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2023年11月27日 (月)

「ポタージュ」健在

良く通っていたその店は、自分が健康そのものだったときで、夫もまだ介護を必要としていないときだった。ブリッジの一日の試合を終えて、帰り、五時過ぎによってみると、まだ夜のお客が来ておらず、その時間をおしゃべりしながら、待つ、という時間を楽しみにしていた。メニューはポタージュスープと手焼きのパン、それに手作りの野菜料理一皿と、手作りのジュース、クッキーなどがついて、ちょうど軽い夕食と言うメニューがぴったりの、しつらえで、ほとんど毎週のように通っていたのだ。

そこから直行のバスがなくなって、夫の介護や私の病気やらで、一年、コロナ禍が始まって三年、およそ四年、行くことがなかった奥沢の店、行かないで過ごす数年が過ぎた。いつも頭の中にそこで話したこと、買ってきたパンの温め方、温度など、ことあるごとに思いだすのだが、行くことはなかった。

きょう、いつものように泳いで、さて、どこに行こうかと迷ったとき、まず、自由が丘のお蕎麦屋さん、「さらしん」の引っ越し場所を確かめること、奥沢に続く通りに見つけたのだが、きょうは月曜で休み、とわかって、そのまま、奥沢の駅まで歩いていた。

そして思ったのだ。

あの店はあるのだろうか、と。

ちょっと胸がどきどきしたが、京樽の角を曲がり、一軒一軒、確かめ、その小さな「potage」と言う字を見つけたときのうれしさ、「あった!」と思わず叫んでいた。

客はまだ来ておらず、12時まえだったが、どうぞおかけください、とちっとも変っていないご主人が言った。私は病気のことを言って、家に起こった、変化のことも残らず話し、家の事情が、自分が楽しんで通うということをやめさせてしまったということを知らせた。

久しぶりに食べるカブのスープ、パンはクルミパン、それにクッキーや食後の甘味がつき、紅茶の飲み物、主の得意のキャベツの漬物などがついて、出されたあの味。もっと早くにくればよかった。でもそれは以前にもましておいしく、美味だった。

また来てみよう、今のこの時期、前と変わらず、以前にも増していい味の、この小さな店を維持するのは大変らしい。

でもよかった、来られて。

わたしはクッキーやパンなど。千円ぐらい買って、また来ることを約束したのであった。

2023年11月13日 (月)

或る日の月曜日

夫がデイサービスに行ってくれる日、このところ調子がよく、自分で持っていくものをととのえて、出かけてくれた。

わたしは夫が出るのと同時ぐらいに、家を出て「せせらぎ」のモーニングを食べに行く。そして田園調布で降りて、タクシーを待つ。

きょうは運よく早めに一台やってきた。行先は緑が丘小学校のプール、九時から一般開放がある。

三十分、泳いで、気持ちよく表に出る。

十時半、さて、どこに行こうか、今日食べるものを調達しなければならない。そうだ、久しぶりに紀ノ国屋に行ってみよう。ほとんど一年ぶり。

自由が丘からバスが出ていたのに、それがなくなってしまった。交番でバスの行方を尋ねる。

ひまそうな二人のお巡りさん、古いよれよれの地図を出して、バスはなくなっちゃったよ、と言った。

でも、学園通りに行くバスなのよ、なくなるわけないでしょう、と私。

この先渋谷からくるバスが通る通りに出てみたら?とお巡りさん、ほかの通りを通ってるかもしれない、怪しい情報だが、それ以上は聴きようもないので、心当たりの通りまで歩いた。三つ目の停留所,八中前、というところに人が待っていたので、聞いた。彼女も紀ノ国屋まで行くとかで、安心した。歩いた方が速いかも、とか言われたけれど、私の足はもうヨレヨレ、ようやくバスが到着。

紀ノ国屋は健在。美味しそうなものばかり売っている。とりわけ紀ノ国屋特製というお弁当類がすごい。わたしはフィンランド風のサンドイッチと紀ノ国屋特製のコーヒーゼリー、紀ノ国屋特製パエリア、ほかにも紅ショウガ、油揚げ、トマト、など購入。

帰りは自由が丘行きばかりやってくる停留所で、待ったらすぐにバスが来た。

わたしはまた、あのひまそうなお巡りさん、のところに立ち寄って言った。「あのね、バスはこの目の前から出てるのよ、今度誰か訊いたら、恥かかないように、おしえてあげる」

