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2017年9月21日 (木)

アクセス情報

衆議院会館で開かれる講演会に行くことになったのだが、これまで行ったこともないところなので、主催者にも訊き、ネットからもアクセスを探した。地下鉄の国会議事堂前か、永田町から、ということだったが、前者は渋谷を通らなければならず、後者は構内が複雑で、エスカレーターや階段の接続有無もよくわからない。迷っていたら、夫が母校の日比谷高校の近くじゃないか、と思いだしてくれて、溜池山王から、というルートが見つかった。六番出口、これがエスカレーターの接続がよく、出てからもすぐ左の坂をのぼって信号、また左、という容易い道順、危なげなく到着した。

グーグルマップの一つ目小僧みたいなしるしが嫌いだ。いざ徒歩の項目をクリックしてたどろうにも、私はスマホを持っていないので、いまひとつ確かさが足りない。実際に行ってみたことがあるひとから、訊くのが一番なのだが、道案内の言葉をわかりやすく、的確に話すひとが少ないことを痛感する。

澁谷に行くのはまだ、できれば避けたい。でも大好きな東横のれん街には、ときどき無性に行きたくなる。いい漬物店と、菓子店、おせんべいの店が充実しているし、独りご飯用のおいしい店も各種そろっている。
澁谷へ行くのに、中目黒で途中下車してバスを使うというルートを知った。教会の婦人会で、出会ったある高齢者のメンバーからの情報である。これを試した。中目黒を降りるとすぐ右手に渋谷行きのバスが待っている。二種類あるから、頻繁に来る。乗ってからおよそ十分、ガード下のちょっと先に停車してくれるので、のれん街にも近いし、ブリッジクラブにも近道になる。

いつも耳をそばだてて、好奇心をはりめぐらし、情報を得ながら、暮らしていかないと、高齢者はどんどん出遅れて、便利さへは遠回りになってしまう世の中である。

2017年9月17日 (日)

ピカール食品入りのランチ

夫が落ち込んでいる。
マージャンの会が四組あったのに、メンバーは亡くなったり、重病だったりで、今や二組だけ、その、残り一組のほうを企画してくれている高校時代からの親友が駅のホームで転倒して入院したのだ。夫も転倒しそうなのに、二本杖で品川の救急病院に馳せつけた。幸い命に別状はないとのことだったが、会は復活しそうにない。

仲良しがみんないなくなりそう・・と沈んでいる。カレンダーの丸印は最後の一組のマージャン会と、歯科医の予約だけ。わたしのほうは○のない日のほうが少ないくらいなのに。

なんとか新しい楽しみをと、高齢者「憩の家」で、ビリヤードはどお?
よく通る声をしているので詩吟でもやってみたら?
とすすめてみるのだが、今さら新しいことなんて、と首をふる。
つきあっているのは学生時代か、ビジネスを共にした人たちだけ、偏屈で、頑固なのである。
それどころじゃない、このごろすごく疲れるとも言いだすし、ごひいきDeNAベイスターズも四位に落ちてしまったので、これは何とかしなければ、と思った。

娘に緊急メールし、孫たちとそろって三人、ランチに来ることになった。六人分を手作りするのは、正直、シンドい。というわけで、出かけた帰りに麻布十番のピカールに寄ってラザーニャとカナッペを買ってきた。冷凍食品二つはドライアイスもついて重たい。ネットから注文するほうがよさそうだ。

オーブンで五十分、かなり時間がかかる。この二品とあと手作りの玉子とキューリのサンドイッチ、コーンとグリンピースのオリーブオイルいために、ゴーヤのピクルス。
娘も孫たちも褒め上手だけど、それだけではなさそう、おいしい~っつ、こういうの食べたかったんだといいながら、あっというまに平らげてくれた。002_2


夫は歴史にくわしく、終戦直後は天津にいたので、料理人がつくる家庭料理のことや、いまだに覚えている中国語の発音の指導をうけたときのことなど、一度も咳こまずに饒舌に語った。いま問題の北朝鮮の情勢なども説得力ある見解を述べる。孫たちもじいじのためだから、と興味を示すふりをするのではなく、本当に面白そうに聴き入っていた。

高齢者はみな記憶をよびさましてそれぞれの過去を語ることを必要としているのではないか?そういう場はだれかが用意しなければ、わたしにも、子供や孫たちはそういうときをつくるだろうか?でもわたしにはそれを語るブログという場がある・・・などと思いながら耳を傾けていた。

2017年9月15日 (金)

