物にしか箸をつけない002_2

このメニューに寄せ豆腐の冷奴をつけたら、取り合わせは完璧で、おいしい、おいしい、の連呼、気持もおなかも大満足、快感であった。

2010年11月14日 (日)

針しごと

麻布十番のBlue & Whiteのディスプレイに目を奪われていた。

藍色と白に統一された商品の中でも、その日、際立っていたのが刺し子の作品。

単純な縦横の針目に斜めが加わり、その交わりにまた小さな針目を出すと花のようになる。

その変形の可能性は限りなくあって、それがときにはモダンで洗練された藝術のような美しさをかもしだす。

白と藍、そしてその濃淡、くっきりしているがゆえに、凛とした格調がただよう。

ため息をついたら、隣でもため息が聞こえた。

わたしの先生の作品 なんです。

ええっつ?どちらで習っていらっしゃるんですか?

場所である区の名前を聞いて、またええっつ?わたしも今そこに住んでるんです。

そのあと、一ヶ月に一度という講習会の日時を訊きだす。店の人もあきれていたかも。

先生は白髪のほぼ同年代でほっとした。大島紬のラインに赤の刺し子を一面にほどこしたヴェストをお召しだ。

まずは麻の葉もようの針刺しを習う。針目をそろえるのがけっこうむずかしい。

小学校の運針で一番のろかった自分を思い出す。

だんだんに慣れてはきたが針目に糸を通すのがまた難儀。001

初めはみんなそうなんですよ、とお仲間になぐさめられる。

単純作業に没頭する二時間はゆったりとしてそれでいてわくわくした。

手を動かしながら、手持ちの藍のバッグや白地のヴェストに刺し子をほどこしたら、さぞセンスアップするだろうと想像する。

しゃれごころはまだ当分色あせそうにない。

2010年11月12日 (金)

見とれる

久しぶりにプールに行った。

頻繁に通っているオバサン族を見かけるが、わたしは薄くなりつつある頭髪のこともあるし、もともと身体を動かすことが好きでないので、ついつい足が遠のく。

更衣室でショートカットの白髪のひとの水着姿に見とれた。

「まあ、均整がとれてらして、すばらしいですね。わたしなんか、甘いもの好きなんで、余分な肉がいっぱいついてて恥ずかしい…」

「あたしも甘いもの好きなんですよ、いまアンコロモチ食べてきたばかり」

「失礼ですけど、おいくつですか?」

「七十になりました」

「お元気なんですね」

「でもね、くも膜下、したんですよ」

アンコロモチ食べても、摂生の仕方が違うのだろう。水の中でもついつい彼女のほうに視線が行く。

同年代の輝いているひとを見ると、励まされるようでうれしくなる。

それにしても、プールや浴場などは不思議な場所だ。衣服を脱いでしまうと、無防備になって、知らないひとにでも、気軽になんでも話してしまうことがある。

プールで男同士が気軽に話しているのを見かけることがない。

女性特有の現象なのかも。

2010年11月10日 (水)

佐野洋子さんありがとう

覚悟していたとはいえ、訃報はずじんと胸にこたえた。

佐野さんとは同い年である。

『100万回生きたネコ』はわたしと娘と孫たちの愛読書であった。幼い孫たち二人に読みきかせながら、ラストちかくでいつも感動で胸がふるえ、涙で声をつまらせていた。無駄な言葉が一切ない、語りがいいし、あの力強いオスネコの表情、やさしくて可憐なシロネコの姿、脳裏にきざみこまれている。

久しぶりに『神も仏もありませぬ』を開いた。北軽井沢での日々の生活の中に、佐野さんの声が聞こえてくる。

<いつ死ぬかわからぬが、今は生きているー生きるって何だ。そうだ、明日アライさんちに行って、でっかい蕗の根を分けてもらいに行くことだ。それで来年でっかい蕗が芽を出すか出さないか心配することだ。そして、ちょっとでかい蕗のトウが出てきたらよろこぶことだ。いつ死んでもいい。でも今日でなくてもいいと思って生きるのかなあ。>

愛猫のフネがガンに冒され、転移が始まっていた。一番高いかんづめを買ってきて、手から食べさせる。二口ほど食べたフネは部屋の隅に行ってじっと静かにしている。

<畜生とはなんと偉いものだろうー静かな諦念がその目にあったー私は毎日フネを見て、見るたびに、人間がガンになる動転ぶりと比べたー私はこの小さな畜生に劣るー私はフネのように死にたいと思った。人間は月まで出かけることができても、フネの様には死ねない。月まで出かけるから、フネの様には死ねない。フネはフツーに死んだ>

