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2017年12月13日 (水)

師走の一日

きのうは一日に二つの場所に出かける、かなりハードな一日、午前中は国際婦人クラブの奨学生選考委員会の初会合、午後は阿佐ヶ谷のブリッジ名人のお宅でのレッスン。
委員会は11半過ぎ、思いのほか早く終わったので、名人先生お手作りのスープつきランチに間に合った。

二十数年以上も、このゲームをしているのに、奥の深さ、むずかしさを再発見するばかりだ。ゲームが進むにつれ、カードの別れをすばやくキャッチする能力の弱さを痛感する。
それなのに、この面白さにはまるばかりである。こんなわたしでもさそってくれるパートナーたちを失望させぬために、少しでも努力しなければ。

帰途、いつものように阿佐ヶ谷商店街に気に入りの店を見てまわる。
ドア飾りのリース、確か、去年新しいものを買った記憶があるのだが、玄関そばの戸棚をひっくり返して探す気がおきない。中のものを全部出して片づけつつ、探すということがすごく億劫なのである。手ごろな値段で代わりのものがなにかないものか?

いつも必ず立ち寄る生花店に、それは、あった。
スワッグ、花束状につくったドア飾り、今年はこれがトレンドだとネット記事が語っていた。
作ったばかりだというそれが飾ってあって、わずか900円。さっそく購入。

帰宅したら、夫が味噌汁、小松菜の煮びたし、シャケなどの朝ご飯的夕飯を作ってくれてあった。家を出るまえにそのメニューに必要なものをすべてテーブルに並べ、レシピも書いておいたのだけれど、味は上々。

踏み台を出してスワッグを自分でつける。
なんだかうれしくなって何度も外に出て眺めた。003


2017年12月 6日 (水)

『夫の後始末』読後感 2

この本に期待した、介護にまつわる冷静な知恵のほうは、確かに語られている。
付箋をかなり貼った部分だ。
著者が尊敬する老医師から学んだ人間の最期に臨んでやってはいけないこと三つ。
1. 点滴ないしは胃瘻によって延命すること
2. 器官切開をすること
3. 酸素吸入

聴力を失うと認知度が早まる。
よい習慣は幼いうちからつけておかないと、認知度が落ちてくるにつれて、それが顕著にあらわれてくる。
会話力は若い時からやしなっておくべきである。高齢になっての幸不幸にかかわってくる。

著者に大きく共感した部分。
60歳ぐらいから医療機関での検診を受けなくなったこと。
「特権階級だけ」が享受できる現生の快楽、たとえば、高級レストランの食事の贅沢や、高級旅館、ホテルの宿泊など、そういうけたはずれな贅沢を求めずに死ぬのが爽やかな人生であるという主張。

曽野綾子さんが文壇に登場したときから、わたしは熱烈なフアンになった。初期の作品がすべて購入して楽しみつつ、共感を持って読んだ。中、上流家庭にひそむ、危機感を表現することが巧みで、描写力ばかりでなく、独特の人生観が語られているのに惹かれた。出版社もそれを鋭く見抜いていて、その至言ばかりを集めたアンソロージーのような本も何冊が出版され、その人生をとらえる力量が前面にでてきて、時代のオピニオンリーダーのような存在になってきた。
その時点から彼女の作品を好んで読むことをしなくなっていたのだけれど、やはり専業主婦がすがりたくなるような、人生とは、を語る指摘の鋭さには脱帽する。

作家としても評論家としても名声を得て、この著書もすでに9万部を超える売れ行きというから、著者の何不自由ない生活を想像するが、「物質面では人並みか、ほんの少しゆとりがあるくらいが一番幸福」という至言がどこからくるのか、その実例や、エピソードの詳述がもっとほしかったと、切に思った。

2017年12月 4日 (月)

『夫の後始末』読後感 1

一カ月半前に、書店では売り切れ、版元からもいつ入るか不明という情報に、あえて、アマゾンからプレミアムつきの値段で購入したこの本、およそ一日で読破してしまったのに、すぐ感想を書く気にならず、放ってあった。

それほど感動が少なく、突き動かされるような読後感が湧いてこなかったからだ。

『夫の後始末』とはかなり過激なタイトルである。さぞかし、介護の詳細とそれに伴う、著者独特の冷静な知恵が語られているのだろうと期待したのだが、エピソードは少なめで、自身の経験から発想するオピニオンリーダー的記述がきわめて多い。

