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2017年10月18日 (水)

続、きのう・・・

きのうの昼過ぎ、国際婦人クラブで同時期、奨学生の選考委員をしていたひとがクラブを退会してしまったというので、電話してみた。同い年の彼女、八十をまえに、もうやるべきことはすべてやったからと、決意をしたのだという。

ご主人と仲睦まじい彼女、海外旅行はいつもカップルなのだが、昨年クルーズに参加したときご主人がインフルエンザになり、幸い同室の彼女は無事だったそうで、手当も病院並みに行き届いたというが、拘束された状況になり、大変だったようだ。ご主人はもうこりごりだということで、海外旅行は打ち止めになったと言う。

そんなお互いの消息を話し合い、およそ一時間以上しゃべった。
同世代の電話はやはりメールより便利、お互いの体調も声の調子で察することができたりする。

でもこの電話という通信手段、娘世代にはとても迷惑らしい。わが娘は語学校の教師だが、夜の帰宅が遅いので、わたしは、元気かどうかだけ、知りたくてつい、電話してしまうのだが、それがとても迷惑らしく、いつも不機嫌な声が返る。

きのうもほどなく開かれる孫娘のコンサートに行くときの打ち合わせをしたくて、つい電話にしてしまったのだが、あまり迷惑そうなので、すぐ受話器をおいてしまった。ところが肝心の開始時間を訊き忘れたので、それだけ訊くつもりでまた電話してしまったら、職場で不愉快なことがあったらしく、疲労困憊で戻ったところなのに、一方的にまくしたてないでよ、というので、こちらもガチャン。

でもなんだか様子が心配になってきた。いま孫息子も独立し、孫娘は地方の交響楽団のメンバーとなって、東京住まいではないので、娘は独居である。
このところパソコンのやり過ぎなのか、夜になると腕が痛くなるので、メールはしたくない。

いまできるのは孫たちにママを元気づけてもらうこと。幸い孫息子には電話が通じたので、私から聞いたとは言わないで、と前置きしたあと、ママの様子が普通じゃないからすぐ電話してみて、と頼んだ。


きのう・・・

前日、デイケアの体操で、痛い身体を随分と折り曲げ、ほぐしたのに、身体の奥の疲れのよどみのようなものが、しこっているので、予約をとって、マッサージを三十分してもらった。

それからバスに乗って、田園調布の書店に行く。曽野綾子さんの『夫の後始末』をまずはぱらぱらとめくってみて、それから買うかどうか決めよう、と思っていたのだ。

この本はすでに、ネットのgenndaiというサイトで、かなりくわしい内容を読んでいた。曽野さんが同業のご主人とは、意外にも共通点は少なくて、彼女が興味を示すものを共有することはなかったということに、うちと同じなのだと同感することがあったこと、自宅介護の詳細と、そのときの彼女の心の動きが書かれているらしいので、いずれ来るかも知れない我が家の危機にそなえられるかも、と期待したからだった。

ところが書店に平積みされているはずの、その本が見当たらない。店員に訊いたら、冷ややかな声で、売り切れです、在庫もなく、いつ入ってくるかもわかりません、と言うのである。

ああ、自分が思うことはみんなも同じなのだ、とつくづく思った。

帰宅してアマゾンをのぞく。新刊はかなり先の手配、中古本はプレミアがついて、1000円の定価なのが、1700円以上になっている。迷ったが、このところ書籍を買っていないので、ま、いいかと、購入にクリック。(続く)

2017年10月12日 (木)

よくぞ、ふたたび

今年の夕顔を可哀そうだった。立派な一番花を咲かせてから、残りの蕾が次々咲くものと期待していたのに、開きかけると、驟雨に打たれ、とうとう次の花が咲かないままに終わるのかと思われた。

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ところがツルだけはどんどん伸びて、ついにはモッコウバラのシュートにすがりつき、どんどん昇っていくのである。そのシュートだけは切るにしのびず、そのままにしておいたら、昨日の夕方、あっと思うことが起きた。モッコウバラの葉影に隠れて見えなかった蕾が見事開く、という次なる贈り物をくれたのだ。005_2


どんどん丈をのばすシュートが妙にべたべたしていると思ったら、蜜を含んでいるらしく
蜂がしがみついて、蜜を吸っている様子も、興味深く眺めた。

夕顔の咲き具合の現象は、人間界に起きる運、不運にも似ている。
それがこの年齢になってからこそ、つくづくと悟ったりするこのごろなのである。

2017年10月 8日 (日)