麻布十番あれこれ

麻布十番はいうところは、今から40年まえ、アメリカでの駐在員生活を終えて帰国して以後ずっと、縁の深い場所になっている。

そもそも、日本語を外国人に教える仕事にさそわれて、現在の『国際日本語普及協会』が『西尾グループ』として活動を始めたころ、麻布二の橋の金物屋の二階に事務所があって、そこに通うようになった。その後、事務所は転々として、どんどん大きくなり、教室を持つ場所にまでなっていったが、最初のころは十番内を移動していたので、それぞれの商店が個性を発揮して、輝いている変遷をみつめながら、通っていた記憶が鮮やかなのである。

同じころ、所属して国際婦人クラブも奨学生の選考の場所に国際文化会館をよく利用したので、そこから坂を下ったところに位置する十番を通って渋谷方面のバスに乗る、ということが多くなった。まだ地下鉄南北線が通っていない頃の話である。

現在も十番の有名店『豆源』は当時から流行っていた。商店街中ほどの『永坂更科』の蕎麦店も有名だったが、現在は一の橋のほうの永坂本店のほうが味が繊細でおいしい。
そして当時国際婦人クラブの会員でもあった、エイミー加藤さんがオープンした『ブルーエンドホワイト』はこれまで日本人の発想にはなかったセンス抜群の、藍のブルーと白だけを使った服飾雑貨の店として、精彩をはなちつつ、長続きしている。

七年まえからその店のウインドに飾られていた刺し子作品に魅せられその作者吉浦和子先生のレッスンに通うようになった。ところが五年目に膝を傷めて、体調管理がむずかしく、針仕事が手につかなくなってしまって、挫折状態である。

『ブルーエンドホワイト』店が閉めると言うのを聞いて、もう無くなってしまうのかと残念に思っていたら、隣のピーコックがイオン経営のオーガニックスーパー『ビオ・セボン』とフランスの冷凍食品『ピカール』をオープン、その二階に移転したというので先日、国際婦人クラブの例会の帰りに立ち寄ってみた。Photo


一緒に行った友人は日本語教師時代からのお付き合い、十番は私以上にくわしいひと、ブルーエンドホワイトは建物二階、エスカレート付き、ずっと広く明るくなって見事なリニューアルを果たしていた。Photo_2

下のスーパーも大きなテーブルがあって、まわりで購入したものを食することができるコーナーが便利、隣の『ピカール』には洗練されたおいしそうな冷凍食材が満載、私はとりあえずグリンピースの冷凍の大袋を買う。グリンピースはフレッシュなものより、輸入ものの冷凍のほうが緑が美しく、手早く料理できて重宝するのである。友人はその晩の夕食用にカナッペを選んだ。
その晩、感想を知らせてくれると言っていた彼女が電話してきて、オーブンで六分、仕上がりも美しく、美味だったと、おしえてくれた。

東京もどんどん、グローバルに変貌する。近々、もう一度、この便利で、胸のときめく場所を再訪したいと思っている。


2017年9月 8日 (金)

小さな不都合つきイタリア

イタリア旅行情報専門サイトJITRAのメールマガジンは、もうイタリア旅行を辞めてしまった私には、関心のうすいものになっているのだけれど、冒頭のエッセイだけは読むことにしている。
その書き手の編集者はミラノ在住、いつもイタリアと日本を行き来する際の比較などを面白く綴っているからだ。

最新号で、彼女は日本からミラノに戻ったときのことを書いている。なんでもマルペンサ空港に夜遅く到着した際、着陸はしたものの、地上に降りる準備がととのっていないというアナウンスがあって、十五分くらい機内で待たされたという。当然降り立ってからは、みなトイレに駆け込み、そのトイレが四か所しかないので、長い行列のあとにつくことになる。
次に預けた荷物をピックアップするのだが、十台ぐらいあるベルトコンベアのどこに行っていいやら、『手荷物ご案内』用の表示もなく、探すのに時間がかかった。
市内に行くマルペンサ・エクスプレスの切符売り場はもう閉まっていて、自動販売機しかない。この販売機が問題、うまく機能しなかったり、つり銭が出てこなかったり、というトラブルの多い代物、幸い、運よくチケットは買えたけれども、彼女はつくづく思ったそうだ。トイレの数が十分で、手荷物受取の表示が大きく出ていて、自動販売機には何のトラブルもない成田が、何と素晴らしいことか、と。
それでも電車を降りてからタクシーに乗り、窓からライトアップされた神々しいまでに美しいドゥオーモを見て、胸が熱くなるほど感動し、イタリアと言う国は比類のないほど美しいものが存在しているけれど、それと同時に多くの小さな不都合に遭遇することにもなる。居住する者にとってはそれらを丸ごとうけとめなければならない、と締めくくっていた。