「おかあさん、目黒に行くっていったでしょ」「紀ノ国屋って言ったじゃない」あんたから、おかあさん、なんて言われる筋ない…

押し問答は疲れるので、電車に乗るべく足を急いだ。ったく、もう…

 

2023年11月 7日 (火)

夫の急変

夜中に鈍い物音がしたので、階下に降りていった。夫が車いすから落ちていた。

息子を起こして車椅子に座らせてもらった。それが二度続いたので、トイレに車いすで行くのは無理だからと言って、枕元の簡易トイレを使うように、説得した。

翌日、足が猛烈に痛いと言って、マッサージの予約をしていたのだが、中止してもらった。でもわざわざ来てくれたので、診てもらうと、足がかなり腫れているというので、氷で冷やし、やわらか氷まくらをしばらく当てていたら、それがよかったらしく、痛みはおさまった。

その日は担当医の往診がある日だったので、彼が、お尻のあたりを診てほしいと言ったのだけれど、先生が見えるまで、待ってと言ってしまった。

わたしも、夜中の疲れと、それに続く対応とでよれよれに疲れていて、お尻を診るどころではなかったのだ。

先生はその前にきたLEの看護師の報告を聞いて必要なものをすべて用意していてくださった。なんとお尻に床づれができているというのである。

夫はあおむけに寝ることが多いので、このところ、昼間も寝ていることが多く、床づれまでは、気づかなかった。かなりひどいらしいのだ。

先生は大き目の真ん中に薬が入った絆創膏を張ってくださって、薬が効いてくるまでこのままで、とおっしゃって帰られた。

それが効いたらしく、痛みはおさまったが、四日先のデイホーム行きは無理だろう、と思って覚悟した。

タバコはあいかわらず、吸ってはいるが、このごろ減ってきているような気がする。

デイホーム行きはとても無理とわかって、自宅で休んだ。

わたしは朝の六時から夜の八時まで、安眠もせず、頑張っている。

食事はさすがに手作りばかりとはいかず、はじめてウーバーイーツなるものを利用した。

味噌汁やスープはつくるけれど、おかずは買ってくる方が多い。

そういうときがきたのだ。

一週間がたち、しぶとい夫は痛みがおさまったので、頑張ってきょうはデイホームに行ってもらった。

玄関の四、五段の階段が大変だった。迎えにきたひとに支えられながら、後ろから見ていると、足が着地するまでの時間がかかる。可哀そうな足。それでもデイホームに行ってくれるのは私のため。

大変な老後を息子の力を借りつつ、二人で生きている。

 

 

 

2023年10月28日 (土)

アンスネスとリソール

七年ぶりに見るアンスネスは正に王者の風格、彼の理解するシューベルトも、初めて紹介されたドヴォルザークの作品も、最初に登場した二十年まえ耳を奪われてから、ずっと、ピアニストが成長し続けるのちに体得した音を、聴き手が完全に受け入れる素晴らしさを心の底から感じられる表現力に、満足しきってうなずいた。私はこの人の醸し出す音ををずっと聴き続けてきたのだ、と。

今から16年まえ、わたしは、アンスネスが監督する、リソールでの音楽祭に友人三人と共に、出かけたのであった。

ノルウェーへの旅は簡単なものではなかった。大きな荷物をかかえながら、二つのバスを乗り継いで、ようやく着いた先の家は凸凹のすごく急な二十段の階段付きの家、但し家の中は若い新婚夫婦でも住みそうなインテリア、広いバルコニーもある。急階段は予想していなかったが、今更すべてを変えるほどの気力もないほど疲れていたので、妥協する。  

リソールはきれいなところだ。室内楽がよく似合う街。店も贅沢ではないが、センスがあってしゃれている。但し、すべての表示に英語が少なく、ノルウェー語ばかりなので疲れる。それでも、階段に慣れ、それなりに居心地よくなってきた。あとの三人(夫妻とその親友の女性一人)は外食を好んだが、わたしはこの時とばかりにひとりでスーパーで買い物をし、お米を探し、沢山の種類の中から美味しい小さな袋のものを選び、買ってみた。帰ってから、一人でご飯をたき、ピラフをつくり、フィノッキオという野菜を入れたピラフにして、デザートにイチゴを食べて満足する。