なぜなのか? 本の後ろのほうに小さい字で、2016年、つまり朱門氏が亡くなる半年前から『週刊現代』にすでに三回、関連記事を載せていたという記述があり、今回のこの著書は、それに加筆、修正を加えたものであることがわかった。
著者にはすでにいつかこの日がくるという予感があって、介護時の記事を執筆し始めていたのである。

長年連れ添った配偶者を失い、ひたひたと押し寄せてくる回顧の情に書かずにはいられない、衝動を持ち続ける、というような感情があらわれていないのは、そのせいなのではないかと判断した。

三浦朱門さんにもかつて1991年に『親は子のために死すべし』という強烈なタイトルの著書がある。私は過激なタイトルにばかされるミーハーで、このときもこの著書を真っ先に買って読んだ。92歳の父親を介護する息子65歳の実情。老いの悲劇は当人の悲劇ではなく傍らにいる者の悲劇である、という記述があった。曽野夫人ともども、死ぬなら85歳が頃合いだと合意しており、それを過ぎたら活かすより、軟着陸を考えるべきだという主張もあった。それが91歳まで生きられ、夫人ももう85を過ぎている。その感想を知りたかったと思った。(続く)


2017年12月 1日 (金)

サントリーホール周辺のライトアップ

娘と孫息子と三人で、ウイーン交響楽団のマーラーを聴きに、サントリーホールへ。
これ以上ないくらい、聴くものの魂を奪う、マーラーだった。
つくづくマーラーの音楽は過去と未来をつなげる役割をしていると思った。

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六本木一丁目駅のそばのライトアップ。

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サントリーホールそばのツリー。昨年のと似ているけれど…。


2017年11月29日 (水)

自由ヶ丘緑道のライトアップ

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今の時期、近所の街のライトアップは見逃してしまうことが多いのだけれど、この日は外出の帰り、五時過ぎ、緑道にあるブティックをのぞきに行って、ライトアップに見とれた。
派手ではないけれど、緑道らしい趣の可愛いライトアップであった。

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これは同じく緑道にある、娘のお気に入りのカフェのライトアップ、ライトなしでも、入りたくなる場所なのだけれど、
これもこの場所にふさわしく、幻想的な雰囲気である。

2017年11月28日 (火)

『孫育てのころ』

『ばぁばの出番』を掲載してから、共感とご支持をいただき、アクセスもとても多かったので、いまの世の中、人知れず、ばぁばやじぃじの出番を務めている方が大勢いらっしゃることがわかりました。
四年前、ばぁばの出番のその後をつづったもの、切れ切れのエピソードですが、『孫育てのころ』と題して、同じく同人誌『婦人文芸』に掲載されたものも、ここに載せます。


                            孫育てのころ     

子育てSOS

「わたし、下の子ができてから、三歳半の上の子に当たっちゃうんです」というテレビの声に吸いよせられた。電話で視聴者の悩みを聞く番組である。
 声の主は三十二歳の主婦で、夫の帰りが毎日遅く、子育ては女の仕事だと言われ、相手にされないため、自分の感情を抑制できなくなるほど、追い込まれているらしい。
 でも夫がいるだけいいじゃない。父なし子を2人かかえている我が娘と引き比べながら、わたしは思った。
 相談者の夫は土、日も好きな草野球にひとりで出かけてしまうのだという。
 番組のゲスト回答者たちは、夫にもっとへばりついて、悩みをきいてもらうべきだ、下の子をおぶってでも、野球について行けばいい、などと言っている。
 そんなことができるくらいなら、とっくにしているのではないか。できないほどの切羽つまった状態だからこそ、電話してきたのだろうに。

三歳保育の幼稚園に行き始めたうちの孫もかなりママのイライラをぶつけられている。
きのうの朝、留守番をしに行ったら、娘はブスっと不機嫌な顔で化粧をしていた。
 いつもの「ばぁば」というはずんだ声が聞こえないので、「奏くんはどこ?」と訊くと、「ノロノロ歯をみがいてんのよ」という。
 洗面所をのぞいてみると、奏平はこわばった顔で、歯ブラシを動かしながら「ママに怒られたの」と、ぽろっと涙をこぼした。
 そのあと、丸一日つきあい、夕食も用意し、後片づけもして、帰ろうとしたとき、奏平がテーブルの下にうずくまった。
 「ああするときはいつもウンチしちゃってるんだから」娘は吐きすてるように言う。
 「ボクしてないよ。幼稚園で出たんだもん」
 「また嘘言って。出まかせばかり言うんじゃないの!」
 ひどい言葉だ。排泄のことに目くじらたてても、機能の発育が遅れぎみなのだとしたら、仕方がないだろう。
 こうして母娘の言い争いが始まり、けんか別れをしてしまった。
 重い後味をかかえながら、わたしはまだこちらから娘に電話をする気持になれないでいる。