『神々の黄昏』を観終わって

ワーグナーのオペラと聞いただけで、眉をひそめるひとは結構多くて、ましてや五時間という上演時間のリングシリーズを観に行くのは変人あつかいされたりする。

でもその『ニーベルングの指輪』四部作を無事観終った今、まだそれを観終る体力があるうちに、しっかり観られたことを幸いに思わずにはいられない。

『神々の黄昏』の二日目、新国立劇場はほぼ、満員だった。
一番驚いたのは、わたしが気に入っている二階のLと言う席から、見下ろす、オーケストラピットがおよそ百人を超そうかというほどの演奏者であふれていたことである。

ヴァイオリンの弓がふれあってしまうのではないか、と思われたが、その人数の効果は素晴らしかった。オーケストラはストーリーを雄弁に語っていた。
ジークフリートに裏切られた、ブリュンヒルデの悲しみを、ハーゲンの憎悪と欲望を、そして人間界に起こる否定的な感情のすべてを。Photo


指揮者飯森さんはオーケストラで始まり、最後もオーケストラのみでしめくくられる、これもまた円環(リング)であると語っているが、まことにうなずける解釈である。

舞台はどちらかというと抽象的な美術であったが、二幕目の、ブリュンヒルデが悲しみと怒りをみなぎらせてふりむいたままの静止の幕切れは、忘れられぬほど美しかった。
台本作家でもあったワーグナーが、ドラマと音楽をどちらも主役にするための、歌劇を楽劇に変えたという、音楽界での、役割は偉大だったのだということがうなずける観劇に終わった。

この十日間で五時間オペラを二度観るというのは、かなりきつかったが、居眠りが一度もでなかったのも不思議なことだ。階段や歩行距離もかなり長い、新国立劇場への往復も、へたりこむことなく、終えることができたのも、音楽に癒され、感動していたからだと思う。

2017年10月 2日 (月)

伊豆高原クラフトの森フェスティバル

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大室山のさくらの里でフェスタがあります、泊りがけでいらっしゃい、と刺し子の吉浦先生からお招きがあって、生徒の三人いそいそと出かけた。

見るだけでなんとも癒される、なだらかな大室山の曲線、ふもとのさくらの里にクラフト作家の出店が並んでいる。

入口に一番近い陶芸作品に早くも、買いたいものが見つかった。夫用の御飯茶碗、織部風の色合いのわたし用マグカップ、おはし、備前風の小皿、合計でも3000円以下、東京ではこれほどのセンスのよい作品がとてもこんな値段では買えない。018_4

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刺し子のお作品の鑑賞に堪能したあとのお手作りの夕食のメニューは驚くばかり、カワハギのお刺身、シャケと玉ねぎの南蛮漬け、トウガンの煮物、栗ごはん、根菜たっぷりのお汁。、

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翌日の午前中、織糸でする刺し子コースターをお習いする。
ランチの煮ソーメンのおどんぶり、おんだ焼がぴったりで一段とおいしさが増した。
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お宅の廊下に珍しい木製の小物干しがぶらさげてあった。何とも言えない風格の品なので、どこのですか?と伺ったら、アーミッシュのものです、というお答えに感動。主婦の買い物の楽しみと奥行きはここまで広がるのだな、と思った。


2017年9月26日 (火)

バイエルンオペラ『タンホイザー』を観る

待ちに待っていたバイエルンオペラ『タンホイザー』、夏前の新国立のワーグナーオペラでは、体調が悪かったので、今回の五時間オペラ、耐えられるかと、不安だったのだけれど、すがすがしい秋晴れで、足の痛みもなく、オペラ友人のS子さんというお連れもあり、足取りも軽やかに出かけることができた。
ところが開演前、携帯がないことに気がつき、もしや場内に落としていて、あの、ワルキューレの受信音が鳴りひびくのではないかと、気が気ではないまま、一幕を観続けることになってしまった。休憩時間にS子さんの助けも借りて、スマホでたどり、タクシーの車内に落としていたことがわかり、まずはほっとした。上部が開いているバッグは気をつけなければと、つくづく悟った。

ペトレンコ指揮の音楽はまことに美しかった。これを聴くことができただけでも来た甲斐があったと思うくらい、毎日新聞評に、まれにみる音楽性と統率力、とあったが、抑制がきいていて、それでいて物語をおぎない語ろうとする、ワーグナーの意図を知り尽くしたように流れる音楽に耳を奪われていた。