そう、過去二十一回の私のイタリア一人旅でどれほどこの小さな不都合を経験したことだろう。到着時、荷物に両手をとられる不自由なときに、トラブルにまきこまれることを、とりわけ用心し、迎えを頼むことが多かった。
ローマ、テルミニ駅からオルヴィエートに直行するという旅のときのこと。
迎えはローマ在住のRさん、列車探しを手伝ってもらう。イタリア語ベラベラの彼女に訊いてもらったのだが、駅員のだれもが違う答えをする。まさに発車まぎわにやっと目当ての列車にたどりつくことができた。ところが乗ってから、こんどは停まる駅名の表示には次の駅が記されていないので、不安になる。オルヴィエートの前の駅名が知りたい、あといくつ駅があるのだろうか・・・ちょうど検察にやってきた鼻ピアスの男性乗務員に尋ねてみた。
ところがわからないから調べてくると言ってどこかに行ってしまった。我が国のJRでは考えられない事態である。

列車チケットの自動販売機や、道路に面しているATMはトラブルの話をよく聞かされていたので、利用したことはない。

メルマガの編集者はミラノ在住でイタリア人同様の生活者であっても、やはり不都合を経験しているということを今回知って、所詮、旅人に過ぎないからかという意識のもたらす劣等感が薄まったような気がした。

旅をしていたときは、そういう不都合を経験し、それが新たな活力の源となり、この次からは大丈夫、という勇気が出たのだけれど、それはどんなに長く歩いても、痛みが出ない足と、安定した体調を保持していられたからだ。
いまはそれがもう失われつつある。
旅に終わりを告げるときが来たのだった。

2017年9月 4日 (月)

玉電は楽し

きのうの朝日新聞の『玉電好きです、時代を超え』という記事を読み、ああ、やっぱり、わたしだけではなかったのだ、と思った。
現在残存している、三軒茶屋から下高井戸までの世田谷線は、戦後二年ほどして、三軒茶屋の奥、太子堂というところに居を定めてから、何度も利用していたので、なつかしさもひとしおなのである。

世田谷線のちょうど真ん中あたりの駅「世田谷」というところに、表千家の茶道を習いに通っていた。その先生はとてもお料理上手な方で、お茶菓子も乏しい時代、サツマイモからつくるお手製の茶巾絞りを出されたりするほどで、およそ、十年、大学を卒業するくらいまで、おけいこに通い続けた。ところが、そういう、利休のわび、さびをそのままあらわしているような茶道様式が徐々に変化し、お弟子さんも代議士夫人が多くなって、とうとう、お茶会で使う御道具に金の風呂釜などを使われるようになり、何かそういう変化がうとましくなって、辞めてしまった。そのころから時代や、人心の変貌を受け入れがたく思うようなところが、わたしには、あった。

太子堂にはまだ兄一家が住んでいるが、三軒茶屋、三茶から十分ぐらい歩くので、そこは素通りして、近頃わたしが、よく世田谷線を利用するのは、下高井戸の映画に行くためである。
見損なったわたし好みの映画を、ひろい集めて上映してくれるような小さな映画館、チケット売り場まで階段があって、膝が痛いときにはつらかったけれど、通ううちにその階段でひざの調子がよくなっているのをわかるようにもなっている。

下高井戸にはユニークなマーケットもあり、素晴らしく鮮度のいいむき海老を売っている店を目当てに、買い物も楽しい。またいまどき珍しい、雰囲気のあるコーヒー専門店も二軒ぐらいあって、軽食もOKなので、映画の帰りに立ち寄ったりする。ネコがいっぱいいる喫茶室も魅力なのだが、まだそこには入ったことがない。この先の楽しみである。

沿線の景色は変わった。昔は樹木が多く、畑などもあったが、今は中小住宅がぎっしり並んでいる。それでも終点までわずか十五分ほどの車内の時間は縦長の配置の椅子にゆったり腰かけ、過ぎ去った時間を取り戻せるような錯覚を可能にしてくれる。

三茶も変わった。個人商店はがんばっていたが、あまりあかぬけない街だったのに、今やしゃれたデザインのカフェや国際色豊かなレストランなども立ち並ぶ、若者に人気の場所に様変わり。
わたしが通っていた教会には同級生の彼が牧師をしているので、近々の日曜、キリスト教関係の友人と、所属教会の礼拝を失礼して、二人で訪問しようと約束している。

2017年8月29日 (火)