図書館にもの申す
 図書館の児童室にほとんど毎週かよっている。週末必ずあずかる孫たちに、就寝まえ読み聞かせる本を探すためだ。
 おびただしい本がアイウエオ順に並んでいて、一、二歳児向けの絵を主にした字の少ない本だけが、小さなケースに入って区別されている。
 五歳と三歳の孫たちに、どんな本を選んだらよいのか、いつも迷ってしまう。
 二十数年まえ、息子と娘のお気に入りだった『いたずら機関車チュウチュウ』や『グリとグラ』はすぐ目にとまるけれど、いまの世の中を写しだした名著もたくさん出ているだろうに、それがどれなのか、どこにあるのか、さっぱりわからない。
 係のひとりにたずねてみたら、それを探すための本というのをおしえてくれた。
 「でも、そうやってしらべて、また探すっていう時間がつくれないんですよ。図書館のほうで、なにか一目でわかるような情報を出してくださるわけにはいかないんですか? せめて動物とか乗り物とか、ジャンル別に並べられてたら、まだましなのに、こんな不親切な並べかたではね」わたしたちの年代の正義感がほとばしり出る。
 係のひとが眉をよせた。「この仕事するようになっても、児童書専門なんて軽視されてますからね。すでに決められたやり方を変えたりすることはむずかしいんですよ」
 これでは、子供がコミックに走るわけだ。楽しい絵本に出遭ったときに見せる、子供たちの、あの目の輝きをどうやって保ちつづけるかが大切なのに。
 かつてアメリカに暮らしていたとき、地域の図書館には常時、児童書専門の司書がいて、子供たちに話をきかせたり、紙芝居をしたり、児童書に関するあらゆる質問に応答してくれたものだ。
 仕方がない、自分の知恵で探すことにしよう。
 あまり長いストーリーではないもの、父親が亡くなっているので、できれば父親が登場しないもの、絵が魅力的であること、などを条件にしながらようやく探しあてたのが『やさい』『しりとり、しりとり秋の巻』『おべんとう、おべんとう、なんだろな』『きょうりゅうの飼い方』『おばけがぞろぞろ』
 奏平と唯は『きょうりゅうの飼い方』がたいそう気に入り「ねえ、ばぁば、こんどきょうりゅうの子供買ってきてよ」などと言っている。



支えあう日々

 幼くして父親を失った子供たちには、できるだけ親しく接することができる若い男性の存在が必要である、というアメリカの心理学書の一節がたえず頭にあった。
 叔父にあたる息子がその役を果たしてくれればいいのだが、という意識も強くなっていた。
 息子は百八十センチ近い長身で、近ごろ髪も薄くなってきているし、太りぎみである。しかも寡黙で、ニコニコ笑ったりしないから、ヌスッとあらわれると威圧されるような印象を与えるのだろう。孫娘の唯は、オジサンを見るときまって泣きだす。
 オジサンは姪を彼なりに愛していて、抱き上げようとしたり、遊び相手になろうとするのだが、子供はおびえるばかりで、拒絶反応を示す。見ていて辛く感じた。
 十月の連休第一日目は幼稚園の運動会。夫とわたしが一日付き合うことになっていたので、早起きし、おにぎりやトリのから揚げを用意していると、突然二階のインターホンが鳴った。
 九十歳の義母に事件が起きていたのだ。
 明け方手洗いに起きようとして、転び、インターホンになかなか手が届かず、無理な姿勢のまま、苦闘していたらしい。
 いよいよ最悪の事態になったかな、と思った。その日は義姉にかけつけてもらって急場をしのいだ。
 義母が起き上がるのに手助けの要る状態が二日ほど続き、娘一家への援助が手薄になった。だが娘も風邪ぎみで、疲れているのがわかっているから、気が気ではない。
 せめて差し入れでもしようと、ちらし寿しと春巻きをつくり、息子に届けてもらうことにした。
 夜になって、子供たちが寝たころ、娘から電話があった。 
 「オニイマね、一時間以上もいてくれたのよ。子供たちもすっかりなついて、何度もタカイタカイしてもらったり、ウルトラマンごっこの相手してもらったり、まとわりついて離れないほどだったわ」
 よかった! 肩がすっと軽くなるような気がした。
 義母も少しずつ快方に向い、ひとりで起きあがれるようになり、隣でやすんで付き添う必要はなくなった。
 家族が協力しあって、崖っぷちを歩いているという意識はつきまとうけれど、神は耐えられないほどの試練は与えないという言葉を信じられるようになっている。