そのあと、コンサートの情報をえようと出かけたとき、バスに乗らずに帰る方法を若い男性から教えてもらえたのはラッキーだった。

オープニングナイトの日は一日じゅう雨、会場は中心部の教会、長蛇の列に並んで、後ろの端の方の席がやっととれた。室内楽が正にピッタリのスペースに、chamber music が美しく響き渡り、正に小さい部屋で音楽を分かち合っているという、思いを深める。休憩のとき、帰りの交通情報を教えてくれた男性がカメラを片手に近づいてきて、新聞記者のクリスチャンだと名乗り、四人の写真を新聞にのせたい、と言ってきた。アンスネスとの写真もとり、あなたを追いかけて日本からやってきた,という話をすることができた。

二回目のコンサートは良い席に座れず、思い切って舞台の後ろの方に座る。アンスネスが若い才能を紹介する場にしているのを感じる。若い人のすぐ後で彼が弾く現代音楽、ソレンセン、響き渡るように、美しい音色、やはり実力の差を感じた。

新聞が出る。大きく四人の写真もよくとれて、記事もわたしたちの言ったことがはっきり発表されていて、皆大喜び。

夜のコンサート、最前列、アンスネスの独奏曲、ベートーベンの歌曲も、リスト編曲があるあのメロディーで、私の大好きな曲が聴けてうれしかった。

グリークの日、前列、左端の席、教会のベンチに長時間座る辛さがこたえる。アンスネスと、トルペスキの連弾が聴きものだった。息もぴったり、胸にずしんとくる響き、ハーモニーに魅せられ、CDを買い求める。

最終日、早めに出て、思っていたことを行動に移す。この一週間いつも座席が不満だった。一時間以上前に行ってもよい席にはすわれない。近隣の人たちの条件にくらべ、日本からはるばるやってきて老人四人、最後の最後くらい良い席を手配してもらえないだろうか?と。席の手配のエリックというひとに話そうと言ってもらえた。

そして夜22時からのコンサートでは、指定席がもらえて、初めてゆったりと音楽の中に埋没することができた。休憩のあと、アメリカ人の男性が英語でこの音楽祭の主旨を説明した。longingーあこがれー今更ながらにうなづける言葉だった。

最後のアンスネス、ラクリンのショスタコーヴィチメロディー、アンスネスの硬質で響きのある音を、いつまでも胸にきざみつつ、この夜を終えたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

2023年10月19日 (木)

メイ・サートン『総決算のとき』をスゴイ速さで読む

図書館で借りた、あと二冊のうちの、『総決算のとき』はもうパラパラとめくって終わりにしたいと思った。

それほどに前に読んだ二冊が重く、読み終わるのが大変だった。

ところがパラパラとはいかないほどに、三冊目が正に知りたい主題であったのだ。

総決算とは、人生の総決算で、主人公のローラは肺に二つの癌をわずらっていて、あと一年ももたない命と宣言されてしまうのである。

症状は徐々にひどくなったくる。その過程が医学的にも実にくわしく、述べられていて、目が離せない。しかも、彼女の病気を知ったひとが次々に現れてかわされる、会話が具体的で、心理の動きがまざまざと伝わってくる。

結局、以前の二冊は読み終わるのに、一週間ぐらいかかったのに、この本は三日で読み終えた。

母親はかつて社交界の花のような存在であったが、今は一人で老人ホームに入っている。母親より先にこの世を去らねばならないことを、娘だと認識できない母に知らせる。

母の姉妹たちに、真実を語り、彼女らの素性も明らかになるような設定、一番最後は自分の娘、女の子は男の子に比べてはるかに育てにくい。娘と母親との間に存在するあの緊張は何なのだろう、という疑問が語られるが、それが事実だとうなずいた。

死を前にした恐怖の原因は死そのものではなく、死んでいく過程なのだということを、わからせてくれる。

こういう主題に取り組み、それをいかに具体的に述べるか、物語的にも、語りが雄弁で、読者の心をわしずかみにするコツのようなものを、このひとは心得ている、それを随所に感じながら、読み進んだのであった。

2023年10月11日 (水)

メイ・サートンの小説『ミセス・スティーヴンズは人魚の歌を聞く』を読む

主人公は最愛の夫が亡くなってから、詩人になり、遅いデビューを果たした女性、成功した彼女に男女二人のインタビューアーが訪ねてくる。

記憶がよみがえり、夫を亡くした当時の、失意のあまり、入院していた時に彼女を再びよみがえらせた、ハロウェル博士とのエピソードは、胸を打つ。

「詩を目的にしたまえ、人間ではなく」と命じられる場面は忘れられない。

家に帰宅したとき、大量の手紙から一通を選びとって、たった一人、文通が続いていた級友からのもの、庭がナメクジで荒らされている、孫は白血病…会いたい、話がしたい、死んで会えなくなる前に…