お目当てのフォークト、今世紀のワーグナー歌手の、救世主のような彼のテノールはやはり独特、決して乱れることのない澄みきった声はこれ以上ないくらい的確に音をとらえ、表現し、聴く者の耳に吸い込ませてくれる。
今回は歌い上げる声ばかりではない、あの三幕の「ローマ語り」、涙をもさそう可哀そうな物語を、低めの悲劇性をよく表す声質におさえて表現した。
今回もう一人、大注目の歌手、マティアス・ゲルネは一幕では、さすが、と聴かせる朗々たるバリトンだったが、毎日評にもあったように、スタミナが失速、あの一番の聴かせどころの『夕星の歌』のアリアが、オケに負けていて、いまひとつ迫力不足、残念であった。
ゲルネ50歳、フォークト47歳、三歳の差はオペラ界では大きいのだろうか。Photo_2


演出はかなり奇抜、上半身半裸に見える衣装をまとった乙女二十人が的に見せかけた円形の画面の中の人間の目に矢を射る。目が真っ黒になるくらいの的中率である。あれはどこかの学校の弓道部の女子学生なのだろうか、それともなにかからくりがあるのか、それにしても彼女らが客席に向かって弓をかまえたときは、どきりとしたほどだった。Photo


ヴェーヌスブルクも、メトライブを観たときのイメージがまだ残っているので、それに比べると、シンプルすぎるくらいの舞台、ヌメヌメした感じの人体の山の上にヴェーヌスが鎮座し、そのままの姿勢で歌う。そのヌメヌメ人間は山海塾みたいに、その後も何度か集団であらわれ、身をくねらせる。舞台美術を省く傾向のドイツ系のオペラは、シンプルで歌手に集中できていい、と言えないことはないが、メトライブやパリで上演されたばかりのモンテカルロ歌劇場の舞台をYouTubeから見ると、総合芸術として仕上がっていて、やはり臨場感が違うだろうな、と想像できる。ホセ・クーラのタンホイザーは大成功だったそうだ。
指揮や演出、あちこち欲張りな彼、54歳でまだ、この役を演じきったとは、驚きである。
私も、もう少し若かったら聴きに行くのに。
初めてこの人を知って、リサイタルに行き、ファンになってからウイーンの『ドン・カルロ』まで聴いたのだけれど、デビュー当時の迫力が失せかけていて失望したのだった。

タンホイザー役の彼、見た目が、すっかり太めで、美貌度は減ったが、彼の復活はうれしいニュースだ。
 

2017年9月21日 (木)

アクセス情報

衆議院会館で開かれる講演会に行くことになったのだが、これまで行ったこともないところなので、主催者にも訊き、ネットからもアクセスを探した。地下鉄の国会議事堂前か、永田町から、ということだったが、前者は渋谷を通らなければならず、後者は構内が複雑で、エスカレーターや階段の接続有無もよくわからない。迷っていたら、夫が母校の日比谷高校の近くじゃないか、と思いだしてくれて、溜池山王から、というルートが見つかった。六番出口、これがエスカレーターの接続がよく、出てからもすぐ左の坂をのぼって信号、また左、という容易い道順、危なげなく到着した。

グーグルマップの一つ目小僧みたいなしるしが嫌いだ。いざ徒歩の項目をクリックしてたどろうにも、私はスマホを持っていないので、いまひとつ確かさが足りない。実際に行ってみたことがあるひとから、訊くのが一番なのだが、道案内の言葉をわかりやすく、的確に話すひとが少ないことを痛感する。

澁谷に行くのはまだ、できれば避けたい。でも大好きな東横のれん街には、ときどき無性に行きたくなる。いい漬物店と、菓子店、おせんべいの店が充実しているし、独りご飯用のおいしい店も各種そろっている。
澁谷へ行くのに、中目黒で途中下車してバスを使うというルートを知った。教会の婦人会で、出会ったある高齢者のメンバーからの情報である。これを試した。中目黒を降りるとすぐ右手に渋谷行きのバスが待っている。二種類あるから、頻繁に来る。乗ってからおよそ十分、ガード下のちょっと先に停車してくれるので、のれん街にも近いし、ブリッジクラブにも近道になる。

いつも耳をそばだてて、好奇心をはりめぐらし、情報を得ながら、暮らしていかないと、高齢者はどんどん出遅れて、便利さへは遠回りになってしまう世の中である。

2017年9月17日 (日)