リフレッシュ

 ひとりきりになりたい、という思いが絶えずしていた。
 四月は孫たちの体調が悪く、預かる日が多かった。そしてとうとう、四歳の孫息子が悪性の風邪から脱水症状になり、緊急入院。二歳半の孫娘の面倒をみるかたわら、病院に通う日が続いた。
 耳の中でいつもかすかなセミの声がしている。聞こえも悪くなっているような気がして、診察を受けたら、ストレスによる突発性難聴とのこと。
 孫息子が一週間で無事退院したのを見届け、夫にことわって、新宿発の高速バスに乗った。
 行き先は山梨県長坂。命を第一とする生活の知恵や技を学ぶフリースペースという宿。南アルプスが臨めるログハウスの主は三十七歳のT君。自然食穀物菜食の調理の達人、自然農で自給自足を志し、独特の整体術で体調をととのえている。
 かつて翻訳の仕事をしていたとき、仕事で疲れた女性が憩う宿、穂高養生園を知り、その厨房を仕切っていたT君がその後独立したというニュースに、一度訪れてみたいという念願を果たしに今回出かけたのだった。
 相客がいなかったので、わたしは彼を独占して、玄米自然食の調理を教わった。
 到着した日の夕食メニューは、ニラの酢味噌和え、ゴボウとネギ、岩ノリの柳川もどき、ナメコのゴマ和え、フノリと玉麩入りの味噌汁。自然の味がこれ以上ないほど生かされた美味を味わう。
 翌日は彼の農業の見学。ビニールハウスもなく、化学肥料も使わぬ自然のままの栽培法をあちこち見せてもらい、その夜の夕食に使うための摘み草をした。フキ、クレソン、野ビルなど。
 摘み終わってから、丘の上の大木にゆったりとよりかかって休む。広々とした田畑を見下ろしながら、トリの声など聴いていたら、耳鳴りが消えているのに気づいた。
 昼食は薄緑もあざやかな明日葉めん、ネギと、おろしショウガ、すりゴマの薬味。
 午後は、再び畑に出かけた彼の留守番をし、ピアノを弾いて過ごした。
 夜は近くの温泉健康センターに車で連れていってもらう。程よい温度のいい湯だった。
 寝るころになって家のことが気になってくる。電話してみると、やっぱり事件が起きていた。
 娘が過労で入院していたのだ。
 夫は大丈夫だから、ゆっくりしておいでと言ってくれたが、翌日早朝のバスを予約した。
T君は玄米のおかゆでパンを焼いてくれて、お弁当に、と渡してくれた。
 二泊三日の休日で、わたしは完全に元気回復し、またみんなのためにがんばるぞ、という気持がみなぎってきたのであった。