誰も幸せなひとはいない、自分の現在は幸せなのだろうか、と問うところが印象的だった。

インタビューアーは孤独とさびしさの定義をしてほしいと、彼女に言う。「さびしさは自己の貧しさで、孤独は自己の豊かさよ」と言う答え。

サートンが「自己創造の天才」なのであって、絶えざる自己との闘いのあげくに開花する。

孤独を克服して生きる女は、死を超克して生きる女であるという、翻訳者の最後の言葉がこの物語をより豊かにしているように思った。

2023年10月 3日 (火)

メイ・サートンの世界

随分まえにメイ・サートンの世界を知らずにすましていたのは、小説の中に同性愛を告白したという部分に、衝撃を受け、それを知ろうとしないで読むのをやめてしまった。

今回「独り居の日記」を読むつもりになったのは、わたしのブログのコメントにメイ・サートンの文字を見つけて、このひとを読む気にさせるなら、と、図書館で見つけてもらった。

「独り居の日記」は素晴らしかった。独り、のことを書いているのに、背後に大勢との付き合いがある。その友人がまた魅力的で、個性的で、サートンの独りの生活を華やかなものにしていて、日記の広がりを大きくさせている。

同性愛など、気にならない。

もっと早く読めばよかった。でもまだ、間に合ったのは、コメントをくれた、sizuさんのおかげだ。

三十ぐらいの、ポストイットがはさんである。自分の感想も書いてあるのに、自分の字が読めない。病気の後、字が下手になった。感動して書くのだが、あとで読むと、何が書いてあるかわからない。

図書館の本だから、傍線は引けない。これは何とかして、本を手に入れなければ。

息子が熱を出して寝ている。その騒ぎで、すべてのことが遅れている。

サートンの日記には、女性が一人で暮らすということが、孤独を深めることにもなり、またそれを、自己を知らしめるチャンスにもしていて、日記の詳細さはその迫力になっている。

独り暮らしの気楽さと、孤独との両方が書かれてあり、ときには孤独に泣く日もあるとか。

彼女は文学形態の中では、詩を一番愛しており、全力で詩が書けるとわかったときの、幸福感はほかに比べようがない、という。そして書かれた詩はあまり本書にはない。詩として発行されたものへの、効果を図ったのか。

私個人としては、彼女の日記の文章が一番心に残った。あまりにも正直で、彼女が一番愛していた自然を育む心がそこここにあふれている、それが迫力となって、心に残る。

女性は毎日の仕事に終わりを自分で探して、宣言する。一つのことに専念するのがむずかしい。

大きくうなずくところである。

2023年9月25日 (月)

贅沢な内覧

わが家から、徒歩三分くらいのところに、高齢者向けのホームが建った。

この三年間、建築の騒音にプラス猛暑で、暑さは耐え難いものがあったが、我が家は通りを一つ隔てているので、お向かいに住んでいる方に比べれば、まだマシだったのかもしれないが、完成して、音がなくなってみると、何と静かになったことかと、驚くばかりだ。それにしても騒音ぷらす、それにかかわるひとの暑さに耐える耐久力がよく続いたものだ。顔を真っ赤にして交通整理のために、怒鳴っている中年以上の人たち。ずっと立ちっぱなしで、よく耐えていると思った。

今回の建物が建つまえは、五階建ての独身寮があったので、まず、それをこわすのが壮烈だった。壊しても壊しても終わらない、結局、機械には頼れない。最後はそれを扱う人の力なのである。

この地に越して六十年、我が家も二度建て替わり、規模も二階建ての中小住宅に変わっている。

外出してみると、内覧受付と言う旗がたっていた。そうだ、ホームに入る予算も、つもりもないけれど、中を観てみたい、内覧申し込みをしてみよう。

申し込みは混んではいなかった。翌日の四時、内覧することに決まった。

内部は思ったより、落ち着いた雰囲気で、派手なかんじはなく、通された部屋も、中庭の大きな樹木にトリの小さな小屋がかかっていて、見えなかったものが、目に優しく入ってきた。

中年の女性が一人だけ、案内役を務めたのだが、次次と示される、数字には関心がなく、うなずくだけで、先を急ぐ。

すでに二十二組の申し込みがあるのだそうで、前途悠々の体制に思われた。白木の床がさわやかである。部屋は必要最低限の広さ、軒が深くとってあるので、ゆったりした感じである。