ピカール食品入りのランチ

夫が落ち込んでいる。
マージャンの会が四組あったのに、メンバーは亡くなったり、重病だったりで、今や二組だけ、その、残り一組のほうを企画してくれている高校時代からの親友が駅のホームで転倒して入院したのだ。夫も転倒しそうなのに、二本杖で品川の救急病院に馳せつけた。幸い命に別状はないとのことだったが、会は復活しそうにない。

仲良しがみんないなくなりそう・・と沈んでいる。カレンダーの丸印は最後の一組のマージャン会と、歯科医の予約だけ。わたしのほうは○のない日のほうが少ないくらいなのに。

なんとか新しい楽しみをと、高齢者「憩の家」で、ビリヤードはどお?
よく通る声をしているので詩吟でもやってみたら?
とすすめてみるのだが、今さら新しいことなんて、と首をふる。
つきあっているのは学生時代か、ビジネスを共にした人たちだけ、偏屈で、頑固なのである。
それどころじゃない、このごろすごく疲れるとも言いだすし、ごひいきDeNAベイスターズも四位に落ちてしまったので、これは何とかしなければ、と思った。

娘に緊急メールし、孫たちとそろって三人、ランチに来ることになった。六人分を手作りするのは、正直、シンドい。というわけで、出かけた帰りに麻布十番のピカールに寄ってラザーニャとカナッペを買ってきた。冷凍食品二つはドライアイスもついて重たい。ネットから注文するほうがよさそうだ。

オーブンで五十分、かなり時間がかかる。この二品とあと手作りの玉子とキューリのサンドイッチ、コーンとグリンピースのオリーブオイルいために、ゴーヤのピクルス。
娘も孫たちも褒め上手だけど、それだけではなさそう、おいしい~っつ、こういうの食べたかったんだといいながら、あっというまに平らげてくれた。002_2


夫は歴史にくわしく、終戦直後は天津にいたので、料理人がつくる家庭料理のことや、いまだに覚えている中国語の発音の指導をうけたときのことなど、一度も咳こまずに饒舌に語った。いま問題の北朝鮮の情勢なども説得力ある見解を述べる。孫たちもじいじのためだから、と興味を示すふりをするのではなく、本当に面白そうに聴き入っていた。

高齢者はみな記憶をよびさましてそれぞれの過去を語ることを必要としているのではないか?そういう場はだれかが用意しなければ、わたしにも、子供や孫たちはそういうときをつくるだろうか?でもわたしにはそれを語るブログという場がある・・・などと思いながら耳を傾けていた。

2017年9月15日 (金)

麻布十番あれこれ

麻布十番はいうところは、今から40年まえ、アメリカでの駐在員生活を終えて帰国して以後ずっと、縁の深い場所になっている。

そもそも、日本語を外国人に教える仕事にさそわれて、現在の『国際日本語普及協会』が『西尾グループ』として活動を始めたころ、麻布二の橋の金物屋の二階に事務所があって、そこに通うようになった。その後、事務所は転々として、どんどん大きくなり、教室を持つ場所にまでなっていったが、最初のころは十番内を移動していたので、それぞれの商店が個性を発揮して、輝いている変遷をみつめながら、通っていた記憶が鮮やかなのである。

同じころ、所属して国際婦人クラブも奨学生の選考の場所に国際文化会館をよく利用したので、そこから坂を下ったところに位置する十番を通って渋谷方面のバスに乗る、ということが多くなった。まだ地下鉄南北線が通っていない頃の話である。

現在も十番の有名店『豆源』は当時から流行っていた。商店街中ほどの『永坂更科』の蕎麦店も有名だったが、現在は一の橋のほうの永坂本店のほうが味が繊細でおいしい。
そして当時国際婦人クラブの会員でもあった、エイミー加藤さんがオープンした『ブルーエンドホワイト』はこれまで日本人の発想にはなかったセンス抜群の、藍のブルーと白だけを使った服飾雑貨の店として、精彩をはなちつつ、長続きしている。

七年まえからその店のウインドに飾られていた刺し子作品に魅せられその作者吉浦和子先生のレッスンに通うようになった。ところが五年目に膝を傷めて、体調管理がむずかしく、針仕事が手につかなくなってしまって、挫折状態である。

『ブルーエンドホワイト』店が閉めると言うのを聞いて、もう無くなってしまうのかと残念に思っていたら、隣のピーコックがイオン経営のオーガニックスーパー『ビオ・セボン』とフランスの冷凍食品『ピカール』をオープン、その二階に移転したというので先日、国際婦人クラブの例会の帰りに立ち寄ってみた。Photo