わたしは読みながら、訃報を耳にしてから、初めて泣いた。

<私がいなくても、世界は何も困らず、ノアの洪水になったら、神様が高いところから、「『絵本作家』はいらなーい。海に落としなさーい」という>

そんなことはありません。アライさんもアケミさんもマコトさんもソウタくんもみんながあなたを愛し、あなたのために泣いたことでしょう。

佐野洋子さん、あなたが大好きでした。あなたに生きていてほしかった、生きるということがどういうことか、あなたはしっかりと教えてくださった。

ありがとう、佐野洋子さん。

2010年11月 9日 (火)

ブリット余話

たしか、サンフランシスコの坂のすごいカーチェイスの映画よね、とわたしが言うと、滑走路の追いかけっこがすごいやつさ、と夫。

二人の記憶が異なるまま、テレビ画面を並んで見入った。

ラストちかく、マックィーンが止めをさすように、拳銃をかまえるかっこいい姿の映像はしっかりと頭の奥にきざみつけられている。

話の筋以外のことがやたらと目につく。

マックィーンがTVディナーを数個かかえこむところがあったからだ。ああ、なつかしい、あれ、おいしかったんだけどな、今はもうないのかしら?

夫もほかのことに目が行っていた。

愛人の女性が乗ってる車、あれ、カルマンギアーだ、ほら、プアマンズポルシェってやつさ。つまり本物のポルシェが買えない、貧乏人が買うしろもの。

茶色とネイビーの取り合わせなんて考えられなかったよな、確かにそう。

でもマックィーンのブルーの目を濃くしたようなセーターと彼の髪の色を濃くした茶のジャケット、この刑事の私服はなんとも言えない。よきアメリカ時代のカラーコントラスト。

そして坂のカーチェイスも滑走路のチェイスも、今見ても決して古さを感じさせない、ド迫力。

二度目に一緒に見る昔の映画は老夫婦を少し円満にしてくれる。

2010年11月 7日 (日)

半世紀の重み

大学卒業50周年の会がホテルで開かれた。

さまざまに加齢した、およそ二百数十名が集まる。髪も白、グレイ、栗色、混じりなど、服装もスーツが多く、黒やネイビー、茶など、地味めだったので、くすんだ熱気がたちこめていた。

杖をついているひと、腰の曲がったひと、背中が丸くなっているひと、顔色の冴えないひと、きょうまで体調を保つことにかなり神経を使った自分も含めて、こういう記念行事に来るのはこれが最後だという気持が共通していた。

アトラクションはバンドを引き連れたシャンソン歌手の歌。

彼女は高校時代、スケートの選手で、どちらかというと太めだったのに、スリムになって、声もよくのびる響きのいいアルト、この思いがけない転身にも50年の重みが伝わってくる。

いっしょに歌いましょうとリードする曲がなんと『愛の賛歌』、あなたの燃える手で~を灰色女群団が合唱するのは不似合い、笑いをこらえるのに苦労する。

最後にピアノの伴奏で歌った校歌は、一同年齢を感じさせない声の張りがひびいて気持よく歌いきった。

科ごとに別れて二次会となったのだが、もうひとつ気持が乗らない。卒業までの二十年より、その後の五十年にほんとのわたしがある。

早めにホテルを出て、駅まで歩く道で、きょうの会の記念に贈られた手提げをさげたひとと目が合った。

何科でしたか?という問いから、偶然、当時東大の中屋健一教授を招いてつくられたアメリカ史の講座をとっていた同窓のひとだとわかった。

共通の糸がほぐれるように、次から次へと話が続き、別れがたい気持が伝わり、駅のカフェで軽食を共にし、互いの五十年をじっくり話し合う。

こういう出会いもあるのだ。

中屋先生のお導きだったのだろうか。

2010年11月 5日 (金)

バリオーニを聴く

イタリア文化会館アニェッリホールは通路までもアルミの椅子が列をなし、超満員の盛況であった。

なんでもイタリアの一番人気のシンガーソングライターという大変なひとが日本で開くただ一回のコンサートだとか、チケットはすぐ完売、そんなことを知らなかったわたしは、買えるチャンスがあったのに逃してしまったことを悔やんでいたら、メールで、追加チケット販売の知らせがきて、夢かと、とびついて購入したのだった。