そして、いま
奏クン、イッタン
 あ、ごめん。うっかりこういう呼び方をしてしまって。いまあなたたちのお父さんが亡くなった当座に書いたものを読んでいたところなので、もう大学生と高校生になっている現実のあなたたちのことが意識から遠のいてしまったのね。
 そう、奏平はもう大学生、週三回スーパーでバイトしながら大学に通っている。奨学金の保証人はオジサンになってもらったのよね。大学生でも自立をちゃんと考えている。大人になったものだと思います。
 そして、唯ちゃん、じぃじが週一回あなたの家にごはんを作りにいくあいだに、お料理、すっかりおぼえたって、ききました。えらかったね。調理未経験の高校生にお料理の一から教えるのは、めんどうだし、もどかしいと思うのに、じぃじはよくやったと思います。もうお弁当も自分で作れるんだって?
 あなたは小さい時から、食べものを本当においしそうに食べる子だった。ばぁばは作りがいがあったのよ。いつだって「おいしい~っ!」って叫んでくれるんだもの。お世辞じゃないのよね。必ず、お代わりある?って訊いてくれてたから。
 あなたがいま、オーケストラ部に所属していて、こんなにもトロンボーンが好きになったのは、元はといえば、あなたが小学生のとき、お母さんが土曜に集まって演奏する吹奏楽のクラブにあなたを参加させたことから始まっているんじゃない? あなたはあそこで管楽器を吹く楽しみをおぼえたのだと思う。
 あなたたちも薄々感じていたと思うけど、お母さんとばぁばは仲のいい母娘じゃなかった。中学生ごろから彼女の反抗がひどくなってね、笑顔を見せなくなったの。いまから考えてみると、お母さんは、ばぁばの、自分たちと同じような育ち方をした人だけに心を許すというような、固定観念がいやで仕方がなかったのね、きっと。
 就職も結婚も親の助言は一切拒否して我を通したのよ。
 あなたたちが生まれてからも、わたしたちはよく衝突したわ。でもあなたたちがばぁばをとても慕ってくれたから、お母さんの気持も少しずつほぐれてきたみたい。
 一番驚いたのは、奏平が中学生になったとき、収入をふやさなくては、と言って、英語学校でも教えるようになったこと。一時は飲食店のバイトまでして三つの仕事をこなしていたわね。よく身体が続いたと思う。
 ぎりぎりの暮らしを、どこかで見守るあなたたちのお父さんの存在があるように感じることがよくあったわ。
 十五年の年月はわたしたちにもう一度こどもを育てる、つまりひとを育てるとはどういうことかを学ばせてくれました。泣いたり笑ったり、怒ったり喜んだり、どんな出来事に遭遇しても逃げずに向っていけた。あのころ書いたもの、どれを読んでも、本当にばぁば一生懸命だったんだなって思う。
 あのころはじぃじもばぁばも元気でした。朝起きてもどこも痛いところはなかったし、どんなに疲れても一晩寝れば、すっかり元気になったわ。でもいまはダメ。自分の身体を何とかまともに保つのが精一杯。
 いいときにがんばれたと思います。そして思うの。何よりも一度だけ与えられたこの人生を生きるためには、まず身体を大切に、その身体を構成していく食べものを食べることをたいせつにしなければいけないんだなって。そうしていれば、つらいことにも耐えられる精神が養われるのよ。
 あなたたちと密に過ごした十五年間、良い時間だったとなつかしく思います。
ありがとう、心身ともに健康に育ってくれて、本当にありがとう。
 
 
 


 
 


2017年11月26日 (日)

ブログの効果

孫娘の音楽会は私たちファミリーの人生での一つの区切りを意味するものとして、その詳細をしるしたのだが、そのあとで、『ばぁばの出番』のエッセイを載せた部分も含めて、孫娘に読ませたい、とふと思い立ち、コピーして送った。

しばらくして、娘から電話があった。その声がめずらしく、しんみりして、いつもの早口と異なるのに驚いた。

涙が止まらず、夢中で読んだ、と言うのである。

孫娘も同じだったらしく、ママに読ませたいと郵送したのだった。
そのことを夫に伝えたら、夫もパソコンに顔をくっつけるようにして読みふけり、目をぬぐった。

書き言葉の効果をこれほど感じたことはない。

昔起こったことを、感情移入して読みふけり、家族みんなが、同じ感想を共有できたということは、ブログあっての力である。

同人誌に載せたものをそのまま読んでもらうよりも、ずっと効果があった、という出来事はブログライター冥利につきる体験のひとつとして記憶にとどめておきたい、そう思った。

2017年11月20日 (月)

おすすめレシピ

夫の世代は戦前がかかっているせいか、世辞など、コケンにかかわるとでも思っているかのように、妻のつくった料理を、おいしいのが当たり前としていて、めったに褒め言葉を言わない。わたしは外食したら、代金を払うけれど、家では「おいしかった」というのが代金よ、と主張しているのだけれど、黙っているときはおいしいんだ、などという言葉が返ってきて、あいかわらずの沈黙の食事風景なのである。

あまり沈黙だと、わたしは一緒に食べるのも不愉快になってきて、自分の食べかけを持って自室に引っこんでしまうこともあった。

最近はそれが少し変わってきた。もしかしたら、これが最後の食事になることも、という年齢になったせいであろうか。食べ終わったあと、「おいしかったよ」と早口で言うことが多くなっている。

先日、めずらしく、こころの底からというように、うまい、を連発したレシピ、それがこのカリカリ豚バラにゅうめん、雑誌『明日の友』で見つけたもの。
付け合せは彼の好きなカボチャの煮物。001