一緒に行った友人は日本語教師時代からのお付き合い、十番は私以上にくわしいひと、ブルーエンドホワイトは建物二階、エスカレート付き、ずっと広く明るくなって見事なリニューアルを果たしていた。Photo_2

下のスーパーも大きなテーブルがあって、まわりで購入したものを食することができるコーナーが便利、隣の『ピカール』には洗練されたおいしそうな冷凍食材が満載、私はとりあえずグリンピースの冷凍の大袋を買う。グリンピースはフレッシュなものより、輸入ものの冷凍のほうが緑が美しく、手早く料理できて重宝するのである。友人はその晩の夕食用にカナッペを選んだ。
その晩、感想を知らせてくれると言っていた彼女が電話してきて、オーブンで六分、仕上がりも美しく、美味だったと、おしえてくれた。

東京もどんどん、グローバルに変貌する。近々、もう一度、この便利で、胸のときめく場所を再訪したいと思っている。


2017年9月 8日 (金)

小さな不都合つきイタリア

イタリア旅行情報専門サイトJITRAのメールマガジンは、もうイタリア旅行を辞めてしまった私には、関心のうすいものになっているのだけれど、冒頭のエッセイだけは読むことにしている。
その書き手の編集者はミラノ在住、いつもイタリアと日本を行き来する際の比較などを面白く綴っているからだ。

最新号で、彼女は日本からミラノに戻ったときのことを書いている。なんでもマルペンサ空港に夜遅く到着した際、着陸はしたものの、地上に降りる準備がととのっていないというアナウンスがあって、十五分くらい機内で待たされたという。当然降り立ってからは、みなトイレに駆け込み、そのトイレが四か所しかないので、長い行列のあとにつくことになる。
次に預けた荷物をピックアップするのだが、十台ぐらいあるベルトコンベアのどこに行っていいやら、『手荷物ご案内』用の表示もなく、探すのに時間がかかった。
市内に行くマルペンサ・エクスプレスの切符売り場はもう閉まっていて、自動販売機しかない。この販売機が問題、うまく機能しなかったり、つり銭が出てこなかったり、というトラブルの多い代物、幸い、運よくチケットは買えたけれども、彼女はつくづく思ったそうだ。トイレの数が十分で、手荷物受取の表示が大きく出ていて、自動販売機には何のトラブルもない成田が、何と素晴らしいことか、と。
それでも電車を降りてからタクシーに乗り、窓からライトアップされた神々しいまでに美しいドゥオーモを見て、胸が熱くなるほど感動し、イタリアと言う国は比類のないほど美しいものが存在しているけれど、それと同時に多くの小さな不都合に遭遇することにもなる。居住する者にとってはそれらを丸ごとうけとめなければならない、と締めくくっていた。

そう、過去二十一回の私のイタリア一人旅でどれほどこの小さな不都合を経験したことだろう。到着時、荷物に両手をとられる不自由なときに、トラブルにまきこまれることを、とりわけ用心し、迎えを頼むことが多かった。
ローマ、テルミニ駅からオルヴィエートに直行するという旅のときのこと。
迎えはローマ在住のRさん、列車探しを手伝ってもらう。イタリア語ベラベラの彼女に訊いてもらったのだが、駅員のだれもが違う答えをする。まさに発車まぎわにやっと目当ての列車にたどりつくことができた。ところが乗ってから、こんどは停まる駅名の表示には次の駅が記されていないので、不安になる。オルヴィエートの前の駅名が知りたい、あといくつ駅があるのだろうか・・・ちょうど検察にやってきた鼻ピアスの男性乗務員に尋ねてみた。
ところがわからないから調べてくると言ってどこかに行ってしまった。我が国のJRでは考えられない事態である。

列車チケットの自動販売機や、道路に面しているATMはトラブルの話をよく聞かされていたので、利用したことはない。

メルマガの編集者はミラノ在住でイタリア人同様の生活者であっても、やはり不都合を経験しているということを今回知って、所詮、旅人に過ぎないからかという意識のもたらす劣等感が薄まったような気がした。

旅をしていたときは、そういう不都合を経験し、それが新たな活力の源となり、この次からは大丈夫、という勇気が出たのだけれど、それはどんなに長く歩いても、痛みが出ない足と、安定した体調を保持していられたからだ。
いまはそれがもう失われつつある。
旅に終わりを告げるときが来たのだった。

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