デイケアに通う

カーブスは辞めてしまったものの、定期的な運動が必要であることは感じていた。プールに通おうかと思ってはいたのだが、家事を手早く片づけることが苦手になっている昨今、一時間に一本のバスを見逃すことも多く、思うように実行できない。

そんなことから、夫のケアマネージャーさんに相談して介護保険適用の通所のデイケアで体操をさせてもらうようになって、一カ月が経過している。それでなくても運動ぎらいのわたしにとって、ドア・トゥー・ドアのお迎えつきというのは、気が向かないことへの億劫さを取り去ってくれるので、ありがたい。

坂の多いこのあたりの高台の頂上付近の住宅地、晴れた日は遠くの山山や富士山までくっきり見渡せる、外国人が居住していたという洋館でのデイケア、午前の部の転倒予防体操は椅子に腰かけたまま、手足をあらゆる方向に動かすという、非常によく考案された運動、みなが号令に声を合わせ、高揚感を高めつつ、励む一時間、これもよかったのだが、午後の部には階上でもう少しハードな、マット運動がある、と聞いて、この二度ほどそちらをためしている。
きのうは女性参加者三人、わたしのほかに、大正生まれの方と、八十五歳の方であったが、かなり厳しい前屈運動をみごとにこなされていた。これも身体のひねり、前屈のヴァリエーション多数、最後は仰向けとうつ伏せで足を屈伸、十分すぎるほど身体を柔軟にする一時間だった。

熱いお茶や、冷たいポカリスエットのサービスがあって、部屋のほぼ中央にある螺旋階段の上り下りには目の行き届いたサポートがあり、ヘルパーさんたちの優しさに感謝する。
運動のまえには、血圧と体温の計測があり、集中力を高めるための、イラストの中の間違い探し、などもして、終わったあとはしばし歓談のあと、マージャンを一時間、階下では、歩行に困難を抱えている方たちが、書道や、塗り絵などをされていたけれど、お仲間と同じことをするという時間を共有する、ゆとりと、抑制、節度が感じられて、認知度のトラブルなどは全くあらわれていなかった。

わたしはこの中で一番若く、ノーマルに近いと感じることは多いのだけれど、いずれは通うことになるかもしれない場所を早めに体験できて、得をしているのではないかとも思う。

足腰に痛みが出るようになって、それまで当たり前にできていた生活がむずかしくなってきたとき、いつも在宅でいなければならないのは、ストレスが生じるものだ。

デイケアのこれからの役割、在り方を十分に考慮していると思われるこの施設には、感動する場面が少なからずある。2017081411490001
(サギ草の鉢植えー初めて見る花、清楚で美しい)


2017年8月25日 (金)

オペレッタを観る

昨年、東京オペレッタ劇場の公演『天国と地獄』があまりにも楽しかったので、今年の『ボッカチオ』もさぞ、と期待しつつ、炎天下あとの夜、三田線の春日というところにある文化シャッターホールにでかけた。Photo

題名は『ボッカッチョ』となっているが、Boccaccioは昔からの題名どおり、イタリア語の発音からしてもボッカチオではないかというのがちょっと気になったけれど、劇の進行も、ピアノとヴァイオリンの伴奏も、歌唱も昨年と同じくやはり楽しめるものだった。
劇場も二百人程度を収容というこじんまり具合だし、肩の張らないくつろぎの中で、親しみやすいメロディが耳障りよく、流れていく。
あの有名な「ベアトリ姐ちゃん・・」という出だしのアリアは「鼻からちょうちん出して・・」などという訳だから、ふざけ過剰ものか、などと思っていたら、歌詞はまったく違った翻訳になっていて、格調が上がって聞こえた。ボッカチオ役も声量充分、恋人のフィアメッタ役の女性も清らかな美貌の持ち主で、「恋はやさし、野辺の花よ・・」の歌が似合っていた。
スッペの音楽は『軽騎兵』で有名だけれど、このオペレッタはとても美しく、楽しく、浅草オペラでもっとも人気のあった作品と言われたのももっともだ、と納得した。

秋には、ワーグナーオペラ二作品を見なければならない。なんとしてもそれまでは元気でいなければ、などと思ってしまう。その先駆けのこのオペレッタ、晩夏の清涼剤の役割を果たしてくれた。

オペラ友人のK子さんがお隣り合わせだったうれしさも手伝って、帰りの道は往きほど長く感じず、階段の多い春日の地下鉄のホームまでの通行も、さほど苦にならずに歩くことができた。

2017年8月22日 (火)