チラシの写真はちょっと渋い二枚目だが、実物はハリソン・フォードとロッサノ・ブラッツイを合わせたような甘いマスク、すらりとした長身、声はハスキーがかったバリトンで、少々違和感があったが、これがすごい声量。

ピアノとギターを交互に弾き歌いし、しかもトークもとぎれず続き、休憩なしの二時間。

聴衆は熱狂的なファンが多く、手拍子をとったり、声をかけたり、一緒に声を合わせてうたったり、もうホール一体が酔いしれて熱気があふれかえっていた。

だが二十数曲聴きながら感じたのは、ほとんど全てがバラード調、出だしがゆるやか、やがてクライマックス、しばらく沈んで、最後は歌い上げ、声量出し切りに声を張り上げるという、モノパターン。

このバリオーニ節にぞっこんという向きにはたまらないのだろうけれど、今度も同じ調子の曲かとわかると、冷めて、思い出だしてしまうのだ。若いときに夢中になったシャンソンの数々を。

モンタンのひまわり、グラン・ブルバール、枯葉、ベコーのメケメケ、風船売り、遥かなる国から来た男、はずむようなリズムあり、詠唱あり、エレジーあり、変化に富んだメロディー、歌いながら、演じるような表現。

語りは余り無かったけれど、あのころ彼らの001

曲目そのものが豊かな語りであったのだ。

2010年11月 3日 (水)

人生を終える場所

早朝、義姉から電話があった。

「ホームに入りました」彼女の最終選択である。

二ヶ月まえ、ショートステイで一ヶ月を過ごしてみて気に入ったのだという。そのとき夫と面会に行ったのだが、わたしにはそこが、消毒液と薬品の匂いがしない病院のような印象を受けた。

ガラス張りの食堂の中はしずまりかえって、話し声もしないし、笑顔も見当たらない。入り口に折り紙細工が飾られていて、七夕の願い事の短冊なども展示されていた。

義姉は大学で教鞭をとり、翻訳書も多数ある知性派で、クラシック音楽を愛好し、豊富な知識にあふれた会話を交わしあう友人も多かった。そういう人がここで満足できるのかしら。

ところが、彼女はゆったりと居心地よさそうして言ったのだ。ここは未亡人天国よ、と。そういえば七夕の願い事の短冊に「今夜も三郎さんに会えますように」というのがあったっけ。

胃を摘出し、40キロに満たない体重で、買い物に出かけることもおぼつかなくなった身では、ケアが行き届いていることで満たされたのかもしれない。

わたしも同窓生に開放された夏季寮で、プログラムが決まった生活をする数日が心地よいと感じることがある。

あと、十年もしたら、ずっとそういう生活をしたいと願うようになるのだろうか。

義姉に訊いておきたいことがいっぱいある。できるだけ時間を見つけて会いにいこうと思った。

2010年11月 1日 (月)

見つからない

わたしが朝刊を読んでいるかたわら、夫がデスクの引き出しをあけたり、閉めたりしている。

ガサゴソ、ガサゴソ、がずっと続いている。

あなた、なに探してるの?

請求書探してるんだけどね、おかしいなあ。

十分ぐらいして、やっぱりここだったか、と言った。支払いに行こうと思って、ジャケットのポケットに入れてあったのだという。

無意識の行為を思い出すのに、時間がかかるのだ。

人のことは言えない。きのう、ブリッジクラブから帰る途中で、酒店に立ち寄り、シードルを買った。小銭入れを出そうとバッグの中を探るが、どこにもない。

えっつ、落したんだろうか、ともかくあんまり待たせるわけにもいかないので、財布から千円出しておつりをもらった。

歩きながら、またバッグを探る。やっぱりない。携帯でブリッジクラブに電話した。係りの人が出てくるまで、またガサゴソ。

あった、あった、小銭入れは忽然と出てきた。でも落としていたとしても不思議はない。ほかのことに気がそれているのときがあぶない。落としたり、おいてきたり、がありうるのである。

義母が家のカギをとりだそうとしてガサゴソ、ガサゴソ、いつまでもさぐって、探しているのを、軽蔑のマナコで見つめていたのに、わたしもいま、おなじことをしている。

実母はある日、もうなにもかもどこにあるのかわからなくなっちゃった!と悲鳴のほうな声で電話してきた。わからなくなっちゃったことがわかっただけでも、そのときはまだよかった。

わからなくなっちゃったことが、わからなくなったまま、数年が過ぎたのである。

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