ふいに今読んでいるメイ・サートンの著作の言葉が思い浮かんだ。「使い古された快適な椅子が一つもないような家には魂がない。私たちに求められているのは完璧ではなくて、人間的であることだという事実にすべて煮つめられる。人間的な家に入ってゆくことはなんという安らぎだろう!」

五階からの見晴らしは素晴らしかった。花火が二子だろうが、横浜だろうが、すべて見られるのだそうだ。

一か月48万円という金額は我が家には高すぎる。それゆえの、感想ではないのだが、わたしはやっぱりまだ住み込んだ家に住んでいたい、と思った。

2023年9月13日 (水)

R.シュトラウスの魅力

神は時として舞い降り、指揮者のタクトに入り込むことがある。そして優等生ばかりの、N饗のつまらない音楽を神の調べのように変えてしまう。

ファビオ・ルイージはそれが可能なひとだ。

ルイージを聴きにNHKホールに出かける。

数年ぶりのNHKホール、行き方がわからない。

電話をかけたら、停留所の名前にNHKホールはないので、ハチ公バスに乗って区役所前で降りるのが一番近い、と教えてもらった。降りたのはいいが、建物がどれだかわからない。左のほうに高齢者が集まっているのがわかった。前まで行って確かめる。そこがホールであった。全然変わっていない。S席は一階、といっても階段を十段ぐらい降りなければならない。S席を取る場合、階段を通らないですむところ、と指摘するべきかもしれない。

ファビオ・ルイージは十年ぐらいまえ、札幌のホールでPMFに招かれて、総監督をしていた。物静かなひとであったが、指揮ぶりは勢いがあって、素晴らしかった。彼は十年、注目の中にあって、今や名指揮者として名を馳せている。

そんな彼のプログラムはR.シュトラウスづくし、めづらしい曲目ぞろいだ。

第一曲「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」ホルンに始まり、クラリネット、いろんな楽器がその特徴を出してあばれまわり、飽きさせない。楽器の音の魅力にみせられ、音の引き出し方の面白さに酔う。

シュトラウスの魅力、思いがけぬ音の展開、だれも手をつけていない、クラシックでいて、新しい何か、を教えてくれる傑作であった。

2023年9月 5日 (火)

秋はもうすぐ

長い夏であった。辛い夏でもあった。

果たして、無事に超えられるであろうか。もしかすると、九月にはもう、耐えられず、倒れているかもしれない。

そんな恐れを常に抱きながらの、夏であった。

一日家にいて夕方買い物に出かければいい、それのできない夏であった。パン屋さんのパンが焼きあがるのが11時半、売り切れるのが、四時ごろ、少し早いときもある。ともかく、パンがまだ余裕があるときに間に合うように出かけるのは、日傘をさして出かけられる三時まで、また熱い、身体が燃えるようだ。まっすぐ歩くのにはよほどしっかりしていなければ、フラフラと歩いていても、始終まわりを気にしなければならない、私の状況。冬生まれのわたし、夏はそれでなくても苦手なのに、病気の後、やっとのことで買い終えて、家にもどるとベッドにバタン。

夏の間はプールを休む。子供たちがいるからだ。それをしたために、わたしの眠りの質は悪くなって、なかほどで、これでよいのだろうか、と言う具合にまでなった。夜中に何度もトイレに行く。体内時計が狂ってしまったのだ。

夏のさなか、思い切ってプールに行った。混んではいたが、バックをするぶんには、決してだれもぶつかってこない。クロールの方が危ない。というのに気づいた。それなら、大丈夫。バックは得意だ。クロールの息継ぎのほうが危うい。

そういうわけで、泳ぎ再開。私の体内時計はオーケーとなって、これまできている。歩くのはつらいので、できるだけタクシー、時間帯を変えてみたら、プール行きは楽にもなってきた。

九月になって、わたしはまだ死にそうにない。今年もなんとか生き抜けられそう。自由が丘のピーコックあとが立派に完成。

十月オープン、前よりも、品物が充実していて、良く整理されているそうだ。高いとは思うが、選べば、安いものもある。

何よりバス通りなのがいい。停留所が近く、足の便がいい。

私は今、死んでも残された人たちが困らないように、もしもの時の、安心ノートをつくっている。もうすぐ完成である。死んだら知らせてもらう友人の名をもうすぐ書き終えるので、一段落である。

夏中どこにも行かなかった。秋は一か月に一度ずつコンサート行きがある。それを楽しみに、、今年も終わりそう・・・・ 

 

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