そうめんをかためにゆでる。
豚バラを塩コショーして弱火でカリカリに焼いて、ペーパータオルの上に。
そこにニラを2センチくらいに切っていためておく。
その鍋に、だし汁(二人分)、酒大さじ1、みりん小さじ2、薄口しょうゆ大さじ1、塩小さじ1/3を煮立て、そうめん加え、豚肉のせ、黒コショーふり、好みでナンプラー少々をふる。

そうめんは全部使いきらずに残してしまうこともあるが、こうすれば、この時期でも食べられるし、うどんやそばより、むしろ軽めで、豚バラカリカリ、ニラと一緒にしてもあっさりと食することができる、いいレシピだと思った。


2017年11月15日 (水)

『蜜蜂と遠雷』読後感 2

内なるなにかに突き動かされるように言葉がほとばしっているこの作品、著者はそれほどにクラシックのピアノに魅せられているのだろうと想像して、経歴を調べたら、クラシック音楽好きの家庭に育ち、ピアノを習っており、その教師はディヌ・リパッティのピアノを聴かせたというから、これは幼くしてよほど音楽性を養われていると推測できた。

この小説、構想12年、取材11年、執筆7年をついやしたと、著者担当歴20年の編集者が語っている。モデルと言われている、浜松のピアノコンクールに通い詰めたという逸話もあり、執筆のための、それだけの恵まれた条件と時間とを持ち得ただけの重みは、確かに読み進むにつれてしみじみと伝わってくる。

演奏者によって、よく知っている曲がまるで初めて聴くような気がしたり、テクニックはまったく同程度の演奏者でも、雑念がまったく入り込む余地のないほど集中できる場合とそうでないときとがある不思議、そのカギが、この小説の中で明かされているような気がした。
「人間は自然の音の中に音楽を聴いている…弾き手は曲を自然のほうに『還元』する…」
「ショパンのバラードには幼い時の感情、うらべうたを歌うときに感じるさみしさ…が含まれているような気がする…この一瞬一瞬、音の一粒一粒が今たまたま同じ時代、今この時に居合わせた人々に届くとしたら…」

「音楽をわかっているという自惚れだけが肥大して…おのれの聴きたいものだけを聴いて生きてきた…鏡の中に自分の都合のいいものだけを映してきた…」という言葉は私自身を言いあらわしているかのように、打ちのめした。
もっと別の自分になるのは、まだ間に合う。苦手だなどと決めてしまわずにどんな音楽にも接していきたい、という思いにもさせてくれた。

それをはからずも悟られていたかのような、作中の演奏順に聴けるナクソス・ジャパンの、CD発売宣伝のためのプレイリスト、視聴15分を活用、まずはプロコフィエフとバルトークを堪能した。

2017年11月13日 (月)

『蜜蜂と遠雷』読後感 1.

自分からは手にすることをしなかった本である。「読み始めたらやめられなくなるほどの本だから…」と貸してくれた若い友人、ジュン子さんに、感謝をささげる。彼女は類いまれな本を選ぶ目をもっていて、これまでもどれほど心の栄養をもらったかしれない。Photo


作者恩田陸という名は知っていた。ミステリーの若手女流作家程度の知識でしかない。このひとがクラシックのピアノミュージックにこれほどの造詣があるとは、まさに舌を巻くほどの、描写の連続である。

日本の地方都市で開かれたピアノコンクールが舞台。四人の主要登場人物がどのように第一次、二次、三次、本選へと挑戦していくかが、克明に描かれる。生まれながらの天才としかいいようのない少年、ジュリアードの優等生で、優勝候補と期待されている、日系の容姿も端麗な青年、小さいときから才能を発揮し、将来を嘱望されながら、挫折し、復帰を志す女性、そして表現力と感性には恵まれながら、音楽の道を断念し、就職したが、このコンクールにもう一度挑戦しようとしている成人男性、この四人、それぞれの視点でそれぞれの選曲がどのように演奏されたが、まるでこの目で見、聴いているかのように描写される。
音楽を言葉にすることがどれほどむずかしいかは想像に絶するのに、著者はいとも軽やかに、豊かに、しかも短く、即興的に感性あふれる表現でやってのけている。

わたしには少々苦手だった、プロコフィエフとかバルトークとかの音楽を、ぜひ聴いてみたいと思わせるほどの、表現力なのである。
いや、まったくスゴイと思いながら、この本、507ページを、上毛高原の宿で、一日で読んでしまった。(続く)

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