ある消息

同い年の親しい友人に、暑中見舞い代わりの電話をしてみた。

夏風邪をひいたあとが、よくなくて、食欲不振になっているという。
咳がひどくて、夜、横になるととまらないので、ずっと座っていたときもあったそうだ。
夏風邪のひどさは、感情移入できた。わたしも十日前、喉が怪しくなり、マッサージをしてもらって、応急処置しようと思ったのだけれど、予約がとれず、仕方なく、熱いシャワーを喉の痛みの鬼門の場所、背中の肩甲骨の間の上部に当て、そのあと、大判の湿布薬を貼るということを繰り返して、なんとか立ち直ったばかりだったからである。

料理上手なひとなのに、なにもする気がしないで、初めてインスタント食品をいくつか試したと話してくれた。具だくさんの野菜スープにおかゆを入れたら、意外とおいしかったとか、エビワンタンにもおかゆを入れてみたとか・・・
奥沢にスープのおいしい店があると話してみたのだけれど、外食をする気になれない、夜のコンサートも行くのをやめた、というのを聞いて、心配になってきた。

自宅での介護が困難になって、ご主人がホームに入居し、毎日通うのが日課になっている、というのを聞いていたので、食欲不振はストレスからくるものじゃない?と言ったら、ドクターからもそう言われたと語った。

お互い、七十を越すのが大変よね、と、この半年のことを共感しながら、しばらく話し合い、わたしにできることなら、なんでも言ってね、といって電話を切った。

2017年8月17日 (木)

定年はまだまだ・・・

久しぶりにゆっくり書店を見回る時間ができて、ふと、手にした『明日の友』という雑誌をぱらぱらとめくっていたら、「女性の八十前後は調理定年だと思う・・・」という樋口恵子氏の言葉に、はっとした。確かに思い当ることが・・・体調が悪い日など、調理がまったく、手につかないときもあるからだ。

実母は確かこのころ、大腿骨骨折で、手術したし、義母の方は、クリスマス、新年の諸行事、家族の誕生会など、すべて手のかかることを「あなたにお任せするわ」と言って、二階で生活するようになっていた。

でも今八十五歳の夫は、元気で、家事を手伝ってくれるし、料理の腕もいいので、レシピを選んで、任せても、わたしより見事に仕上げることもある。

人それぞれということだろう。わたしは、しかし今を、まだ定年にしたくはない・・・などと思いながら、『暮らしの手帖』のページをめくったら、これ、つくってみたい、というレシピ数点を見つけてしまった。

雑誌は美容院かホームドクターの待合室で見ることに決めていたようなこのごろだったのに、この日は『明日の友』と『暮らしの手帖』の二冊を買い求めることとなった。

テレビでこの夏はスパイスでのりきろう、というような番組があったけれど、スパイス好きのわたし、『暮らしの手帖』のコーンライスと、シイタケとズッキーニのスパイスいためが気に入ったのである。コーンは中華風いためもの、ポタージュスープ、コーンチャウダーなどよくつくるが、ごはんとの組み合わせ、まさに知りたかったものだった。ローリエ、クローブ、塩、油、トウガラシなど入れ、そこにターメリックをふりかけてご飯を炊き、むらすときにそいでおいたコーンを入れるという手順、ズッキーニはじっくりいためて、クミンシード、塩、ガラムマサラをふりかける。シイタケはソテーしてクミンシードをふりかける。メインはスズキのスパイスソテーなのだが、夫が魚嫌いなので、ささみのフライに変えた。
コーンライスはおいしかった。野菜たちも。002_2


このほか生トマトのガスパチョ、豚肉としらたきの煮物など、好レシピの収穫があり、この雑誌を買ってよかったと思った。

2017年8月14日 (月)

ようやく咲いた

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二か月まえに阿佐ヶ谷で買ったユウガオの苗、十倍ぐらいに伸びて蕾がつき、ようやく開花した。
花も美しい白色だが、これこそ芳香というのか、やさしくて、清らかな香りがする。

母がいまのわたしくらいのとき、ユウガオが咲いたと大喜びだったのが今ならわかる。

きのう、日本映画専門チャンネルで『わが母の記』という映画を観た。井上靖の私小説の映画化であるが、出演者もすべて適役、名演技、場面展開が見事、最後まで目をくぎ付けにして観入ったのだが、「父が亡くなってから、何でもないふとした瞬間に、自分の中に父がいるような気がする・・・」という文章があって、惹かれた。
私のこのごろは、そのような瞬間がしきりとある。

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朝になっても、花はまだしぼまない。まだ六個ぐらい蕾がついている。
この花たちが芳香をくれ、酷暑をのりきる力をくれることだろう。

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